かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

夜のグラーツ大冒険(4)

2015-09-30 21:09:55 | 旅行
スマホ(iPhone)の小さい画面に写る地図を頼りに、とにかく歩き出す
本当に正しい道を歩いているのか不安だが、
目的地へのルートを表す線が少しずつ短くなっているので、道は合っているのだとわかる。

公園に沿った道を交差点まで歩き、そこを左折する。
この交差点は五叉路で、曲がった方向が正しいのかわかりにくい。
比較的交通量の多い通りを北東方向に進み、すぐに右折すると、
そこはレストランやバーの並ぶ路地である。

目的地の『Lokal Mueller』はすぐに見つかった。
「Grüß Gott!(こんにちは)」と言いながら、店に入る。
店の真ん中へんのテーブルに、KさんとパートナーのZさんが待っていた。
KさんもZさんも、墺国のフィギュアスケート選手である。
男性のKさんとは、2年以上前にFacebookで友だちになった。
わたしが自分のウォールに載せた墺国シニア男子のイラストを気に入っていただき、
それをしばらく自分のトップ画像にするという恐ろしいことをしてくれた
やせ形が多い墺国男子の中ではがっしりした体格で、力強い演技が魅力的である。
Zさんは、4年前のバンクーバー五輪に女子シングルの選手として出場していた。
(この試合は録画したものを見たが、高いジャンプが印象に残る選手だった)
その後一度は引退したが、前年(2013年)春にペアの選手として復帰し、
Kさんと組んでこの年のソチ五輪に出場した。
実は、この年(2014年)春にさいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権で、
彼らにプレゼントを贈って、無事に受け取って貰えたのである。

挨拶を交わし、わたしは彼らの向かい側に座る。
わたしやこの後来る友人のために、席を予約しておいてくれたのだが、
予約席だということを示すプレートに書いてあるKさんの名前の表記が間違っている。
Kさんは苦笑いしている
Zさんはこの時兵役中で、(彼らのFacebookのページでそのことは知っていた)
翌日が訓練の最終日だと言う。
ちょっとお疲れの様子だが、にこやかな表情である。

Zさんに「バンクーバー五輪見ていました」と言うと、
「あまり上手にできなかったので、あの試合はちょっと残念だったわ」と返ってくる。
さらに「その後引退したと聞いて、寂しいと思ったけど、ペアで復帰したと知って嬉しかったです。
ソチ五輪もさいたまワールドも応援していました」と言うと、
Kさんが「僕がペアに誘ったんだ」と答える。
今シーズン(2014~2015年)は、ふたりともペアに専念すると言う。
(前年はふたりともシングル掛け持ちで、墺国で行われたアイスチャレンジや国内選手権では
シングルとペアの両方に出ていた)

この後に、グラーツ在住の友人夫妻がいらっしゃるそうだ。




愛があるから叱るんだ

2015-09-29 22:25:04 | フィギュアスケート
我が家には、なぜか2003年1月に行われた全米選手権のビデオ(VHS)がある。
BS放送で放映していたのを録画してあったものだ。
昔のN○Kの衛星放送(BS)は、全米選手権や世界プロフィギュア選手権など、
フィギュアスケートの放送が今よりも遥かに多かった。
1990年代は、『ケリガン選手殴打事件』とその後の経過から、アメリカでのフィギュア人気が過熱し、
多くの大会やショーが開かれていて、それをBSで放送していたのだと思われる。

件のビデオの冒頭や途中に、興味深い話題が挟まれていた。
アメリカで初めてのアフリカ系選手→コーチとなった女性を取り上げたドキュメンタリーである。
フィギュアスケートという競技は、昔はヨーロッパ勢が圧倒的に強く、その後北米勢が加わるといった形で、
アジアはそこまで強くはなかった。
また競技の性質上、アフリカ系の選手は不利であるとされた。
しかし、1970年代にはアジア人(日本人)の世界選手権メダリストが誕生し、
1980年代にはアフリカ系アメリカ人の金メダリストも誕生した。

1980年代からのアメリカのメダリストを見ると、
中華系、イタリア系、日系、ヒスパニック系、東欧系などの選手がいる。
多民族国家のアメリカを象徴しているような気がする。
中華系や日系や韓国系の選手が多い(特に女子)のは、
同じ頃からアジア女子がフィギュアの世界を席巻しているのと無関係ではないだろう。
演技のあらゆる所に気を配り、細やかな音楽表現が要求されるといった点が東洋人に向いているのかも知れない。

