五木寛之著『親鸞』 ② 十悪五逆の魂 幼児期との別れ

2008-10-28 | 仏教・・・

2008/10/22(水)(50
 十悪五逆の魂(7)
 伏見平四郎は体の奥に、いつもよりはるかに熱い嗜虐の血がわき返ってくるのを感じた。夜気の冷たさが頬にここちよい。
 凍りついたように身構える覆面勢を見おろして、どこか湿った声でいう。
「あれを見ろ。われら六波羅童がつかう弓は、宋船で運ばれてきた胡族の弓。小ぶりだがよくしない、強い矢を放つ。また武者どもはこの夏、以仁王を宇治に討った強兵たちだ。降参せよとはいわぬ。一人残らず殺してやる。だが・・・」
 平四郎は、河原房にすがるように身をよせている童に目をやった。
「どうだ、タダノリとやら。そなた、われらが六波羅勢にくわわるか。そうすれば命は助けてやるぞ」
「いやだ」 と、その子は震える声でいった。
「ほう」
 平四郎は童の顔をみつめた。血の気のひいた表情で、あえぐように肩で息をしている。しかし、その目にはつよい怒りの色があった。
「体に矢が突き刺さり、刃で肉も骨も斬りきざまれるのだぞ。それでも、いやというのか」
「いやだ。犬丸を返せ」
 気性の激しい子だ、と平四郎は思った。(以下略)
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2008/10/24
 十悪五逆の魂(9)
(前半略)
 平四郎がうめいた。六波羅童も、僧兵たちも、広場の者はみな唖然として巨大な2頭の怪物の姿を凝視している。
 牛飼童の一人がすばやく刀で荷台の縄を切った。地響きをたてて木材が転がり落ちた。先頭に立つ牛飼童の声がひびいた。
「よく見ろ。これが逸物、黒頭巾。そしてもう1頭こそ世に知られた希代の悪牛、牛頭王丸じゃ。矢も射かけろ。長刀もふるえ。この2頭がどれほどの化け物かを六波羅の小童どもにわからせてやろうぞ」
 牛飼童が刀の背で牛頭王丸の尻を発止と打った。その瞬間、牛頭王丸がはじかれたように跳躍した。黒頭巾も同時に疾走する。2頭の猛牛は居並ぶ武者たちの列へ猛然と突っこんでいく。
 僧兵と印地たちは、地面に転がって逃げまどう。空気が鳴って、驟雨のように矢が降りそそぐ。黒頭巾も牛頭王丸も、まるで針をたてたように背中に矢を受けながら、まったく勢いを失わずに平然と平四郎のほうへ突進してくる。
 武具に身を固めた武者たちも、総崩れになって床下へ後ずさった。数人の武者が牛の角で空中に跳ね上げられ、落下する。
 2頭の牛は、さえぎる者をけちらしながら荒れ狂う。全身が血で真っ赤だ。
〈これが牛頭王丸と黒頭巾か〉
 平四郎は初めて目にする死神のような黒い牛の影に、なにかふしぎな美しさを感じた。そのとき、牛の鼻息が目の前で鳴った。
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2008/10/25
 幼年期との別れ(1)
(前半略)
 門をくぐるとき、忠範は一瞬、足を止めて背後を見た。2頭の牛は血で真っ赤に体を染めて、鬼神のように荒れ狂っていた。おびただしい矢を全身に受けながら、その力は少しもおとろえてはいない。刀も長刀も矢も、まったく意に介さないかのように、たちむかう武者を突き倒し、ひづめにかけ、角で宙に投げあげ、逃げまどう武者たちをおどろくほどの敏捷さで追走し、ふみにじる。
 平四郎は階段の上の板床にたって、目下にくりひろげられる修羅場を魅せられたように眺めている。牛頭王丸が勢いよく階段を駆けあがった。なぜか平四郎は逃げない。身じろぎもせず、迫る牛に向き合う。
 忠範は、平四郎の前で角を誇示するように身構える牛頭王丸を見た。血まみれの赤い全身からもうもうと湯気がたちのぼっている。牛頭王丸は、さらに頭をあげる。
