自動車工場の派遣工員(下) 過酷な生活 体調不良も (中日新聞2008/10/9)

2008-10-09 | 社会

自動車工場の派遣工員(下) 過酷な生活 体調不良も
2008年10月9日中日新聞朝刊
 自動車業界では派遣工員が増えているが、待遇は劣悪で、日本弁護士連合会などは問題視している。西日本の自動車工場で働く四十歳代のAさんの話をもとに、前回は派遣工員のいつ首になるか分からない不安を取り上げたが、今回は過酷な生活実態をリポートする。 (白井康彦)
 派遣会社B社から派遣され、自動車メーカーC社の西日本の工場で働くAさんは、早朝出勤の早番と午後に出勤の遅番が交互にある。工場入り口横の派遣会社用テントで、出勤の際にB社の業務担当者から点呼を受ける。
 多数の派遣工員が工場に機能的、効率的に送り込まれる。Aさんは「われわれは派遣会社が自動車会社に売る『商品』なんだ」と自嘲(じちょう)する。
 工場周辺にはB社の派遣工員が住む寮が四十カ所以上ある。賃貸住宅の部屋をB社が借り上げて派遣工員らに住まわせる。B社は派遣工員の毎月の給料から寮費や電気代などを差し引く。Aさんは「ワンルームの寮費は四万二千円。このあたりの家賃相場より何千円か高い」と話す。寮に住まなければ、自分で敷金や礼金を負担して部屋を探さなければならず、ほとんどの工員は寮住まいだ。
 寮の備品は布団、クーラー、冷蔵庫、洗濯機、テレビなど。C社の「契約解除リスト」に載った派遣工員は寮を出なければいけないが、次の住人になる派遣工員は備品がそろっているのですぐに出勤態勢に入れる。
 工場の朝礼が一番早い午前六時の場合の一日は次のようになる。
 寮から工場までの通勤の足はB社の無料送迎バス。工場から遠い人は午前五時前に乗る。
 通勤時間は寮の場所によって五分から一時間とバラバラ。通勤のバス内では疲労蓄積で寝ている人が多いが、「○○の現場は残業がなくなった」「○○さんは辞めた」といった短い会話も交わされる。「刑務所か軍隊みたいなところだ」と愚痴を言う人もいる。
 工場ではC社の指揮監督下で働く。二時間おきに十分間休憩。筋肉痛がこらえられなくても水を飲みたくなっても、五十秒に一台の割合で製造ラインに自動車が流れてくる。車に汗が付くと油脂として次の工程での処理が必要になるので、うかつに汗を垂らせない。昼食は四十五分の休憩があり、社員食堂で食べる工員が多い。

 午後の作業は効率が落ちてくる。Aさんはひざを曲げて作業する部署。「足の裏、ひざ、腕、指の感覚がまひしてきて、意識ももうろうとする」と話す。

 午後四時にチャイムが鳴って業務終了。任せられた作業をし損なったNG台数などを勤務日誌に記載。C社の指導員から「昨日は成績がよくない」などと注意を受ける。Aさんは「仕事の責任は正社員と同じなのに、給料や待遇は段違い」と説明する。
 帰りのバスは一斉に派遣工員が乗り込むため座席に座りきれないほど込み合っているのが普通で、会話は弾まない。
 バスを降りてからスーパーに寄りカップめんやあんパンなど買って午後五時半に帰宅。洗濯機を回しながら夕食を食べる。午後八時ぐらいに風呂に入る。翌朝四時の起床を考えると九時には眠りたいが、「それではテレビニュースも見られずつらい」とAさん。こうした状態なので、新聞を購読している仲間も、組合活動を考える仲間もいない。
 寮費を差し引かれると手取りの月給は多い月で十五万円ほどで、同年代の正社員の半分にも満たない。派遣社員仲間の多くが独身だが、皆が「結婚はとても無理」と考えている。
 「工場で働く正社員らは派遣工員を助けようとしていないのではないか」ともAさんは感じている。「ときどき派遣工員が労災事故でけがをするが、正社員の人たちは『大変だね』のひと言」
 派遣工員らは欠勤が多いと、契約解除の理由になりやすい。Aさんは歯が悪く、手のひび割れもひどいが、治療に通っていない。
<派遣労働者> 厚生労働省の集計によると、二〇〇六年度に派遣労働者として働いた人は約三百二十一万人。派遣の対象職種が原則自由化された一九九九年度の約三倍にも上る。大半は、労働者が派遣会社に登録して仕事があるときに派遣先の会社を紹介してもらう「登録型派遣」で、〇六年度の登録者数は約二百三十四万人。Aさんも登録型派遣。

◇ 派遣工員(上) 消えぬ解雇への不安 生産調整の自動車業界 (中日新聞2008/10/2) 

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