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だけど こころなんて
お天気で変るのさ
長いまつ毛がヒワイね あなた
メールだって、だ、で終わるか、だよ、で終わるか、消したり付けたりするじゃないか。いい歌詞は一字一句吟味され、尽くしている。限られた言葉数の中で伝えきるためには、聞き手の想像力を利用するし、言葉を限るほど、読み違えを許してしまうこともおこるんだろう。あえて、いろんな解釈を取れるように作られた歌もある(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」はその典型か)だろうが。言葉を気安く並べる説明的な歌詞には想像力も働かないし心は動かない。ただ、読み違えるギリギリまでも言葉を落とし残った言葉には力がある。
「だけど」
このいかにもな唐突、せわしなさこそが、時代の気分だったろう。
「ヒワイ」
この言葉にこの曲の全てがある。ピッタリだ。つまりこの言葉があると無しでは、曲が違ってくるということ。
建築はディテールで決まる。たった言葉一つが、曲の全体を左右してしまうのと同じように、ディテール(部分)が、建築(全体)を決定することが起こるだろうし、その逆に、建築(全体)を台無しにする事もあるだろう。これしかないっ!というディテールまで詰めきれていない自分に帰り、今夜も酒を少々、浅川マキを聴き、歌から建築を学んでいる。
お天気で変るのさ
長いまつ毛がヒワイね あなた
メールだって、だ、で終わるか、だよ、で終わるか、消したり付けたりするじゃないか。いい歌詞は一字一句吟味され、尽くしている。限られた言葉数の中で伝えきるためには、聞き手の想像力を利用するし、言葉を限るほど、読み違えを許してしまうこともおこるんだろう。あえて、いろんな解釈を取れるように作られた歌もある(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」はその典型か)だろうが。言葉を気安く並べる説明的な歌詞には想像力も働かないし心は動かない。ただ、読み違えるギリギリまでも言葉を落とし残った言葉には力がある。
「だけど」
このいかにもな唐突、せわしなさこそが、時代の気分だったろう。
「ヒワイ」
この言葉にこの曲の全てがある。ピッタリだ。つまりこの言葉があると無しでは、曲が違ってくるということ。
建築はディテールで決まる。たった言葉一つが、曲の全体を左右してしまうのと同じように、ディテール(部分)が、建築(全体)を決定することが起こるだろうし、その逆に、建築(全体)を台無しにする事もあるだろう。これしかないっ!というディテールまで詰めきれていない自分に帰り、今夜も酒を少々、浅川マキを聴き、歌から建築を学んでいる。
意味の通じる程度の文章なら誰だって書けるけど、気持ちが通じる文章となるとなかなか難しいです。文学でも音楽でも料理でもそこから先ですね。
この間の、三島由紀夫の文章が断片でできている、という話を思い出しました。言葉を最小限に絞って文章に書き、そのイメージを読み手が頭の中でつなげていって、ひとつの情景が完成するという。
文学でも、映画でも、もしかしたら演劇でも、同じなのかもしれないと思いました。
三島の先輩、川端康成の小説「雪国」、あの有名な出だしの文章、そらで言えますか・・・・・・・・・・トンネルを抜けると、そこは雪国だった・・・・・・・・・・そんなところでしょうか。正解は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
建築でも名作ディテールというのがありますが、文学も同じのようです。そして実は、なんとなくは知ってるけど、まぁ書き手が思うよりはいい加減に読み手は雰囲気で記憶しています。建築も。だからといって作者はいい加減でいいとも思えません。この雪国の出だしは、何度も書き換えられていると聞いた事があります。そして残った言葉。文章の解釈をするのは野暮なのでここでは控えておいて・・・