私の好きな(元)選手は、選手として最後のシーズンになった年に、ドイツの雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。
今、コーチとして何人かの選手を見ている。
その中に、有望な選手がいて、その子はアジア系だ。
その選手が、ピーター君だろうと思う。
2014年1月のデラウエア州の地方紙によると、彼はその時点でスケートを始めて2年半だったそうだ。
よりよい環境を求めて、隣の州から家族と一緒に引っ越してきたそうだ。
先生とは馬が合うらしく、試合中の客席で一緒にいるところがINの動画に映っていた。

これは、その大会で(ジャンプを予定とは変えて跳んだために)先生が叱責している図である。

キスクラでの音声は拾っていないが、表情からして相当強い口調だったようだ。
先生には他にも生徒はいるのだが、ここまで叱ったのは見たことがない。
(少なくとも、INの動画にはそんな様子は映っていない)

その代わり、よくできた演技の時は、先生は最大限に喜ぶ。



これは2015年1月に行われた全米選手権男子ノービスフリーで、
ショート(2転倒で9位)から立て直した演技の後の様子である。
自分の演技の後だって、こんな表情をしているのを見たことがない。
やはり、とても期待している教え子が会心の演技をしたことが嬉しいのだろう。
この後に行われる予選を含めた全米選手権で、またこんな場面を見たいものである。


追記:トニー君は来週行われるクロアチアの大会にも派遣されるようだ。
また夜中に起き出して、YouTubeの公式動画を見ることになる


多民族

2015-09-28 23:00:14 | フィギュアスケート
9月に入り、NHKのBSでは『映像の世紀(デジタルリマスター版)』を放映していた
ドキュメンタリー好きなわたしは、当然全部を見る。
その中で、ハンガリー動乱についての言及があった。
1956年に起こったこの事件は、結局はソ連の介入で鎮圧されたわけだが、ハンガリーから逃れた難民が多数生まれることとなった。
その中のひとりが、ラズロ・キライという若者である。
彼はアメリカに逃れ、アメリカで家庭を持った。
動乱の5年後に生まれた息子は、父と同じようにバレーボールを始め、のちにアメリカナショナルチームの主将になった。
息子の名前は、カーチ・キライ。20世紀のベストプレイヤー(男子)として後に殿堂入りする。
彼は1984年と1988年の五輪でアメリカチームを金メダルに導き、
さらに1985年のワールドカップでは3時間35分の激闘の末、当時無敵と言われたソ連を破った。
(この試合はもちろんテレビ観戦していた)
ソ連が武力鎮圧したハンガリーから逃れた難民の息子が、29年後にスポーツでソ連を破ることになろうとは、
当時の人たちは想像も付かなかっただろう。
なお、この当時のアメリカチームには、チェコ系やラトビア系やドイツ系や日系など、いろいろなルーツを持つ選手がいた。
現在キライ氏は、アメリカ女子チームの監督をしている。
是非とも来年のオリンピックで姿を見たいものである。

話は大きく変わるが、かつてハプスブルク家が支配していた当時の墺国は、まさに多民族国家であった。
国民の3分の1がドイツ人、残りがハンガリー人やチェコ人やその他の民族であった。
この菓子はMade in Austriaと書いてあるのだが、

なぜかパッケージにはイタリア国旗とNo.1 in Italyのシールが貼ってある。
どうしてだろうかと思ったら、この菓子のメーカーの本社はイタリアにあるそうだ。
現在イタリア領になっている南チロルは、もとはオーストリア=ハンガリー帝国の領土だった。
第一次世界大戦のあと、チロルの一部がイタリアに割譲され、
その結果墺国のチロル州が飛び地状態になってしまった。
そのあたりと関係がありそうである。

墺国の男子フィギュア選手たちはゲルマン系(ドイツ系)が多いが、
マヌさんはお母さまの旧姓や本人の顔立ちからして東欧系(おそらくチェコ)だし、
マリオ君は名前だけ見るとイタリアなど南欧っぽい。
隣り合うドイツよりも、墺国の方がより多民族の傾向が強いような気がする。

昨日のブログに名前を挙げたピーター君もまた、中国系アメリカ人である。

この写真だけ見ると、日本人にも見えなくはない。
現在のアメリカのジュニアやその下のカテゴリには、東洋系の選手が実に多い。
後ほど、そのあたりについて言及しようと思う。



初めての国際大会(フリーの巻)

2015-09-27 13:07:27 | フィギュアスケート
昨日の17時30分開始のJGPSトルニ大会男子フリーを見るために、YouTubeを開いて待機する。
カウントダウン画面→オープニング→第1Gの練習のためリンクサイドにて選手たち待機となったところで
突然画面がまっくろになる
スクリーン左側には「配信元の都合により配信は停止されました」と出ている。
いったい何があったんだと思っていると、チャットしている人たちの会話から電気系統の故障だとわかる。
(のちに、トルニ市内の停電だと判明する)
しばらくしてライブ画面に戻るが、この通り

