池江璃花子が五輪舞台に帰ってきた 白血病発覚から2年半 母にぶつけた「死にたい」という言葉
2021/7/25(日) 6:30配信 デイリースポーツ
レース後に笑顔を見せる池江璃花子(右)=撮影・高部洋祐 「東京五輪・競泳男子400mリレー・予選」(25日、東京アクアティクスセンター)
競泳女子の池江璃花子(21)=ルネサンス=が、東京五輪の初レースとなる400メートルリレー予選に出場した。五十嵐千尋(T&G)、酒井夏海(スウィン美園)、大本里佳(ANAイトマン)と泳いだ結果は3分36秒20の全体9位で予選敗退。それでも世界の大舞台に立ち、白血病を克服して復活した姿を示すと同時に、目標として見据える2024年パリ五輪への確かな一歩を記した。
五輪マークが輝くプールで池江が笑い、悔しがる。その全てが奇跡だ。池江は400メートルリレーの第2泳者としてダイブ。5番手で飛び込み、そのまま5番でタッチした。引き継ぎ記録ながらチーム最速の53秒63で泳いだが、日本は9位で目標だった日本記録には0秒03届かず。「悔しさ8割、楽しさ2割」と振り返ったが「またこの舞台に戻ってきて世界の選手と戦えることは、こういう環境の中でもすごく幸せだなと思った」とはにかんだ。
19年2月、白血病が発覚。2月末から始まった最初の抗がん剤治療が「一番しんどかった」と池江は言う。「思っていたより、数千倍しんどい」とツイッターを更新できた日はまだいい方。その後は2週間ベッドで吐き気との戦い。食事も取れず、点滴生活が続いた。「その時初めて生きていることがしんどいなと思った」。耐えられなくなった時、心の奥底にしまっていた言葉を隣にいた母美由紀さんにぶつけていた。
「死にたい」
苦しさで記憶は曖昧だが、母が悲しんでいるように見えたことだけは覚えている。
3月までの第1クールが終わり、一時帰宅の許可が下りた。「その時すごく幸せだったんです」。食事ができること。桜が咲いていること。車に乗ること。高速道路が渋滞していることですらうれしかった。死にたいと口にした自分を「後悔した」と池江。「つらいこともあるけど楽しいこともいっぱいあるんだと思った時に、絶対に思わないようにしようと思った」という。
約10カ月の闘病生活を経て、19年12月に退院。プールに戻ったのは年が明けた2020年3月のことだった。6月からチームでの練習に参加。泳げる喜びとは裏腹に、悔しさが徐々にこみ上げた。
負けたくないのに、気持ちに体が追いつかない。自分に落胆し、自分を責めた。練習帰りに一人で泣いた。「大丈夫、まだ泳ぎ始めたばかり」。そう言い聞かせて前を向くが、翌日にはまた負ける自分と直面する。負ける現実を受け入れる作業は、苦しかった。
一歩ずつ一歩ずつ。五輪の舞台に戻ってきた。「楽しい気持ちもものすごくあった。ただ、楽しいだけではダメなのが試合」と池江。見据えるのは3年後のパリ五輪でのメダル獲得。五輪の舞台に刻んだこの足跡をまたステップに。世界で感じた悔しさを、まずは残りのレースへぶつける。
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.7.25 Sun〉
画面で池江璃花子選手を目にし、驚いた。私は白血病が治るとは思っていなかった。しかし、池江璃花子選手は生きて、こうして五輪に出場している。驚いた。いや、難病白血病を池江選手は必死の思いで克服したのだ。壮絶な闘病。彼女の「泳ぎたい」という思いが難病を克服させ、五輪の舞台へ立たせた。なんとすごい人だろう。「見据えるのは3年後のパリ五輪でのメダル獲得」という。なんと素晴らしい人なんだ。
「印象的な復帰」「信じられない!」池江璃花子、4×100mリレーは予選落ちも専門メディアは好評価!「日本で唯一サブ54を記録」【東京五輪】
2021年07月25日 06時00分 THE DIGEST