日常茶飯・・・木の葉のお皿

潰瘍性大腸炎*その治療から間質性肺炎を発症
料理の講師をしながら…日々の生活や毎日のごはんを
書き留めています***

トイレ問題

2010-05-08 16:19:07 | 試してよかったこと

とにかく、初めは車で高速を使って実家と名古屋を行ったり来たり

していたのだが、実家に長くいるので、すぐ高速バスに切り替えた

費用のこともあったからだ

ただそれからが大変だったのはトイレ・・・

地下鉄のトイレは家から名古屋駅まですべて行ったような気がする

女性なので、生理用のショーツとナプキンがあり、ずっとそれを使用して

それで困ることはなかったがある日、とんでもないことに・・・・

父が認知症になっていて、母が入院したことで加速され、どんどん

おかしくなってしまった。4月、突然高台の家から見える神社の森を

指さし、あそこまで桜を見に行くんだという。(桜はもう終わっていた)

体調が良くないので、ぼおーっと聞いていたら、着替えて

出て行ってしまった。そこに行ったなんて聞いたこともない

何の準備もないまま、あわてて追いかけて走ったが

父の足の早いこと!!行きはものすごい勢いでついていくのがやっとだったが

往復で2時間、帰りは登り坂で家が見えてきた途端

緊張が解けたせいかお腹が痛くなり、我慢の限界を超えてしまう

周りにそんなに家がないのでそれは助かったけれど

家に戻り汚れたものを洗いながら涙が出た

その後トラウマになってしまったのか、とにかく我慢が出来なくなってしまう

列に並んだり、トイレにいけないと思うととにかくダメになってしまう

それでもバスに乗ったり、母の病院にも行かなくてはならず

何とかしなくてはと悩んだ

介護をしていたから、大人のおむつは近くにあり試したが

老人はどちらかというと便秘になりやすいらしく

尿パッドが主で水みたいな下血ではダメで、しかもかさばるので良くない。

潰瘍性大腸炎向けのおむつを開発してほしいと本気でおもった。

夜用の生理用品もだめで、ふと思いついたのが

赤ちゃんのおむつ。水みたいな便だから良いかもと

パンツ式ではないものでLサイズを使ってみたらすごくいい

最近のものは臭いも吸収してくれるし、その頃は

失敗しても、量が多くても、ほとんど外に漏れることは無く

ほかの人には解らないですんだ

着けるときは赤ちゃんならわきに留めるところを

ショーツの下に回してとめ、中のわきにある

漏れを防ぐ部分をきちんと立てて使うこと

必ず、女性はガードルなど、男性もぴったりとした

少し厚手の下着を上から履いて固定すること

これで心理的にすごく楽になった。

出かけざるを得ないことも多かったが、出かけるのもそう心配ない

今はトイレの我慢が出来ようになったけれど

心理的にパニックにならないために、

長い時間になりそうなときは必ず使っている

ところで治りかけたときは今度は臭いが心配になった

しかし、孫が生まれ、離乳食が始まって、預かったときに

かなりたくさんウンチをしていても最近のおむつは

鼻を近づけないとそんなに匂わないことを知ったので安心したのだった

まあこんなことはあまり書きたくはなかったけれど

参考になるかもと恥を忍んで・・・・・

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介護の大変さを知る

2010-05-08 15:35:16 | 健康・病気

生活が両親中心に変わり名古屋に10日ほど

あとは実家で生活するようになったが

まず母の先行きが見えない・・・介護保険などの仕組みも

知らなかったので、何をすべきなのかも解らない

その上父がかなりおかしいことがだんだん判明して

うつ状態からは何とか脱したもののお腹の反応はひどくなっていった

クリニックではダメだと思っていたが、時間も体力もなく

頼らざるを得なくなってしまった。名古屋に帰ると毎日点滴に通う生活が始まる

ストレスが強すぎて、全くと言っていいほど薬が効かない

先生にこんな体で介護は無理だと言われ、入院するほどだというのだが

クリニックなので入院設備は無く、しかも大きな病院を紹介されるわけでもない

