いきなり少年は夢の中にいた。夢から覚めた少年は夢にむかって歩き出す。
急ぐように、一直線に。なんて心地いいんだろう。
宮崎駿監督、スタジオジブリの風立ちぬを観て僕はふわふわとしていた。
上映後場内に明かりが灯る。満席の劇場はそれぞれ色んな思いで溢れている。
僕は頭に血がのぼっており、通路をふわふわと歩いているかのようだった。
なんと素敵な映画なんだろう。
とっても悲しい筈なのに、まったく楽しい希望に満ち溢れている。
ブルースリーの映画を観た後、ブルースリーになりきった観客が映画館から出て来た
みたいな具合に
風立ちぬ鑑賞後の僕はまさに宮崎駿の大人なファンタジーと痛烈な毒牙にやられて夢心地だったわけだ。
時代が現代と状況を重ねていた。映画の時代と今と、ともに激動の時代と言える。
悲しい事、辛い事、良い事さがすのが大変なくらい。
それでも少なくともこの映画からは
辛さや不満はなにも伝わってこない。むしろそこにはひたむきさとけなげさがある。
そこには、とにかくやるべきことに明確な答えをもった人達しかいなかった。
僕が宮崎アニメの好きなシーンのひとつ、群衆描写。
今回もその描写がたくさん出て来た。
混乱の最中の群衆をみていても
あんなにうごめいている中で誰一人生きる事を投げ出す人が描かれていないということが見事だった。
逃げているようにも見えない。慌ててはいるが、ただ前へ進んでいるのだ。
人が人をかけわけたり、進路を譲ったり、整列直進したりしながら、一歩を進める。
絶望の中でみんなが希望とともに生きている、そう伝わってきた。
時代をかけぬけたたくさんの人達、志半ばで命をおとした多くの人々
その中の幾人かがクローズアップされて映画は描かれる。
映画であれ、現実であれ同じことだ。
ひとりひとりが主人公。それぞれに見え方は違うが、生きる景色はある。
そしてこの映画は多くを語らない。全ては“間”と“風の描写”で時代と人物の心を描く。
受け手に伝える手法としてそれらはとても難しいかもしれないが
この映画の方法は観客にとても優しく親切。嫌味がなく、本当に見事な手法である。
そこはまさに内容とシンクロして胸をえぐられた。
宮崎駿という人は一体どんな人生を送ってきて、僕らに何を残そうとしているんだろう。
考えは僕の頭ん中で果てしなく広がり、そのメッセージを掴もうと必死になる。
時の経過と経過の間、言葉の間、映像の間、そこに人間の切なさとはかなさを感じる。
そして痛快で軽快な胸躍る希望を常に感じる。
雲、立ち上る炎の煙、たばこの煙、ろうそくが消えた煙、吹き抜ける風、そよぐ風、炎風
風立ちぬ、映画の中で常に風が立っているのがわかる。
その中で人が立ち、いつでも何かを始めていた。
今が最悪なとき、と言うが、まだまだこれから最悪は続くぞ!
これを最悪ととるかはそれぞれの自由だ!今までのことを考えるなんてのはナンセンスだ
僕らはこれからのことを考えて、今出来る限りを尽くし
なにがあろうがそれでも精一杯生きる!さあ、風は僕らにふいている!いざゆこう!
そんな感じに、いや、それにつきているように思う。僕は常に、ワクワクとしていた。
かといっても人は弱い。しかし、ひたむきに生きる人を見て、また人は強くなれる。
なにがあっても言い訳は自分に返ってくる。
結局自分の人生はとどのつまり自分でしかない。
自分が他人に影響を与え、他人から影響を受け、人と人とが見つめあい、時を共有しこの世界を育んでゆく。
時の流れがあるならば、上手いことまずいこと全て誰のせいでもない。自分の責任である。
誰がきめたわけではない、産まれてきたら、生きねばならない。
しかし、人は時に争う。自然は人に牙をむく。人が人をどうこうするため頭を絞る。
それでも人は生きるのだ。
零戦は素晴らしい飛行をとげるが、結局一機も帰って来なかった。それでも…。
いろいろな思いがパツンパツンに詰まった映画風立ちぬはとってもコミカルな純文学だ。
なんとなく今気薄になっているような感じがする純愛を
声高々に「純愛!」と叫ぶ説得力がある。とてもふわふわしている。かわいくて優しい。
僕が好きだったのは堀越二郎の声を担当した庵野さん。
細かな箇所まで全て大好きだった。
この風立ちぬも、庵野さんの声も、賛否両論あるが
僕はとっても心地よかった。グッときた。説得力があった。
今自分がしていることに夢中になれているか。
精一杯走っているか。
それは成し遂げられているか。
キミは自分のいきざまに誇りをもてるか。
キミは、キミの未来を描けているか。
残りのキミの人生で、キミはなにができる?キミはどこまで楽しめる?
