二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

世の中にはいろいろな人がいますね。

2007年05月30日 03時20分46秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今日の名古屋は少し雨がぱらつき始めました。気温はちょうどいいのですが、日差しがありません。梅雨入りにはまだ時間がありそうですが、憂鬱ですね。
 ベッドの上布団を、肌掛け布団に変えました。ベージュの何のへんてつも無いもので、ベッドに華やかさが無くさびしいですね。カバーかなにか買ってこようかな。でもまあ、飽きの来ないシンプルなデザインなのでこれでいいか。
 さっきから、中島梓さんのサイトを覘いているのですが、なかなか更新されません。今日は体調が悪いのかもしれませんね。と思ったら更新されてた。ちょっと覘いてきます。うーむ、今日は音楽の話でしたね。楽器が趣味なんていいですね。
 学生時代は高校から大学まで、部活動に入った事がなくて、もったいなかったかなと思うのですが、なんかああいうなかよしこよしの世界は苦手で、ちゃんと頑張ってたら、人間関係の勉強になったと思うのですが、バイトばかりしていましたね。ある意味これも社会勉強かもしれませんが、まあ学校が学校で、最近は頑張ってるみたいだけど、あの頃の中京大学は、中小企業しか就職先が無くて、ひねくれていましたね。どうせエリートにはなれないしって。そしたら、同じ高校の同級生が同じ法学部だったんだけど、なんとあの、JR東海に入社して。すげーじゃん。と思って、何で同じ高校でこうも違うんだってショックを受けて、僕はバイトばかりして一年留年したのですが、その人は、真面目に勉強して、行政書士の資格も取ったみたいで、その人は推薦で大学に進学したのですが、真面目に生きているといいことがあるんだなと思いましたが、やっぱり、やっかみの感情を持ってしまって、しばらくというかとうぶん落ち込みました。今はどうしてるか分かりませんが、あんまり会いたくないですね、現状が現状だけに。
 あの頃の母校の名古屋高校から、推薦ではなく受験で進学したのですが、受験で進学した人は少なかったと記憶していましたが、ちょっといい気になっていたのかもしれませんが、本当は受験戦争とまでは行きませんでしたが、あれだけ頑張って結局一流企業に入れない、中京大学かと思って、バイトに精を出して、いやな事を忘れようとしていました。そしたら、ソフトドリンクの味見のし過ぎで、虫歯になっちゃって、10代でブリッジの入れ歯をつけることになっちゃって、泣きっ面に蜂でしたね。
 その喫茶店の経営者は強烈で、歴史の講義の話をすると、ママさんと呼ばれていた、オーナーの配偶者が、「面白い?」と聞いてきて、なんだか勉強するのが悪いみたいな言い方をされて、ああ世の中というのはこういう風になってるんだなと、おぼろげに感じましたね。どう考えてもかたぎ上がりじゃないオーナーとその妻と子供。高卒で体力勝負の飲食業を、何店舗か経営するまあ当時としては、やり手だったかもしれませんが、今は一店舗しか開いていなくて、その店もしまりがちになり、オーナー家族は、離婚して家も売り払って、ざまーみろって感じですが、経営に人を使うという事は難しい事だと思いました。父と母は、人を極力使わずに、二人で切り盛りしてきて、地道にこつこつと働いてきて、今の生活を維持しています。今度は僕が、この家を支えていく事になりそうですが、どう生きるべきか分かりません。でもまあ何とかして、生活水準を上げて行きたいです。
 今日も Mika Yoshida さんが、美しく、元気で、幸せである事を祈りつつ失礼致します。
 それでは。

 曇り空ねずみ色した空見上げ昔は雲をどう認識し

 喫茶店珈琲色の飲み物に人は何故だか毎日飲んで

 気が付けば我が家の庭は花満ちて母の力で明るく咲いて

 God bless you!

 

コメント
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