官房長官、憲法改正「まず96条に全力」
日本経済新聞2013/3/11 12:07
菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で、憲法改正について「政府としては96条の改正に全力を挙げて取り組みたい」と述べ、改正の発議要件緩和が最優先課題だとの認識を示した。安倍晋三首相が9日のテレビ番組で将来の憲法9条改正に意欲を示したことについては「96条から先は色々な議論がなされるべきだ。まったく決まっていない」と指摘した。
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憲法96条 改正要件緩和が政治を変える(3月4日付・読売社説)
2013年3月4日01時50分 読売新聞
憲法改正の手続きを定めた憲法96条の改正問題が、大きな政治テーマに浮上している。
背景には、昨年末の衆院選で自民党や日本維新の会、みんなの党が96条改正を公約とし、3党で衆院の3分の2超の議席を獲得したことがある。
7月の参院選の結果次第では、憲法改正の環境が初めて整う。
憲法改正は今や、現実味を帯び始めた政治課題だ。
96条は、憲法改正について、衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければならないと規定している。
衆参とも3分の2以上を確保したうえで、国民投票も行うという二重の高いハードルを乗り越えるのは容易なことではない。
自民党が提案するように「3分の2以上」を「過半数」とすれば改正を発議しやすくなる。
安倍首相は、政党の考え方が対立する条項ではなく、まずは多くの党が賛同できる96条から改正に取り組む考えを示した。現実的で妥当なアプローチである。
民主党の一部の保守系議員も同様に考え、維新、みんな両党の議員と96条改正を目指して新たな議員連盟を設立するという。政治家の国家観を問う憲法改正の問題は、政界再編につながる可能性を持つ意味でも重要である。
民主党は、党内の意見対立から依然として憲法改正に対する方針が定まっていない。
党の綱領にも「真の立憲主義を確立するため、未来志向の憲法を構想していく」とあるだけだ。これでは憲法改正にどう取り組むのか、さっぱりわからない。
憲法改正が争点になり得る参院選に向けて、今から党内論議を尽くしておくべきだろう。
憲法は、「不磨の大典」ではない。この13年間だけでも、スイスは23回、ドイツは11回、フランスは10回も憲法を改正している。
制定以来一度も改正されていない日本の憲法は、世界的に見ても希有けうな存在だと言える。
時代の変化に伴い、憲法と現実との様々な乖離かいりが目立っている。安全保障はもとより、環境権、プライバシーの保護など、多くの国会議員が憲法改正は必要と考えながらも、実現に至らなかった。
日本維新の会の橋下共同代表が「中身の議論も大事だが、国民に改正案の是非を問うこともできない状態を放置していいのか」と主張するのはもっともだ。憲法改正を困難にしてきた96条の改正要件を緩和すべき時である。
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【政界二十四時】コピペ憲法にさよならを
SankeiBiz 2013.3.11 05:00
すでに記事化されたニュースのその後、いわゆる「続報」をパソコンで書く場合、保存しておいた前回の原稿を「コピペ」(コピー・アンド・ペースト)して新たな記事の参考にすることがある。手書きの時代には想像もできなかった、先端技術の恩恵を実感するひとときだ。
とはいえ、ネット社会には危険な落とし穴も存在する。例えばネット上で見つけた他人の論文をコピペし、自分のオリジナル論文として発表した教授や学生の不祥事は後を絶たず、たびたび新聞紙面を飾っている。取り扱いを間違えば、コピペは一転「盗作」の同義語となる。
ただ、世の中は不思議なもので、“盗作”の限りを尽くした文章が無罪放免、長年放置されたままのケースがまれにある。わが日本国憲法の前文だ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した…」
平和を愛していると思えない国々に囲まれた現状とミスマッチした文章に目を通すと、所々の表現が米国憲法、リンカーン大統領の演説、マッカーサー・ノート、テヘラン宣言、大西洋憲章、米独立宣言に類似していることが分かる。
憲法学者の西修氏は、米国が対ソ戦略などの都合で現行憲法の制定を急いだ結果、「前文は歴史的文書の継ぎはぎで作られた」と説明する。当時パソコンは存在しなかったが、発想はコピペと一緒だ。
安倍晋三政権の誕生に伴い改憲はようやく現実味を帯びてきたが、永田町ではいまだ「一言一句変える必要はない」と主張する護憲原理主義者が少なくない。
