かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

皇子や皇孫が寺の門跡

2011-03-05 17:27:42 | かごめかごめの真実とは

8月21日(土)

翌日には前日の疑問を解消するために京都,仁和寺へきていました。

社務所で神光寺さんが仁和寺さんの流れなのかきっちりと確かめてから、私はお坊さんに聞いていました。

私  :「神光寺さんでは大日如来様を祀っていますが、本山のこちらでは阿弥陀三尊となっていますが・・」

お坊さん:「良いんですよ、それで・・」

私 :「そうなんですかぁ…?? ?」

お坊さん:「いいんです・・」

私 :「・・??・・??」

・・・ 私としては拍子抜けしたような、分かったような分からないようなぁ・・

・・・ でも、京都はいつ来ても良いところですねぇ。 なぜか気が安らぎますねぇ

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 仁和寺は仁和2年(886年)に光孝天皇の勅願により創建に着手したが、天皇は翌年に死去、宇多天皇が遺志を引き継ぎ仁和3年に完工し、仁和4年(888年)に落慶供養が行われたと伝えられている。宇多天皇は昌泰2年(899年)に仁和寺で出家し法皇と称したとされているが、これが法皇の称号の最初であるといわれている。法皇は延喜4年(904年)仁和寺西南の場所に御室を設け、承平元年(931年)に没するまでここに住んだという。以後、皇子や上皇の入寺が続き、一時は法界を統括するまでになったらしい。  その後、武家政権や禅宗が勢力を強めたことなどにより衰退し、応仁の乱(1467~77年)により全ての伽藍を焼失し、復興も思うように行うことができなかったといわれている。その後、160年以上も経過した江戸時代、寛永11年(1634年)に、徳川幕府の援助により覚深法(かくじんほつ)親王が再興に努め、現在の仁和寺の基礎を築いたとされている。  このように皇子や皇孫が寺の門跡となったことから、仁和寺は御室御所と呼ばれるようになったという。現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山である。

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