まっくらである。

30分遅れ、いや45分遅れだと情報が飛び交っているうちに、徐々に画面が明るくなる。

薄暗い会場の中、入り口付近や客席の外側を走っているのは、選手たちだろうか。

結局、1時間余り遅れて日本時間の18時30分過ぎに開始する。
かなり待たされてアップをやり直しとなった第1Gの選手たちは、本当に気の毒である。

お目当てのトニー君は第4Gの2番目に滑る。
これは6分間練習が終わった直後の写真。
1枚目の右側にいる大きな選手は、ノルウェーのソンドレ君である。


どちらの写真でも、先生は左隅に隠れるような場所に立っている。
現役時代からそうだが、なぜに腰が引けたような位置にいるのだろうか。

ショートの時は腕を組んで見ていた先生だが、フリーではやや動きがあった。
これはジャンプが決まり、拍手している図

トニー君のジャンプは高さがあって良いと思う。
最初の3Aにつけたジャンプが1Tだったのと、最後のジャンプが2回転になってしまったのが残念だった。

4分間の演技を終えて、お疲れのトニー君と先生(in USAジャージ)

ショートでは12点上げたが、フリーでも9点上げて、トータル180点台となる(もちろんPB)。



先生は、他の教え子の時でも、このような穏やかな感じである。


ただ1回だけ、昨年の全米東地区予選の時、ノービスのピーター君が予定とは違うジャンプを跳んだ後
(3Lz、2A、3T-2T(後半)の予定が2Lzー2T、2A、3T)
キスクラで怖い顔をして叱っていた。
動画で見て「怖いな~」と思ったが、先生は良い演技の時の喜び具合も半端ない。
それだけ期待をしているということなのだろう。

トニー君は6位で終えた。
先生は師弟ともどもにこやかな表情の写真をFacebookにあげていた

来月半ばには、全米選手権の南大西洋地区大会がある。
トニー君やピーター君、そして他の教え子たちもがんばってほしいと思う




初めての国際大会(後編)

2015-09-26 15:53:16 | フィギュアスケート
金曜日、夜中の1時半に目が覚める
寝たのは前日の10時半だから、3時間しか寝ていないことになる。
そこでまた寝ると寝過ごしそうなので、起きていることにする。

YouTubeの公式チャンネルで、男子ショートを最初から見られることになった。
まだ半分寝ぼけていたが、山本選手の(結局漬物石となった)演技から見る。
寝ぼけているせいで、次の鎌田選手が中国のハンヤン選手に見える。

第1グループは、5人中3人がフリーの最終グループに残るという、
まれに見るすごいメンバー揃いで見応えがあった。
そこでようやく頭がはっきりとしてきた。
第2グループの練習が終わった後、引きあげる選手たちに混じって、どこかで見たことある人物が一瞬だけ映った
そして、トニー君の番になる。

潔いほどの黒衣装である(こんな所まで先生をまねなくても良い)。

トニー君は冒頭の3Aを着地は流れなかったが、上手く降りた。
彼のジャンプは高さがあって良いと思う。
また、演技と演技の間に繋ぎがずいぶん入っている印象である。
時々フェンスの外で演技を見ている先生がチラ映りするのだが、
腕を組んでじっと見ているのみで動きがない。
昨季で引退したストリード選手(デンマーク)のコーチ陣くらいに動いてほしいものだが、それは無理な注文か。

この大会のキスクラは、結構音声を拾ってくれて、選手とコーチの会話も流れるのだが、
この人たちは何も喋らない。
表情から察するに、別に機嫌が悪いわけでもなさそうだ。



2枚目は、カメラが撮っていることに気づいて手を振る先生の図、である。
ところで、師弟が着ているジャージは、USAジャージである。
先生は、かつて母国のスケート連盟と揉めたときに、「アメリカ代表を目指します」という
暴挙にでたことがあった(そして、もちろんそれはかなわなかった)。
こうしてコーチとしてUSAジャージを着ているのを見るのは感慨深い。

得点が出る。

先生は一瞬「あれ、低くね?」と言いたそうな表情になる。
トニー君のISUのPBは40点台だったので、約12点上げたことになる。
ショートが終わって25人中6位。
今日のフリーは、最終の1つ前のグループで滑る。
この中には、他にも応援しているソンドレ君(ノルウェー)もいるので楽しみだ。

今日は、最悪でも第4グループまでに入浴や夕ご飯を済ませて、中継を見る予定である。