かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

ウィーン軍事史博物館(30)

2015-12-22 21:17:53 | 旅行
これはライフル銃かと思ったら、変な形の木でできた部品に小銃が付いている。
後ろにはオーストリア=ハンガリー二重帝国軍の軍旗が見える。


鉄かぶとの両側にある物体は、本当に何だかわからない。
前にはナイフやバッジ(勲章の一部か)がある。
良く見ると金属の色が違っていたり、宝石のようなものが嵌まっていたりと、細工が細かい。


これは大砲(回転装甲砲筒)を手前から見たもの。
砲弾の大きさに驚く。


これも大砲の一部。
向こう側に見学している人たちが見えるが、この人たちは1階の床を歩いている。
わたしがいる場所が中2階のようになっているのである。


大砲の先の方。
中2階に展示してあるので、他の武器や展示物に狙いを定めているようにも見える。


これは写真が横になってしまったが、帽子や軍服である。
手前に大きく写る軍服の背後にぼんやり写っているのは、腕章からして衛生兵の制服だろう。


この1列ボタンのシンプルな形の制服は、ドイツ系軍人のものだと思う。
だいぶ前のブログに載せた凝った紐飾りの軍服は、ハンガリー系軍人のものらしい。


これは医療器具や薬瓶の数々。
衛生兵か看護兵が持っていたものだろう。
この写真に写っているものは、用途が何であるかだいたいわかる。


これは写真が暗くてわかりにくいが、下の方に展示してある箱。
中に何か入っている(たぶん医療器具や薬品)。


医療器具などの下には、このような折りたたみ式の寝台がある。
野戦病院で使われたものだろう。

墺国選手権2016

2015-12-21 21:47:42 | フィギュアスケート
表記の大会が先週(12月16日~19日)インスブルックにて開催された。
シニアとジュニアの結果は次の通り。

シニア女子(出場11名)
1. Kerstin Frank 156.58
2. Berinda Schönberger 136.90
3. Lara Nichola Roth 131.70

シニア男子(出場4名)
1. Mario-Rafiel Ionian 184.61
2. Manuel Koll 164.79
3. Albert Mück 116.33
4. Simon-Gabriel Ionian 110.08
1位と4位は兄弟(マリオ君が兄)

シニアペア(出場1組)
1. Miriam Ziegler / Severin Kiefer 161.86

シニアアイスダンス(出場1組)
1. Barbora Silna / Juri kurakin 146.82

ジュニア女子(出場21名)
1. Alisa Stomakhina 123.76
2. Nathalie Klotz 118.05
3. Violette Ivanoff 107.78
シニア3位のララちゃんはジャンプの失敗が響いてジュニアでは5位(103.06)

ジュニア男子(出場4名)
1. Luc Maierhofer 154.63
2. Johannes Maierhofer 113.04
3. Livio Mayr 102.04
4. Valentin Eisenbauer 73.76
1位と2位は兄弟だが、上位のルク君が弟でしかもまだ13歳(兄は18歳)

ジュニアアイスダンス(出場1組)
1. Elisaveta Orlova / Stephano-Valentino Schuster 97.46


その結果、来月のヨーロッパ選手権と3月の世界ジュニア選手権に派遣する選手が決まった。
シニアはそれぞれ、1位の選手が、
ジュニアは女子が2位のナタリー・クロッツ選手が選ばれた以外は1位の選手が選出された。
たぶん、1位のアリッサ・ストマキナ選手がミニマムスコアを持っていないからだろう。


女子の2位になったベリンダさんは、2010年冬に行われた墺国選手権で優勝したが、
翌年2位になったのを最後に、3シーズン国内選手権への出場がなかった。
故障が長引いたせいで、国際大会への出場もほとんどなくなり、ナショナルチームからも外れた。
そのため、引退したと思っていたが、今季から本格的に復帰してきた。
1位のフランクさんとは大差が付いたが、よくここまで戻してきたなと思う。
170cm近い長身で、長い手足を生かした優雅な滑りが特徴である。
(特に2011年のフリー『月の光』(ドビュッシー)が印象的であった)

男子の方も思いの外大差が付いた。
と言うより、昨年から国内選手権の点数がインフレしているような気がする。
(それは、頭1つ飛び抜けていた人が引退したからである)
マリオ君は初めてのユーロで、かなり昔に世界ジュニアに出て以来の久しぶりのISU大会である。
ショートもフリーもルッツやフリップが入っていないのが気にかかるが、
たぶんユーロでは構成を上げてくるだろうと思う(でないと戦えない)。

表彰式でのマヌさんの表情が何だか淋しげなのが気になった。
年明けには自分の理学療法スタジオを開業する予定だそうで(FBに写真を上げていた。
夏場のブログに「自分専用のトレーニングジムを造っているらしい」と書いたが、
理学療法とフィットネスのための施設だったのだ。)
このまま引退しそうな感じがする。
しかし、仲間と一緒におどけた表情をしてみたり、ベリンダさんとの2ショットで笑顔になったりという
写真が上がっていたのでほっとした。