 そのとき意外な出来事がおこった。平四郎が、恍惚とした表情で両手をひろげたのだ。まるで牛頭王丸の頭を抱きよせるかのようなしぐさだった。周囲から悲鳴があがった。
「あぶない」
「逃げてくだされ、平四郎さま!」
 一瞬、牛頭王丸の角が、平四郎の腹に吸い込まれるように突き刺さった。牛頭王丸がつよく頸をふると、平四郎の体は空中に浮き、どさりと音をたてて広場に落下した。
「なにをしておる!いくぞ!」
 法螺房に手を引かれて、忠範は走った。あたりには、野犬の姿も見えない。夢のなかにいるような気分で、忠範は夜の道を走りつづけた。
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2008/10/27(55
幼児期との別れ(3)
 え?と、忠範は目をみはった。
「お山、とは?」
「あの山じゃ。比叡の山よ」
 法螺房は東の空に顎をしゃくると、
「タダノリ、どこで習うたかは知らぬが、おぬしの今夜の歌はじつに見事なものじゃった。この法螺房の腹にも深くひびいたが、十悪五逆の悪人、あの平四郎の心まで揺るがすとはのう。いや、さすがに今様の名手といわれた経尹どのの孫ではあるわい」
「今様を習ったことはありませぬ。いちど夜中に遠くで人がうたう声をきいただけです。それが妙に心に残っていて---」
「ほう。習った歌ではないのか。いちど耳にしただけで、あのように胸にしみる歌をうたうとはのう。歌の才だけではない。おぬしには、なにかがあるのじゃ」
 身分の高い人びとが尊ぶのが和歌。今様はそれとちがって、卑しきわれらの好む巷の流行り歌だ、と、法螺房はいった。
「世態人情、男女の妖しき思いをうたうのが今様の本領じゃ。しかし、なかには御仏の深い心を讃嘆する歌もある。今夜おぬしがうとうたのも、そのひとつ。十悪五逆の悪人さえも、ひとたび弥陀の名を呼べば必ず救われるというのはおどろくべき外道の説のようじゃが、決してふしぎではない。そもそも無量寿経の四十八願中の第十八の願は、わが名を呼ぶ衆生すべてを済度せんという、至心信楽(ししんしんぎょう)の王本願。それを説く者もでてきたらしい。うーむ」
 考え込んだ法螺房が忠範にきいた。
「どうだ、タダノリ、あの平四郎でも仏にすがれば地獄へおちずともすむのか。どう思う?」
 忠範はしばらく黙っていた。そして頭のなかで、その今様の最後の文句を何度も思いうかべた。そしてたずねた。
「らいごういんじょう、とは、なんのことでしょう」
 忠範の問いに、法螺房はたちどころに答える。
「らいごういんじょう、とは、来迎引接のこと。臨終のとき仏がみずからやってこられて、衆生を極楽浄土に導いてくださる、という意味じゃ」
 忠範は真剣に考え込んだ。本当にそんなことがあるのだろうか。嘘をつくと地獄の閻魔大王に釘抜きで舌を抜かれますよ、と、サヨはいつもいっていたではないか。嘘をついたぐらいで地獄におちるのなら、十悪五逆の極悪人が救われるわけがない。しかし---。
「わかりませぬ」
 と、忠範はいった。
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〈来栖のつぶやき〉
 五木寛之氏のものは、エッセーばかり読んできたので、小説家としての力量は、とんと知らなかった。『親鸞』は、そんな私の目を剥かせた。黒牛・牛頭王丸に惹かれて、その角にかかり、死んでいった十悪五逆の平四郎。この描写が何とも言えず素晴らしい。忠範、法螺房、犬丸、サヨ・・・、最底辺の群像たち。私は、泣くような思いのなかで、五木さんの『親鸞』を読む。心がときめいてならない。
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