日常茶飯・・・木の葉のお皿

潰瘍性大腸炎*その治療から間質性肺炎を発症
料理の講師をしながら…日々の生活や毎日のごはんを
書き留めています***

帯状疱疹に・・・・

2011-05-20 14:08:59 | 病歴

妹一家が来たり名古屋から夫のボランティア仲間が七人泊まりがけで

信州まで間伐に来たり・・で私としては全然疲れたと思っていなかったが

先週から帯状疱疹にかかって大変な思いをした。唇からあごにかけて発疹が出て食事もままならずバナナだけとかそんな感じだった。皮膚科の薬を飲み、塗り薬も併用して、ちょうど一週間たって何とか神経の痛みも取れ、食事も元に戻った。

帯状疱疹です。5日分の薬を出すのでそれで痛みがまだあったら

来て下さい。・・・・皮膚科の先生が言われたのはそれだけ

病気の説明も注意することも・・・どうしたらいいの?

今みたいにインターネットで調べられるからいいけれど

現在は酵素を日に三回・・量も少し増やして、サプリも普段の三倍飲んでいるが

20年前にかかった時より神経の痛みは少ないように思う

以前ならまずお腹に来た(昨年の夏まさにそうなった)

腸はかなりいろいろに耐えるようになったみたいだ

けれど身体の疲れや精神的な疲れに耐える体ではないことを実感

年齢もあり・・・・これからは体力をつけることも大事かもしれない

頑張ります


” かんかい”の定義

2010-10-19 11:17:26 | 病歴

寛解・・・・

調子が良くなると薬をあまり飲まないできたので

急に私は寛解が良く解っていないと気になった

私の中ではだいたいほとんどの食べ物は食べられて

生活も普通ならば良しとしてきた

ただし子供のころから下痢はいつものことで

お腹の調子はいつもいつも気を使っている状態

便もどちらかといえば柔らかいほうが多い。トイレの回数も多い

今は全く薬を飲まないでいるが処方された薬を飲んでからやめていた時と

同じような感じなのだ。この状態で仕事や旅行(海外旅行も)をしてきた

常に心配が付きまとうがこの状態は私にとって寛解なんだけど

どうなんだろう?


ゲルマニュウムと千坂式

2010-04-28 14:49:18 | 病歴

毎年冬に入るころとか梅雨のころとか

寒さに向かい体がついていかないときに

体調を崩すことが多かった

2006年11月たぶん牛乳・・・使うときは低温殺菌のものを使用

・・そのままは飲まないけれど、仕事で使ったり、調理によっては使っていた。

低温殺菌だから賞味期限が短いので注意はしていたのだが

下痢がどんどんひどくなってしまった。体重がどんどん減っていった

家での天然酵母のパン教室は何とかやっていたが

外での講座はすべてお断りする事態に・・・

出かけるのが大変で、結局近くのいつものクリニックに通っていた

2月に入っても、病院以外家から出られず

教室の買い物とあとの片づけはすべて娘にやって貰っていた。

その頃スピルリナの友人が8000円するゲルマニュウムイオンを含んだ

飲料水を持ってきてくれた・・お金は要らないというので、そういうことは

嫌いだし、さんざん断ったのだが置いて帰っていった。

それは飲むと体がちゃんと受け取っているのが解るものだった

その後は720ml1本を1週間で飲んで回復に向かう力になったと思う。

その時クリニックの先生の処方は効かなかったのでダメと感じていた

その頃に友人は自然食品の仲間に病気を克服して人がいるのでと

会社を通じて(個人情報もあり会社の方から了解を取って貰い)

電話番号を教えてもらった。千葉県の方だった

電話でいろいろとアドバイスをして貰う

ご本人は千坂式の食事療法とスピルリナ1日150粒も飲んでいるそうで

体験は話すと一緒・・お医者さん選びは大事で

専門のところに行ったほうが良い、小さなクリニックはダメと言っていた…その通りだ

千坂式は本がいくつか出ていて

自分の体の症が解るようになっている

私は陰性のアルカリ体質。体質に合った料理も載っているので参考にするとよい

ただし、そのまま取り入れるにはちょっと難しいかもしれない

私も考え方を学んでかなり崩してしまっていたから

体重の減少が止まり少しずつ回復し始めたのは2月の終わりだった


盛岡に移転

2010-04-15 13:17:28 | 病歴

10年前はまだ病気のことが広く知られておらず

今のように情報を探せなかったので

先生の言うことだけが頼りだったけれど

若い男性がかかることが多いから私の年齢の場合

まず???という反応で先生たちが知識を持っていても

くわしく知らないことがあった

盛岡の医大病院に行ってまた初めから内視鏡検査

2か月間で3回目・・・専門の先生はおとなしい感じの方だった

ただ、今はどうかわからないが、その頃

先生はもう一人と机に向かい合って座っていて2人の作業、そして投薬

触診、検温も何もなく血液も含め検査がすべてなのが驚いた

けれどその後はどこに行っても同じようなので新しい診療の方法だったのかも・・

その頃は岩手に温泉がたくさんあって30分くらい行けば入れたので

毎週土曜日には温泉・・これは良かったと思う

住んでいた2年間ときどき大変なこともあったが

ステロイドで調整しながらある程度以上には悪化せず

夏は登山、冬はスキー、盛岡の女性情報誌の編集ボランティアを

しながら雫石町の町おこしのお手伝いをして過ごした

医大の教授の発案で患者の会が発足されることになり

でかけたところ、先生の最初の一言が

この病気は治りません。みなさんがこうしてみたら良かったとか

症状が改善したということがありましたらお話しください

あまり盛り上がらず、ただ治らないんだという言葉だけが残った

その後その先生はいなくなってしまい会は消滅した?ような・・・