尖閣:中国指導部の日本批判相次ぐ/中国の主張=「日清戦争末期の1895年に島を奪われた」

2012-09-20 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

尖閣:中国指導部の日本批判相次ぐ
毎日新聞 2012年09月20日 20時34分(最終更新 09月20日 20時39分)
 【北京・工藤哲】日本政府による沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化を巡り、中国指導部による日本批判が相次いでいる。20日までに最高指導部を構成する政治局常務委員(9人)のうち8人が立て続けに発言する異例の事態で、日本への強い不満を反映している。外国要人との会談の場での発言も目立ち、領土だけでなく歴史問題として国際世論に訴えようとする戦略もありそうだ。
 中国メディアによると、今月9〜19日の間に宣伝部門担当の李長春政治局常務委員以外の8人が尖閣諸島について発言した。胡錦濤国家主席が9日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)で野田佳彦首相と立ち話をし「日本側の島の購入はいかなる方式であっても不法、無効で中国側は固く反対する」と発言した後から相次いだ。
 具体的には「日本に奪われていた釣魚島などは第二次大戦後、『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』によって、国際法上中国に帰属した。最近の日本の島購入の動きは、世界の反ファシズム戦争勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序への重大な挑戦」(14日・賀国強中央規律検査委書記)などと述べ、歴史的経緯に触れた主張をしている。
 習近平国家副主席も19日「日本軍国主義は中華民族に深刻な災難をもたらしただけでなく、アジア太平洋諸国にも大きな痛手を負わせた。一部の政治勢力は隣国との領土争いを激化させている」と日本を批判した。中国は日清戦争末期の1895年に島を奪われたと主張しており、歴史問題と関連づけながら島が中国領とする世論を国際的に広げる方針とみられる。
 日中関係に詳しい清華大学現代国際関係研究院の劉江永副院長は、指導部による批判について「1972年の日中国交正常化以来、最も激しい。ここまで批判をするのは、日本政府に対する信頼喪失の表れだ」と指摘している。
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「COME ON 疑問」
Q:尖閣諸島は日清戦争中に中国から奪ったのですか?
A:中国は「日本は戦勝に乗じて清国から盗み取った」と主張していますが、まったくのでたらめで、根も葉もない言いがかりです。
 中国は、日本政府が日清戦争末期の1895年1月の閣議で、尖閣諸島を日本の領土に組み入れたために、勝利間近の機に乗じて略取したなどと主張していますが、これは、領土問題を歴史問題にすり替えようとするためのでっち上げです。
 なぜなら、日本政府は尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない、いわゆる国際法上の「無主の地」であることを調べ始めたのは、それより10年も前の1885年のことで、沖縄県が出雲丸という汽船を派遣し、現地調査したのがはじまりです。詳細な調査の結果、「無主の地」であることが判明したため、すぐに日本の領土とすればよかったのですが、当時はそれができない理由がありました。
 それは、当時の清国が日本より軍事的に強大だったからです。それが証拠に、1886年には、世界最強の軍艦である「定遠」と「鎮遠」など4隻の清国北洋艦隊が長崎沖に現れ、上陸した清国水兵は暴行や略奪を繰り返し、多くの日本人が死傷するという「長崎事件」を引き起こしました。圧倒的な軍事力を背景にわが物顔の清国の前に、明治政府はなすすべもなく、賠償金なども妥協しなければなりませんでした。時の井上馨外相は、清国と事を構えれば、沖縄を取られてしまう、という危機感があったといわれています。
 逆に言えば、当時、強大な清国が尖閣諸島を自国領だと言えば、誰も文句が言えなかった時代だったのです。尖閣諸島の調査後、沖縄県は同諸島周辺で漁業活動を続けていましたが、清国を含めどこからも、自国の領土主権を侵害しているという抗議がなかったことから、ようやく95年に正式に日本領としたのです。
 国際法上、国家が領土権を主張するには、単に「無主の地」の発見による領有意思の表明だけでは不十分で、実効支配が必要とされています。このため日本政府は、尖閣諸島に「国標」である標杭を建てることに続いて、様々な開拓事業をスタートさせました。毎年のように移民を送り込み、海産物やアホウドリの羽毛を採集し、太平洋戦争が始まるまでは、カツオ節の製造事業なども営まれていました。魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、1920年には,当時の中国の外交機関である中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記し、尖閣諸島を日本領土として認めています。
 戦後は、米国の施政権下に置かれ、人の居住が制限され、米軍は射爆場などとして利用してきました。ところが、1969年5月に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表、それを機に翌70年に台湾、そして71年に中国が正式に自国領だと主張し始めたのです。台湾、中国ともそれ以前には領有権を主張したことなどなく、日本政府は72年、沖縄返還直後の国連の場で「尖閣列島に対しては日本以外のいかなる国も主権を持っていない。中国の主張はまったく根拠がない」と毅然とした態度で反論しています。
 9月下旬には国連総会が開かれますが、中国政府から送られた1920年の感謝状を示しながら、日本の主張が正しいことを、日本政府は世界に発信しなければなりません。(調査研究本部主任研究員 勝股秀通)
(2012年9月20日  読売新聞)


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