ただ気になったのは、ベリンダさんもスタイルはいい方なのだが、
彼女よりもマヌさんの方がウエストが細いような気がすることである。



ウィーン軍事史博物館(29)

2015-12-20 10:19:10 | 旅行
ここからまたまた軍服の展示(何度目だ)。
左側はマントを羽織っている。
ここにあるヘルメットはまさに『鉄かぶと』と呼ぶのがふさわしい形態である。
後ろには新聞記事が貼ってある。
右の説明を読むと、表題は『Villa Giusti(地名と思われる)での停戦宣言』とある。
地名からして、イタリア国境での戦闘だろう。
このあたりでは、墺国、イタリア双方に多数の死傷者が出た。
アルプス越えをする墺国軍という写真を別の場所で見たことがあるが、とてつもなく過酷だったことがうかがえる。
銃の発射により雪崩が引き起こされて多数の兵士が亡くなったというのもギネスブックで見たことがある。


これらも兵士(歩兵)の制服。
首から双眼鏡を提げているのは偵察兵だろうか。

この体に多数付いているポケットには何が入っているのだろう。
大きさからして手榴弾のような気もする。

上記2枚の写真には、背後に当時の戦場や破壊された町の写真パネルがある。

これは大きな装備の一部。


これは軍服の上に着る革のコート。
右側にある布には『航空機報道』と表題がある。
たぶん空軍兵士の装備品なのだろう。


これは空軍機を撮した写真。
2人乗りの戦闘機で、後ろに座る兵士が砲弾を落とそうとしている図である。
兵士のどちらもが上記の革の上着を着ているのがわかる。

この当時は、人が乗ることのできる航空機が実用化されて10年あまりしか経っていないはずで、
空襲と言ってもこのように2人がかりで空から砲弾を落とすしかなかったのだろう。




ウィーン軍事史博物館(28)

2015-12-19 22:04:13 | 旅行
これは実際に戦場から回収した物資のようだ。
弾薬などの他、食器などの日用品も見える。
展示の仕方が不気味で恐怖感を煽る。


この長椅子は何だと思って良く見ると、車椅子だ。
椅子に載っているのは、墺国の紋章の入った紙と、義足。
後ろにあるのは義手である。
後ろには、戦闘で脚を失った兵士の写真と、義足などを作る工房の写真がある。


ここにも脚を失った兵士の写真が複数ある。
飾ってある物体はコルセットのようだが、たぶん障がい者となった兵士の装具だろう。
背後の中央に展示してある大きな絵は、何かのポスターのようだが、
昔風のドイツ書体で書かれていて読めない。
左下には何かの書物がある。


書物の左側にはチラシやパンフレットや書籍がある。
説明書きによると、書籍は戦争に関する科学的文献や小説だそうだ。


この軍服は、襟の色からしてドイツ系歩兵のものと思われる。
後ろにある説明書きには、「このあたりの展示は戦争記念品である」というような内容が書いてある。
勲章が並んだその後ろにある何だかわからない形のモニュメントは、
チラシによると墺国の戦争記念碑を撮したものらしい。
無名の兵士を象徴したものだそうだ。


ここまで来て、わたしは自分が順路を間違えているらしいことに気づく。
この博物館には順路を示す矢印などはないが、
展示物のそばにあるパネルに番号が示してあり、
わたしの回っている順番が昇順になっていないのである。
周りを見ると、他の観覧者たちもみな、思い思いに見て回っている。
見落とさない限りは、これでいいか、と思い直してまだ見ていない展示の方へ足を進める。


ウィーン軍事史博物館(27)

2015-12-18 21:27:51 | 旅行
これは再び大きな武器の展示。
右は回転装甲砲筒、左はシールドの付いた大砲のようなもの。
背後の壁には戦意高揚が目的のポスターらしきものが貼ってある。
さらに上の方には天井からつるしてある曲射砲の影が写っている。


左側にあるのは砲弾だが、中央少し右寄りにあるのは何だかわからない。
形からして、トルコ軍のものと思われる。


↑の左には回転装甲砲筒がある。
ここにも曲射砲の影が写っている。


これらはヘルメット(どこの国のものか不明)。
照明のせいか、色合いが渋い。


この軍服はどこの国のものだろうか。
先ほどのヘルメットもそうだが、華美で派手な色合いの多かった軍服も
19世紀になると実戦に使われるものはカーキ色のような景観に溶け込む色になっていったという。


これは1917年ごろの戦局を表した地図。
膠着状態の西部戦線、イタリアやバルカン半島での地上戦に加えて、海戦が始まったことがわかる。
海戦の中心となったのはドイツとイギリスである。


これはサラエボ事件のときの自動車を正面から撮したもの。
この頃のボスニア=ヘルツェゴビナは1908年に帝国に併合されたばかりで、
治安面でも危険がいっぱいだから訪問は控えるようにと周囲が止めたのに、
頑固なFFはそれらの忠告を無視してサラエボを訪れ、結局命を落とすことになったのである。