そのころその先生もなんだか病気だったのか、患者さんがどんどん

減っていき、あまり良くない評判だったらしいが、それは

お隣の方に随分あとで伺った。

とにかくまた体重が減り始める

午前中は何とか父の世話や、母のお見舞い、買い物を済ませ

午後はほとんど起き上がれず、微熱、貧血、栄養失調に陥った

毎晩寝汗でタオルを2回変えたり、トイレがとにかく大変

夜中に10回位は起きた。昼間もとにかくトイレ、トイレの生活で

ご飯の最中も何回立ったことか・・・・・

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介護ストレスで・・・・

2010-05-08 15:16:53 | 健康・病気

取りあえず天然酵母の教室を一時お休みせざるを得ない

ことになって、50人ほどの生徒さんたちの

3月分の振り替えとかいろいろ手続きもしなくてはと

妹たちに来てもらおうとして、思わぬ反撃にあう

下の妹は仕事があり来られないといい、頼りにしていた末の妹には

”私には家庭がある”とつっぱねられた。私にだって家庭があるのに・・・

とにかく、私が中心となって、末の妹が月2回手伝いに来てくれるように頼み

月1回真ん中の妹が2泊3日で助けてくれることにはなったが

それから体調のこともあり先の読めない状況で私自身がおかしくなってしまう

うつ・・・になりかけたのだ

自分が今何をしているのか、何をしようとしたのか

判らなくなる。涙が出て、世界がすべて変わってしまい

出かけても途中でなぜ自分がそこにいるのか判らない

初めての経験だった。実はその頃のことは、介護に行っていたことも含め

今でもほとんど思い出せない。ただ神様が助けてくれたような気がするが

3週間くらいの間だった、その立ち上がるきっかけは忘れない

車の点検があったのでどうしても行かなくてはならず

運転して出かけた。2時間ほどかかると言われ

座って待っていたのだが、落ち着かないので

近くにある書店に入った。見るともなく、なぜか

ありがとうは感謝の言葉という本を手にとっていたそしてレジで

支払いをしていたら、隣に以前所属していた料理教室の先輩がいた。

7~8年ぶりで、しかもそんなに親しくしていた方ではなかったが

お茶を飲みましょうと誘われ、近くのカフェでいろいろ話した。

介護の経験のある方で話を本当に共感して聞いてくださったのだ

“誰もが通る道だからがんばって!!”頭の中の霧が少し晴れて元気が出た

家に戻り、ありがとうは感謝の言葉の本を読んで

立ち直るにはこれしかないと感じた。

娘が今でもあの頃のお母さんはすごく変だったというが

最初は簡単にありがとう感謝しますとは言えなかったけれど

オウムのように繰り返して言っていたら

娘がまずやさしくなった。そして、妹たちも・・・・

私自身自分が介護をしなくてはという気持ちになっていった

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介護のために・・・

2010-05-08 14:38:15 | 私のこと

もともと48kgくらいあった体重が3か月で42kgになり

ようやく1kgちょっと増え始めた3月上旬(正確には6日)

夕方4時ころ実家のご近所の方から電話をいただいた

母が倒れて救急車で運ばれたとのこと

この10年ほどの間3回ほどこのような状況があって

割と軽く済んで回復も早かったので、心配しつつ楽観していた

しかし、父の食事の心配や、入院の準備もあって、

すぐ行かなくてはと思ったが、、私自身まだ回復していないし

自分の不安のほうが大きく、クリニックの夕方の診察時間を

待って、栄養剤を点滴してもらい、車で信州に向かった。

病院に着いたのは夜8時を回ってから・・・

母は脳内出血で顔がすごく腫れ別人のようだった

まず1晩で様子を見るとのことで

葉山と長野の妹2人も10時ころ到着して実家に戻る。

実はその半年ほど前から父に認知症の症状が出始めていて

母は、お父さんがおかしいとよく電話をかけてきていた

一挙に2人の介護の生活が始まる

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