かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

ヤマト建国の謎が一枚の地図に教えられています

2012-10-17 23:12:29 | かごめかごめの真実とは

鳥取県鳥取市気高町宝木には子供達だけで行う、宝木(ほうぎ)の菖蒲綱行事という伝統行事が残っているとのことですが・・、「宝木」で検索すると吉備国と宝木伝説というHPに何か魅かれるものがあり、その伝統行事で、「宝木(しんぎ)」を奪い合う「会陽(えよう)」と呼ばれるはだか祭りが壮大に繰り広げられるとのことですが、そこにまた宝木の由来伝説なるものを読んでいて、そこに「摩尼」という文字が書いてあり、・・ん? 

偶然? 先月、隠岐の島で一番高い大満寺山へと登りましたが、以前は「摩尼山」と呼ばれていましたとガイドさんに聞いていた言葉を思い出し、何かを教えられているような気がしてきました。

隠岐の島は 「ホキ」の島で、そのことを隠しているので隠岐の島であり、そこから伊島から北に伸びる十字架の交点である高砂市の石の宝殿へと結んだライン上に気高町宝木があり、この地では「ほうき」ですから、ここも隠岐の島と同じで、「ホキ」・・つまり、設計する上で基点になる場所だと教えているようです。

ホキの  は、大工さんで言えば「曲尺(かねじゃく)」であり、言い方を変えれば三角定規で、

ホキの  は、大工さんで言えば「墨つぼ」であり、言い方を変えればコンパスですから、そのことがキッチリと地名に残されていました。

その基点になる場所から南に位置する岡山市西大寺に、その宝木を裸の男達が奪い合う、日本三大奇祭が伝統として残っていることが、私にとっては偶然ではすまされないことなんですね。

そこからまた南へ行ったところに 豊島の存在があります。

豊島・・・ 一般的には 何て読みますか?

知らない人には、絶対に 「てしま」 って読めないと思う私ですが、 「読めないのはお前だけだ!」と聞こえてきそうですが、 私には、トヨの島だ! ユタの島だ!って聞こえてきて仕方がありません。

実はその豊島から東へ行ったところに神武天皇陵がある橿原神宮があります。そしてそこからもっと東へ線を伸ばすと・・、なんと、伊勢神宮の外宮 豊受大神宮にピタリと行き着きます。 

今私は、卑弥呼おばさんや、神功皇后の苦痛を癒す仕事をいただいているような気がしています。

卑弥呼おばさんのお墓である婀月山と伊島まで神武天皇陵がある橿原神宮から線を引くと(黄色の三点)を結ぶと二等辺三角形になります。

その神武天皇陵と出雲大社を結んだライン上に伊島から伸びる十字架の交点に位置する場所に、日本三奇にあげられる謎の巨石がある石の宝殿(兵庫県高砂市)生石神社(おうしこじんじゃ)があります。 そしてその巨石は、キッチリとその神武天皇陵がある橿原神宮と出雲大社へ向かって造形されています。

又、物部神社と伊勢神宮を結んだライン上にもキッチリとその巨石が重なっています。 そして、そのポイントこそが、私が天皇陛下へ手紙を出すにあったって描かされた4つの生命の樹の一つ、 平安京遷都の生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所でした。

夜明けの晩にきた今、 かごめかごめ に託されたメッセージをキッチリと表に出す時が来たようです。 長年、理由あって隠され続けてきたことでしょうが、その役割は終わり、我が国の本当の歴史を先人達の御霊に報いるべく、真実をキッチリと明かさないといけないでしょう。

宝木を奪い合う奇際は、 どうして奪いあわなければいけないの!? ということも教えているようです。

地上絵は、いつ 誰が 何の目的で どのようにして 造られたのかを 謎解きしなさい! と ずっと問うていましたが、 描かされた図形から 歴史を研究しているお方なら、回答が容易にでるようにも私は思います。

さぁ 皆さん、 みんなで かごめかごめ の謎解きをしましょう!

Imgx171659360001

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自然の水の力を数カ月、数年... | トップ | ん? ・・ なんですか!? ... »
最新の画像もっと見る

かごめかごめの真実とは」カテゴリの最新記事