【正論】「8・15」に思う 「歴史戦」必勝を英霊の前に誓う 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
産経ニュース 2014.8.15 03:08
5月30日に月刊誌、中央公論元編集長の粕谷一希氏が84歳で亡くなった。氏は名編集者として知られているが、また、評論家として戦後日本に対する明晰な批評を遺した人でもあった。戦前からの良質な教養を受け継いだ真の知性であったといえるであろう。
≪「醤油組」糾弾した粕谷氏≫
氏の著作のうち主要なものを3巻にまとめた『粕谷一希随想集』が今、刊行されている。その編集に協力者として参加した私は、氏の評論のほとんどを改めて読み直してみて、戦後日本の諸問題に対する鋭利な指摘から得るものが多かった。その中でも特に深く心に突き刺さったのは、「醤油組の天下」という寸鉄人を刺す鋭さを持った言葉であった。この寸鉄は、確かに「戦後」という時代にとどめを刺す力はある。
昭和53年の「鶴見俊輔氏への手紙」の中に、「私たち多少下の世代から眺めていますと、戦後の論理には、“醤油を飲んで徴兵を逃れた”、いってみれば醤油組の天下といった風潮がありました。『きけわだつみの声』の編集方針も、意識的に反戦学生の声だけが集められました。愚劣な戦争に駆り出されて、無駄な死を強制された。だから、二度とこうした戦争を起させてはならない。もう『僕らは御免だ』、ドイツの戦没学生の手記も訳されて、戦後の反戦感情・反戦運動は盛り上げられてゆきました。それは半面では正当に思われました。けれども微妙なところで、何かエゴイズムの正当化といった作為的な思考のスリカエがあるように思われて、当時から私にはなじめなかったことを記憶しています」と書かれている。
「醤油組」とそれに従った人々によって「戦後の論理」は支配されたのであり、「醤油組」の倫理的問題は、実は心の奥底の単に戦争に行きたくないという「エゴイズム」を「反戦」とか、「平和主義」とかの美辞麗句で「正当化」したことである。行きたくないということを直接的に表明するだけであれば、その人間は卑怯者のエゴイストと指弾されるわけだが、「反国家主義」とか「戦後民主主義」とかを装うことによる「微妙」な「スリカエ」が行われて、さも「正義」の人であるかのように振る舞うという悲喜劇が蔓延したのが、戦後の生ぬるきヒューマニズムの見苦しい風景であった。
晩年の粕谷氏が、「醤油組」とは対極的な生き方をした『戦艦大和ノ最期』の著者、吉田満に深く共感していったのは、「当時から」「なじめなかった」氏としては当然の流れであった。
≪『戦艦大和ノ最期』に共感≫
随想集第1巻の巻頭に掲載されたのは、「『戦艦大和ノ最期』初版跋文(ばつぶん)について」である。GHQ(連合国軍総司令部)の検閲で発禁となったこの名作が漸く世に現れたのは占領が終わってからだ。初版には、吉川英治、小林秀雄、林房雄、河上徹太郎、三島由紀夫が跋文を寄せた。氏は、これらの文学者を「戦後の風潮に同調しなかった人々」と称讃している。氏は5人の跋文を紹介した後、「晩年、吉田満が改めて戦争の記憶に回帰し戦後日本に欠落したものを問いつづけたのも『戦艦大和ノ最期』の作者の十字架であった。飽食のなかで忘却している悲劇の感覚を、もう一度、日本人に喚起したかったからであろう。それに答えうるか否かは、残された者の課題である」と書いている。
この「課題」に今こそ、我々は真摯に対峙しなければならない。「戦後日本に欠落したもの」は、あまりにも多いからである。
かつて私は、或る会で戦後日本の文学作品の中で百年後に残っているのは『戦艦大和ノ最期』だけだと「放言」して会場から呆れられたことがある。確かに極論に違いあるまいが、少なくとも「醤油組」の卑しい精神からの所産に過ぎないものは、日本の精神の本質にとって何の意味もあるまい。
そして、戦後長く続いた「醤油組」の天下は、今や漸く終わろうとしているかに見えるが、集団的自衛権の問題に表れているように未だに根強く日本の社会の中に残っている。「醤油組」の天下を完全に終焉させることは、戦後の日本人の偽善性という倫理的問題を解決することであり、卑怯者の天下ではなく勇者の天下の日本国に改造しなければならない。
≪敗者の方が豊かな教訓得る≫
私が編者としてまとめた『「海ゆかば」の昭和』に氏からは「敗者の教訓」と題した寄稿文を頂いたが、末尾には「敗者の方が勝者よりも豊かな教訓を得る。日本人はいまこそ二十世紀前半の自民族の悲劇を誇りをもって語りはじめたらよい」と書かれている。
歴史認識の問題、あるいは歴史戦というものに立ち向かっていく心構えの根底には、この「誇り」がなければならない。8月15日の敗戦の日は、戦後70年の来年に向けて苛烈化する歴史戦で英霊の名誉と我々の「誇り」のために、必ずや勝利することを英霊の前に誓う日にしなければならない。(しんぽ ゆうじ)
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