2018年12月12日(水)
東京でのセミナーが終わり、懇親会に出席して品川から「こだま」で掛川へと行ってホテルに着いたのは夜12:00近くでした。
そして、翌日はレンタカーで真っ先に行ったところが、「長嶽山 龍巣院」でした。
途中で、市のマラソン大会が行われていて交通規制にかかり、どうしても迂回が出来ず、道路脇に車を停めて休んでいるとコンコンとガラスを叩かれて目を覚ますと、
「規制は解除されました。・・ところでどちらへ行かれるんですか」と警察官。
「姫路から来たんですが・・」と私。
警察官 : 「へ~~、それはそれは。 ところでどちらまで」
私 : 「龍巣院に来たのですが・・」
警察官 :「姫路からわざわざ・・ですか!? 龍巣院は私の管轄エリアですが、何もないところですよ」
私 : 「大変な場所で、大事な大事なお寺なんですよ!」 と。
たどり着いて・・入り口から目に飛び込んでくる光景からしても、そのように言われたことも致し方ないような哀れな情景をさらしていました。
でも・・人が作った建物は朽ちても、大事なポイントを消し去ることはできません。
朽ちた建物や石佛だけで人影もない静けさでしたが、今そこに「存在している」ことで逆に誰にも邪魔されず静かに先人達の御霊に触れたようで心が落ち着く一時でした。
その中にあって、入り口の門の左手に、梵字の「阿」が目に飛び込んできました。
今までがそうでしたが、振りかえってみると必ず新たなステージの幕開けには、梵字の「阿」から始まりました。
交野山でも、徳島の星の岩屋でも、奈良の東大寺大仏殿でも、大きく状況が変わりだすときには、始まりを表す梵字の「あ」を見せられてからでした。
小さくても 「阿」は「あ」であって、始まりは新たな始まりなのです。
今までは関西一辺倒でしたが、いよいよ活動は関東へも動き出すというサインかもしれません。
長嶽山 龍巣院は、やはり大事な大事なお寺でした。
おお~~、一番左の方は、七福神様で言えば、福禄寿であり寿老人様ですよ。
何を隠そうこの方は、日本建国の大事な神様のお一人である素戔嗚尊であり旧約聖書のスーパースター、モーセなのです。
私達のご先祖さまを辿れば、必ずこの人に行きつきますよ。
「そんなこと言っても誰~れも信じませんがねぇ」と石佛。
「でも・・どうして分かります!?」と言われます。
・・ので、前だれをチョットめくって、
「ほらっ、右手に瓢箪がついた蛇の杖を持って、左手には宝珠を持って居られましたぁ。隠してもダメですよ、私にはすぐ分かります」
「分かってしまいましたかぁ」・・と。
・・
誰もいない本堂に上がらさせてもらいましたが、真正面の上には宝珠の刺繍と飾りもありましたねぇ。
意外と人々は観ていて、見ていない、見えていて見えない。 神様達の存在とは意外とそのようなものかもしれませんね。
下がり藤の藤原さんですかぁ。 そしてノーベル賞の授与式に袴姿で臨まれた方の紋章と同じ違い鷹の羽ですかぁ。