日経新S 「新聞案内人」2009年03月02日
田中早苗 弁護士
「守秘義務」に守られる裁判官?
各界の100人に聞く朝日新聞の「100アンサーズ」。今月は裁判員制度の先行きがテーマで、「うまくいくとおもう」10人に対し、「おもわない」が55人と、否定的な見方が多数を占めた。
しかし、裁判員制度のスタート後、それがうまくいっているかどうか、一般の人に果たしてわかるのだろうか。
私がそんな疑問をもつのは、裁判員に「守秘義務」と「接触禁止規定」が課されているからだ。裁判員は終生の守秘義務が課され、それに反した場合は、6月以下の懲役か500万円以下の罰金。また、裁判員経験者に、知りえた秘密を知る目的で接触をすることも禁止されている。
現在、読売新聞は朝刊に「死刑」シリーズを連載しているが、数人の裁判官が実名で登場し、判決に至るまでの経緯について語っている。つまり、記者は、裁判官に比較的自由に接触し、裁判官も少なからず、取材に応じているのである。
また、現在、再審中の袴田事件。2007年3月、1審を担当した熊本典道元裁判官が「無罪という心証を持っていたが、他の裁判官を説得できず、死刑判決を書かざるを得なかった」と評議の秘密を告白した。しかし、不思議なことに裁判員とは異なり、評議の秘密を明かしたからといって、裁判官には刑罰が課されないのである。
○「裁判員」が語れるのは“感想”くらい
裁判員制度がうまくいっているか、改善すべき点があるか、廃止すべきかなどの議論をするためにも裁判員経験者が裁判について語ることは必要だ。
メディア側の粘り強い交渉の結果、やっと最高裁側から、制度の定着に裁判員経験者の声を伝える意義は大きいとの認識が示され、記者会見の実現にあたって裁判所の協力が得られることとなった。 これを受けて、日本新聞協会は2月26日、裁判員を務める国民に向け、裁判終了後の記者会見への協力を要請する「裁判員となるみなさんへ」と題したアピールを公表した。しかし、記者会見で語られることは、裁判員が職務を果たして感じた経験談に過ぎず、評議の内容は含まれない。
ところで、刑事罰が課される「評議の秘密」の対象は何なのだろうか。2月27日付け読売新聞で解説している。
<評議の秘密に含まれるのは、
①「6対3の多数決で有罪になった」といった「意見の人数比」
②「私は無罪の意見だったが、他の裁判員は全員有罪を主張した」といった「意見の内容」
③「裁判官3人が実刑を主張し、最初は執行猶予の意見だった裁判員も次々に意見を変えた」といった「評議の経過」
――こうした内容が外部に漏れてしまうと、裁判員が安心して自由に評議で意見を言えなくなる恐れが出てくるため、話してはいけないことになっている。>
○“誤導”“強引”裁判官が明らかにならない
しかし、現在の最高裁では、多数意見に反対する意見も裁判官の実名入りで表明されている。そのことが、自由な評議の妨げになったということは聞いたことがない。反対意見があったことが明らかになれば、自由な評議がなされた証左といえるし、裁判官と意見を異にしてもいいのだとの認識が世間に醸成され、かえって自由な評議を促すことになる。
また、裁判員の氏名・住所は明らかにされないので、有罪評決に与した裁判員個人を特定することはできず、被告人が“お礼参り”するようなことは殆ど考えられない。
守秘義務により評議がベールにつつまれてしまうと、仮に裁判官が「包丁を使用すれば殺意があるものなのだ」などと誤った誘導をしたり、強引に結論づけたりしたとしても、そのことが明らかにされない恐れがある。
この点、最高裁の担当官は、「裁判官が強引であった」と裁判員が発言をすることは問題ないと述べているが、強引だったかどうかは、「評議の経過」が明らかにならなければ判断つかない。
○「期限」設けるなどの法改正が必要
仮に、勇気ある一人の裁判員が「裁判官が強引だった」ことを明らかにしても、最高裁が否定してしまえば、それっきりだ。裁判員が自由な意見を言えなければ、裁判員制度を導入した意味がない。裁判員に対する刑罰付きの守秘義務は、あたかも国民の裁判官批判を封じ込めるための道具にみえる。
アメリカのように陪審員に守秘義務を課さないようにするかはともかく、少なくとも守秘義務の期間を限定する、刑事罰をはずすなど何らかの法改正が必要であろう。
この点、3年後の制度見直しまでに、メディアでも問題提起してもらいたいものである。