鑑賞中も、鑑賞後も
そう、常に問われているような気がして
僕は今でもふわふわとしている。
ふわふわと浮かぶ僕の想いを破裂させる刺激は
現代の現実の中にある自分の世界の鋭利な夢だ。
生きる美学って、あるんだなと知って生きたる人生の景色はいかなるものか。
未来の僕に聞いてみたいものである。
「おい!そこから何が見える?」と。
風立ちぬに、感謝。
めけめけ~。
写真。夏の空。
急ぐように、一直線に。なんて心地いいんだろう。
宮崎駿監督、スタジオジブリの風立ちぬを観て僕はふわふわとしていた。
上映後場内に明かりが灯る。満席の劇場はそれぞれ色んな思いで溢れている。
僕は頭に血がのぼっており、通路をふわふわと歩いているかのようだった。
なんと素敵な映画なんだろう。
とっても悲しい筈なのに、まったく楽しい希望に満ち溢れている。
ブルースリーの映画を観た後、ブルースリーになりきった観客が映画館から出て来た
みたいな具合に
風立ちぬ鑑賞後の僕はまさに宮崎駿の大人なファンタジーと痛烈な毒牙にやられて夢心地だったわけだ。
時代が現代と状況を重ねていた。映画の時代と今と、ともに激動の時代と言える。
悲しい事、辛い事、良い事さがすのが大変なくらい。
それでも少なくともこの映画からは
辛さや不満はなにも伝わってこない。むしろそこにはひたむきさとけなげさがある。
そこには、とにかくやるべきことに明確な答えをもった人達しかいなかった。
僕が宮崎アニメの好きなシーンのひとつ、群衆描写。
今回もその描写がたくさん出て来た。
混乱の最中の群衆をみていても
あんなにうごめいている中で誰一人生きる事を投げ出す人が描かれていないということが見事だった。
逃げているようにも見えない。慌ててはいるが、ただ前へ進んでいるのだ。
人が人をかけわけたり、進路を譲ったり、整列直進したりしながら、一歩を進める。
絶望の中でみんなが希望とともに生きている、そう伝わってきた。
時代をかけぬけたたくさんの人達、志半ばで命をおとした多くの人々
その中の幾人かがクローズアップされて映画は描かれる。
映画であれ、現実であれ同じことだ。
ひとりひとりが主人公。それぞれに見え方は違うが、生きる景色はある。
そしてこの映画は多くを語らない。全ては“間”と“風の描写”で時代と人物の心を描く。
受け手に伝える手法としてそれらはとても難しいかもしれないが
この映画の方法は観客にとても優しく親切。嫌味がなく、本当に見事な手法である。
そこはまさに内容とシンクロして胸をえぐられた。
宮崎駿という人は一体どんな人生を送ってきて、僕らに何を残そうとしているんだろう。
考えは僕の頭ん中で果てしなく広がり、そのメッセージを掴もうと必死になる。
時の経過と経過の間、言葉の間、映像の間、そこに人間の切なさとはかなさを感じる。
そして痛快で軽快な胸躍る希望を常に感じる。
雲、立ち上る炎の煙、たばこの煙、ろうそくが消えた煙、吹き抜ける風、そよぐ風、炎風
風立ちぬ、映画の中で常に風が立っているのがわかる。
その中で人が立ち、いつでも何かを始めていた。
今が最悪なとき、と言うが、まだまだこれから最悪は続くぞ!
これを最悪ととるかはそれぞれの自由だ!今までのことを考えるなんてのはナンセンスだ
僕らはこれからのことを考えて、今出来る限りを尽くし
なにがあろうがそれでも精一杯生きる!さあ、風は僕らにふいている!いざゆこう!
そんな感じに、いや、それにつきているように思う。僕は常に、ワクワクとしていた。
かといっても人は弱い。しかし、ひたむきに生きる人を見て、また人は強くなれる。
なにがあっても言い訳は自分に返ってくる。
結局自分の人生はとどのつまり自分でしかない。
自分が他人に影響を与え、他人から影響を受け、人と人とが見つめあい、時を共有しこの世界を育んでゆく。
時の流れがあるならば、上手いことまずいこと全て誰のせいでもない。自分の責任である。
誰がきめたわけではない、産まれてきたら、生きねばならない。
しかし、人は時に争う。自然は人に牙をむく。人が人をどうこうするため頭を絞る。
それでも人は生きるのだ。
零戦は素晴らしい飛行をとげるが、結局一機も帰って来なかった。それでも…。
いろいろな思いがパツンパツンに詰まった映画風立ちぬはとってもコミカルな純文学だ。
なんとなく今気薄になっているような感じがする純愛を
声高々に「純愛!」と叫ぶ説得力がある。とてもふわふわしている。かわいくて優しい。
僕が好きだったのは堀越二郎の声を担当した庵野さん。
細かな箇所まで全て大好きだった。
この風立ちぬも、庵野さんの声も、賛否両論あるが
僕はとっても心地よかった。グッときた。説得力があった。
今自分がしていることに夢中になれているか。
精一杯走っているか。
それは成し遂げられているか。
キミは自分のいきざまに誇りをもてるか。
キミは、キミの未来を描けているか。
残りのキミの人生で、キミはなにができる?キミはどこまで楽しめる?
鑑賞中も、鑑賞後も
そう、常に問われているような気がして
僕は今でもふわふわとしている。
ふわふわと浮かぶ僕の想いを破裂させる刺激は
現代の現実の中にある自分の世界の鋭利な夢だ。
生きる美学って、あるんだなと知って生きたる人生の景色はいかなるものか。
未来の僕に聞いてみたいものである。
「おい!そこから何が見える?」と。
風立ちぬに、感謝。
めけめけ~。
写真。夏の空。
息子にはよくわからないでしょう。
実は僕にもよくわかりませんでした。
今の自分が斜に構えているのか?
零戦がなかったら、どれだけの特攻隊が大切な命を
なくさずにすんだんだろうかと。そればかり頭の中を
駆け廻り、純粋に観ること出来ませんでした。
水差すようでごめんなさい(笑)
僕もいろいろ考えました。
風立ちぬには賛否両論、いろんな意見があるみたいです。
見終えてから
とらえかたは多々あるな~と感じました。
主人公が夢を追いかけている以上
夢を大事に観させていただきました。
はかないものへの繊細な描きかたがグッときた印象です!