恋慕渇仰 死ぬということは残った人の中に生きるということだ

2008-10-09 | 社会
中日春秋
2008年10月9日
 読書の秋。何かいい本を、と探しておられる方には、『恋慕(れんぼ)渇仰(かつごう)』(東京書籍)というエッセー集をお薦めしたい。著者は緒形拳さん。本人から頂戴(ちょうだい)したという先輩の芸能記者に借りて、読ませてもらった
▼俳優としての仕事は挙げればきりがない。映画やテレビドラマ、舞台には傑作がめじろ押しだ。海外取材もののドキュメンタリー出演も多かった。さらには、書家としても有名。個展を開いたり作品集を出したこともある
▼だが、文章家としての顔を存じ上げなかった。あの本はまさに一読三嘆。丸裸の姿から、葉を茂らせ、やがて色づき、葉を落として枝だけに戻る紅葉に俳優の仕事を重ねた『紅葉』など、まるで一編の詩のようだ。品のある諧謔(かいぎゃく)がにじむ文章も魅力的である
▼本業では、ひと言で言えば、女性以外なら、誰にでもなれた人だった。お人よし、敗残者、卑劣漢、冷血漢…。その訃報(ふほう)に接して、日本中の監督や脚本家はまず涙し、その後、頭を抱えているに違いない。その人なしではもはや成り立つことがない、あの映画、あのドラマを思って
▼既に撮影を終了、今後放映される連続ドラマもあると聞くが、それも含め、われわれはこれからも繰り返し緒形さんの出演作品を見るだろう。死を想(おも)う『壺(つぼ)』と題するエッセーに、自らこう書いている
▼<死ぬということは残った人の中に生きるということだ>

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