二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

「菊水 ふなくち」ってあったけど、お神酒は何がいいのかな?

2007年05月02日 06時23分50秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんこんにちはお元気ですか?
 今朝は小雨がぱらつく、気分が沈みがちな天気ですね。でも、僕にとっては癒しの雨かもしれません。こういう朝は、子供の頃を思い出します。
 昨日は神棚にお供えする、お神酒とお塩をコンビニで買ってきて、それと小さいお猪口ぐらいのガラスのコップにお米を入れて、お水はミネラルウオーターの空瓶に浄水機能の付いたキッチンの水を入れてお供えしました。榊は昨日母が緑のものを活けた花瓶を右に、左には昨日つかった薔薇の花の造花を、お供えしました。何とか格好がつきましたが、一ヶ月に一回はお米とお神酒ぐらいは変えようかなと思っています。お水は毎日取り替えて、自分で飲んでいます。
 昨日は台湾料理屋さんへ行って、夕食にラーメンとギョウザを食べてきました。中国の特級料理人の作る料理は美味しいです。定番をこれだけ飽きずに食べられるというのは、珍しいのではないでしょうか。「美味館」というお店です。
 昨日は夜寝る前に、いろいろ考えていて、ノートに書き写していた、俵万智さんの短歌を読み直して、凄く綺麗な歌で、しかもこの人そういえば早稲田出て、教師をしていた人だよなと思って、やっぱり実力の差は歴然としていて、僕が一番認めたくないことは、「自分が無能であるという事」だという事に気がつきました。
 また心というものに対して、新しい発見があったというか、人間はご飯を食べるだけだと、人間とはいわないのではないかと思いました。毎日決まった時間にお水と、塩の入ったパンを食べていれば、生きて行けますが、それだけだと、気が狂うのではないかと思いました。
 キリスト教の教えで、「人はパンのみに生くるにあらず」という有名な教えがありますが。それがすなわち心というものではないでしょうか。人間はなぜ美を求め、宗教を信じ、そして愛を求めるのか。その問いに、残念ながら僕は答えを出せませんが、現代を生きる者として、今の社会に自由があるということに感謝します。
 昨日は三越栄店のトゥミショップから電話があって、名前の再登録に、一ヶ月ぐらいかかるそうです。それくらいならいいかと思うのですが、単純なミスで、これから気をつけて欲しいです。
 神棚を安置して、思ったことは、僕は結構神道に対して信心があったのではないかという事です。お供え物のお神酒の銘柄をどうしようと少ない種類でしたが、結局なんか綺麗な名前の月桂冠にしましたが、銘柄を選ぶだけ、それだけでも楽しいなと思いました。お供えしたお水を飲むとなんだかすがすがしい気持ちになるし、そういえばお供えするものは、どれも貴重だけど、人間の生活に密接に関係するものであるし、古来からの伝統の中で、脈々と受け継がれてきた、人間とって必要な物が、今の時代にも貴重で且つ必要であるということは、如何に日本人が賢かったかということを物語っているのではないでしょうか。塩なんかは昔は貴重品であったと思われますが、それを神棚にお供えするということは、日本人にとって神が如何に重要であったかと思われます。八百万の神と申しますが、古来の日本人の知恵の深さに、ただただ恐れ入るしだいです。 
 また、今日の日経によると、景気が回復していて、機械と鉄鋼がバブル期を抜いたそうです。今後は賃金も上昇するようですし、ますますの発展を望みますが、一番お金が自由になるいわゆる団塊の世代の人々の生き方によって、社会のあり方も変わってくるような気がします。
 またイギリスのハリー王子がイラクへと赴くようで、無事に任務を全うすることを祈ります。
 Mika Yoshida さんが今日も幸せで、元気であることを祈りつつ今日は失礼致します。
 それでは。

 多大なる多くの物を失いて神に祀るは幸せのこと

 世の中に活気が戻り民笑みてこの国の事未来は来たり

 花無くば緑は増えず枯れ行きて命の為の美しきもの

 God bless you!

 

コメント
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