2013年6月8日(土)
6日9:30分、待ち合わせ場所であった大黒茶屋に到着すると、市川慎さんが出迎えてくれました。そして私に、「行ってきましたよ!モアイみたいな巨大な岩がありました」と市川さんは急きょまとめられた写真集を私に差し出して説明してくれました。
・・・それで、8日の朝、電話すると快く、「入口までなら案内します」と言うことで、南京錠がかかったチェーンの所まで案内していただき、そこから「行ってきます!」と私一人で山へ登って行きました。 なな、なんと歩いて数分たった所で、「んん ?? なんだろう・・!?」
と近寄ると、鹿の足の骨ではありませんか。・・ 不気味な一人登山の幕開けでしたが、それから数分も経たないうちに、又、大きな棒きれのようなものが目に飛び込んできたかと思いきや、私の一番嫌いなヘビがぁ・・・。 こちらもビックリでしたが、ヘビさんもビックリした様子で、飛んで草むらへと逃げました。 シャッターを切る余裕は到底私にはありませんでした。
これから本格的に山に入ると言うのに・・ トホホ。 今さら引き返す事も出来ないしぃ・・・。
・・、「又ヘビさんが出たらどなんしょう」と思いながら無事、山頂に着くと来たかいがあったという情景が飛び込んできました。 素晴らしい!!
一人でしたから、十分に見ることができました。
私の結論は、この岩は人工的に積んでいるし、もう一つ同じようなものがあったが、一つは壊れて、土台だけが残っているという思いです。現在残っている8mほどの巨石にも、土台だけのものにも、水平を調整するクサビ的な石を見ることができました。
・・・
そこからまだ上へと登って山頂に行き着くと・・・ 仙人と空海様でしょうかぁ・・?? 誰でしょう。
「そのピンクのものは、なんじゃ!?」
「ハイ!、これは・・ ・・」と言いながら、仙人様達の身体をさすってあげました。
「長い間、ご苦労様でしたぁ!いつもいつも山頂から神河町の人達と、卑弥呼おばさんをお守りいただきましてありがとうございました。これからもよろしくお願い致します」と、丁寧に丁寧にゼロ磁場のパワーを入れてきました。
下のモアイの場所からも、この場所からも卑弥呼おばさんのお墓である婀月山(あづきやま)は見事に見通せていました。
「頼みがある。聞いてくれるかの・・!」
「ハイ、なんなりと・・」
「下の川で龍神達が動きを止められておる。 そのピンクのなんとやらで、解放してやってくれるかの」
「ハイ、喜んで・・」
・・・
「 それはなんですかぁ」とカニさんがよって来たかと思いきや、糸トンボさんもやってきましたねぇ。
「ゆっくり遊んであげたいけど、下で首を長~~くして市川先生がお待ちなので・・、ごめんなさいね!」と、ほんの少しだけカニさんやトンボさんと遊んで下山しました。
・・・ あの大きなヘビさんが挨拶に出てきたら・・どなんしょう、「わざわざ挨拶に出て来られなくてもよろしいですので・・」と、お願いしつつ歩き出しましたが、
「ご挨拶に出て行こうと思ってましたのにぃ・・、ま、暑いことだしこちらも有りがたい!」と、ヘビさんもご遠慮の様子で、無事下山することができました。
・・・
喫茶店で待っててくれた市川さんにご報告をして、それから七宝寺さんへ。 ・・・そこで、地元のおじさん二人と道路に座り込んで三人でワイワイ、ガヤガヤ。
「ほらっ、正面の丸いドーム状のあの山が女王卑弥呼の墓ですよ。邪馬台国の・・」
「おらぁ・・、ヒミコだとかヤマタイコクだか、そんなもん知らんなぁ・・」
「邪馬台国や卑弥呼の墓は奈良でしょうがぁ・・」
「いえいえ、あの山が卑弥呼の墓ですよ」と私。
「それが本当だったらえらいこっちゃぁがのぅ・・」
「遅くとも、今月の末にこのことを詳しく書いた本が全国の書店に並びます。そうしたら・・ここに皆さんが大勢押し寄せてきますよ」と、原稿を見せてあげました。
「それは大変だのぉ!!」 「大変じゃぁ・・!!!」
・・・
武部さん、おじさんが教えてくれましたよ。
「この上へと登って行くと、障子岩と言うのがあってのぉ、8帖ほどの広さの、障子の桟みたいな模様しているんで障子岩と言うんじゃがのぉ・・」
・・・
それから・・ 区長さんや議長さんのお宅へご報告に寄って・・・と、神河町での一日でした。
それにしても、これだけの素晴らしい観光資源を持っている町なのに・・
もったいないなぁ
かごめの故郷、神河町です!!