占領下の憲法をいまなお最高法規として戴(いただ)いている上に、その前文が急造された継ぎはぎであることは、独立国として恥ずべき状態ではないか。もはやコピペ憲法にさよならを告げるのが一番だ。(内藤慎二)
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◆ 石原慎太郎氏(衆院予算委)質疑 詳報 憲法改正/天皇/尖閣/横田基地/NLP/会計制度/債務/環境 2013-02-13 | 石原慎太郎
【石原氏の質疑詳報(上)】「暴走老人が戻ってきた」 衆院予算委 〈H25/2/12 衆院予算委員会・石原慎太郎【安倍内閣の政治姿勢集中審議】〉
産経新聞2013.2.13 08:24
日本維新の会の石原慎太郎共同代表が質問に立った12日の衆院予算委員会の質疑の詳報は以下の通り。
【はじめに】
石原氏「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってきた。暴走老人の石原だ。私はこの名称を非常に気に入っている。せっかくの名付け親の田中真紀子(前文部科学相)さんが落選した。『老婆の休日』だそうで、大変残念だ。これからの質問は言ってみれば、この年(80歳)になって国民の皆さんへの遺言のつもりだ」
「昨年2月ごろ、靖国神社で聞いた90歳超のある戦争未亡人の歌だ。この方は20歳前後で結婚して子供をもうけたが、主人は戦死された。ひ孫もできたかもしれないが、その方は90歳を超して今の日本を眺めてこういう歌を作った。『かくまでも 醜き国になりたれば ささげし人の ただに惜しまる』。これは強い共感を持ってこの歌を聞いた」
「国民の多くは残念ながら我欲に走っている。政治家はポピュリズムに走っている。こういうありさまを外国が眺めて軽蔑し、日本そのものが侮蔑の対象になっている。好きなことを言われている。なかんずく、北朝鮮には200人近い人が拉致されて、中には殺されて、取り戻すこともできない。こういった実態を眺めて、この戦争未亡人はあの戦のために死んだ主人を想起しながら心情を吐露した。私は運命の気がしてならない」
【憲法改正】
「さて、首相が(自民党)総裁選に出る前に、非常に心強い思いをして期待した。まずこの国の今日の混乱、退廃に導いた大きな原因である現行憲法について聞きたい。人間社会に存在する規範は結局は、人工的なものもあるだろうが、人間の歴史の原理にのっとっている。戦争の勝利者が、敗戦国を統治するために作った即成の基本法が、(米国に)統治された国が独立した後、数十年にわたって存続している事例は、私は歴史の中でみたことがない。もし、日本という独立国の主権者、つまり最高指導者の首相がこの歴史の原理にのっとって、かつて勝者が一方的に作った憲法を認めずに廃棄するということを宣言したときに、これを阻む法律的限界はあるのか。日本の憲法をいかにお考えか」
首相「確かに今、石原先生がおっしゃったように、現行憲法は昭和21年に日本がまだ占領時代にある中で、マッカーサー私案が作られた。マッカーサー私案は毎日新聞にスクープされるが、スクープを見たマッカーサーが怒り狂い、日本に任せておくわけにはいかないということで、ホイットニーに命じた。ホイットニーは2月4日に、(連合国軍最高司令官総司令部の)民政局次長であるケーディスに『2月12日までに作れ』と命じて、ほぼ8日間、1週間ちょっとで作り上げたのが現憲法の原案だったわけだ。それが現行憲法のもとであると認識している」
石原氏「その憲法を、日本の最高指導者であるあなたが廃棄すると仮に言ったときに、これを法的に阻害する根拠は実際ない。それに加えて最近、北朝鮮は核開発に着手している。
地震も起こしたが、かつて自民党の政調会長をしていた中川昭一くん(故人)が『日本もそろそろ核のシミュレーションぐらいしたほうが良いのではないか』と言ったら、慌てて時の国務長官のライスが飛んできた。こういった厄介な状況が日本の周りで進展するなかで、私たちは憲法の破棄なり改正を含めて、この国をもっと自分自身で守りきるという基本的な法的な体制をつくる必要があるのではないか」
「日本人が好きなトインビーの『歴史の研究』という本にあるが、いかなる大国も衰亡し滅亡もする。しかし、国が衰弱する要因はいくつもある。一番厄介な大国の衰亡、滅亡につながる要因は何かというと、自分で自分のことを決められなかった国は速やかに滅びるということで、国の防衛を傭兵(ようへい)に任せたローマ帝国の滅亡を挙げている。私は首相をはじめ、国会議員、国民の皆さんにも思い直してもらいたい」
