今の日時は
05月29日(日)
午後15時57分です。
今日は
静かな
環境で
書いています。
今日の名古屋は
一日中
雨が降っていて
今もまた
強い風と共に
窓に雨の
当たる音が
します。
今日は
精神的に
気分が
不安定です。
昨日の夜から
ある場面を
ふと思い出すと
涙が
出てきます。
それは
窈ちゃんへの
葉書にも
書きましたが、
昨日は
星ヶ丘三越へ
出向いたのですが
中華料理屋さんで
食事を
しました。
その時
おばあちゃんが
一所懸命、
美味しそうに
食事を
していて
その姿が
とても
痛ましく
見えました。
子供の頃
食事が
満足に
食べられなくて
美味しいご馳走を
食べる時に
子供の頃の
ように
戻って
痛々しい
食べ方に
なるのかなと
いう事を
思い出したら
昨日の夜から
今日の昼間に
かけて
特に今日の昼に
号泣を
しました。
僕の拙い
書き方では
意味が分からない
のかも
しれませんが、
そうやって
一所懸命
食べている
所を
ご両親が
幸せそうに
見守って
いたのだろうなと
思うと
泣けて、泣けて
仕方がなかった
です。
自分は
餓えた記憶が無く
いつも
食事を
できましたが
おばあさんの
世代は
食べ物が
無かったという
事を
聞いた事がある
のですが、
僕の家には
祖母が
いなかったので
直接
聞いた事は
ありません。
興正寺の縁日に
出向くと
そこに集まる
お年寄りは
皆、背が小さくて
食べる物が
無くて
苦労したの
だろうなと
思います。
天皇陛下さえ
そうであったという
事を
何かで
読んだ事が
あります。
戦前
戦中
戦後と
その時代を
生きた方々が
今の日本の
繁栄を
もたらしたのだと
思いますが、
その孫にあたる
自分は
ろくに働きも
せず
毎日
ブラブラ
しています。
たぶん
そのせいで
日本の社会が
活気が出ない
のでしょう。
その責任を
感じます。
でも
今日も
これを
書き始める
までは
とても
気分が
悪かったです。
つまり
病気です。
精神を
病んで
しまいました。
おそらく
両親の
どちらかが
倒れたら
特に
母が
寝たきりに
なったら
我が家は
もう
普通の生活が
できないでしょう。
僕も
調子を崩して
病院に
入院を
するか
病院の
デイケアで
過ごす必要が
あります。
今は
父は何も
言いませんが
こんな調子の
息子を
今のうちは
面倒を見て
施設に
入れずに
いてくれて
いるけど
死ぬまで
僕の面倒を
看てくれる
訳も行かない
でしょう。
たぶん
もう一度
徹底的に
調子を
崩して
入院したら
もう
退院しても
デイケアで
過ごす羽目に
なると
思います。
社会復帰が
できなければ
それが
現実でしょう。
今が
僕の
ぎりぎりの
幸せの
生活です。
社会に対して
なにも
貢献できない
人だから
それは
それで
仕方が
ありませんが
厳しい現実と
いえば
それが
現実です。
どんな未来が
待っているか
自分でも
よく分かりませんが
病気で苦しむ
事が
無くならないのが
現実でしょう。
今まで
自分のその
現実に
背いて
きっと
大丈夫だと
思おうと
思っていましたが、
無理のようです。
悲しいけど
日常生活が
親に
依存を
しているようでは
生活が
できません。
洗濯も
やり方を
知らないし
料理もできません。
当然
経済力が
無いので
結婚も
できないです。
今まで
その寂しさを
補うために
一青窈さんに
恋心を
ごまかして
いましたが、
現実の
恋愛は
相手に
迷惑を
かけて
しまうので
できません。
でもまあ
楽しい夢を
見させて
頂きました。
まだ
しばらく
窈ちゃんへの
想いは
続くと
思いますが
申し訳
ありませんが
想わせて
ください。
しばらくの間は。
窈ちゃんを
想えて
幸せでした
どうもありがとう。
それでは。
しばらくは花であなたがいたならば寂しさもあるでもありがとう
God bless you !