2013年2月18日(月)
京都、高雄は雨でした。
前日夕方、「大事な場所を忘れていませんか」と言われ、「分かりました、すぐに行きます」と、朝から雨が降っていましたが、迷わず京都へと行き、バスで山城高雄へと行きました。
目指すは高雄山寺、現在の神護寺にある和気清麻呂のお墓へと呼ばれました。
私は導かれるまま、誰に聞くことなく、すんなりと和気清麻呂のお墓の前に立っていました。
話は遡りますが2010年9月22日(水)、兵庫県中央部にある千ヶ峰の麓で開催されたお月見祭の帰りに、神様の言葉を伝えるだけですという翼さんが、得津さんとの電話に登場するのですがその時、「上森さん!?、その方の後ろにシャクを持った人が、麻呂じゃ!と言ってる・・」と、言ってたことばを思い出します。
麻呂じゃ!と言ってた方は、平安京の造営責任者、現代的に言うと国土交通大臣の和気清麻呂君だったようです。
空海様が25歳の時、清麻呂君は67歳でこの世を去りましたが、空海様が遣唐使船で長安から帰り、大宰府の観世音寺から都に来て住んだのが、この高雄山寺でした。この高雄山寺には、平安京を創り上げた人達の重要な歴史の舞台でありました。
ですから・・、「早く来なさい!伝えておかなくてはならないことがあります」と、呼ばれたようでした。
そして、空海様に関係する寺院には何故か、如意輪観音か弁財天、と、大黒様が祀られています。 何故でしょうか。