「かつて名宰相だった吉田茂の側近中の側近だった白洲次郎さんが面白いことを言った。『吉田さんは立派だったが1つ大きな勘違いをした。サンフランシスコ(平和)条約が締結されたときに、なぜあの憲法を廃棄しなかったのか』と。麻生(太郎副総理)さんは安倍さんと一緒にこの問題を考えてほしい」
「この憲法をね、議員の諸君で精読した人はいるのか。あの前文の醜さは何だ。たとえば、『ここにこの憲法を確定する』とあるが、日本語で法律を決める場合は『制定』だ。『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ』とあるが、ちょっとおかしな日本語だね。助詞の常套(じょうとう)から言えば『恐怖と欠乏を免れ』なんだ。日本語の助詞、間投詞は非常に大事で、1つ間違うと全然、作品の印象も違ってくるが、これをまったく無視した。日本語の体を成していないな。英文和訳とすれば70点もいかないぐらいだ。
こういう憲法が破棄も廃棄もされない。吉本隆明の言葉ではないが、『絶対平和』という一種の共同幻想で日本を駄目にした。首相はそれを考えて、憲法をできるだけ早期に大幅に変えて、日本人のものにしてほしい。そのためには、いかなる協力もする。うかがうが、第1条に『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である』と書いてあるが、象徴の具体的な意味はどう解釈するか」
首相「象徴というのはいわば、日本国において権力を持つ存在ではなくて、日本の長き歴史と伝統、文化と日本国民を象徴する存在だと理解している」
【靖国神社参拝】
石原氏「大まかには正しい。具体的に言うと、天皇はプリースト・キングだ。神道の大司祭だ。神道は普通の宗教と違う。人間の崇高な感性というか情念というか、そういったものの結晶だ。熱心なカトリック教徒の曽野綾子さんが伊勢神宮に行って、『これが日本だと自覚した』とエッセーに書いた。神道の大司祭者である天皇は、日本の感性がもたらした文化の象徴だ。決して政治の象徴ではない。それに付随したことだが、首相は今年、靖国神社に参拝するか」
首相「靖国参拝について、私はいたずらに外交的、政治的問題にしようとは思っていない。だから、私が靖国に参拝するしないということについては申し上げないことにしている。一方、国のリーダーがその国のために命をかけた英霊に対し、尊崇の念を表するのは当然だろうとも思っている」
石原氏「なかなか分からないような分かるような…。私は行かなくて良いと思う。あなたが行くと結局、政治問題になる。
ならば、その代わりに、国民を代表してお願いしたい。ぜひ、国民を代表した首相として、今年は天皇陛下に靖国神社に参拝していただきたい。これは決して政治的行為ではない。宗教的な問題でもない。神道という人間の情念の結晶の代表者であり象徴である天皇陛下が、戦争で亡くなった人を悼んでお参りするのは当然のことだ。異義は唱える国はない」
「あの戦争の評価について言えば、日本人はいまだに一方的にニュルンベルクと同じように戦勝国に敗訴させられ、東京裁判史観にとらわれている。しかし、その後、マッカーサーは米国の議会で、『今から考えてみたら、あの戦争は日本にとって自衛の戦争だった』と証言しているじゃないか。インドネシアのスカルノ大統領も同じことを言った。靖国参拝が政治的に解釈され、あの戦争の価値観に引っかかるなら、とにかく(首相の参拝を)やめたらよい。その代わり、神道の祭主である天皇陛下に、『国民を代表して靖国に参拝していただきたい』と陛下に奏上してお願いしたらどうか。いかがか」
首相「陛下のご親拝について私がうんぬんする立場ではない。しかし、今、石原議員がおっしゃったように、本来、国のために命をささげた人たちに対する敬意の表し方は本来、政治的なものではないわけだ。(米国)ジョージタウン大学のケビン・ドーク学部長が論文に書いていたが、『アメリカにおいて南軍も北軍の兵士も埋葬されていて、そこに大統領が参拝したからといって、南軍の奴隷制度を維持するという考え方に賛成するものではない。ただ国のために命をかけた人々に対する敬意の表明でしかない』と書いていたが、私もその通りだと思う」 *強調(太字・着色)は来栖
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◆ 『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)
p58~
「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63~
GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(~p64)
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