実家の片付けを行っている。コロナ自粛の有り難さ痛感している。
1か月間のコロナによる職場閉鎖も残りわずか。手付かずのまま1年近く来ていた実家の片付け、漸くに軌道に乗って、片付け終わる目処も立って来た。
手を付け始めるまでは、片付け無ければならないものの膨大さに圧倒され、手を付け始めたら始めたで、片付けても片付けても少しも捗らない感があり、休みも残り十日余となって、漸くに......。
この膨大な量の実家の片付けの一コマ一コマは、例えば、食器を選別して捨てる、本棚の本を段ボールに詰めるである、でしか無いのだが、それが両親の数十年という長い間での積み重ねの結果となると、そう簡単に片付くものでは無かった。
これはまさに<量質転化>ということであり、その恐さであり、凄さである、と思える。
自身の学びも、認識と実体の両方において、<量質転化>的であらねばならない、かつ(レベルダウン、有り体に言えば怠けるということについては)<量質転化>的であってはならない、とその大事性痛感させられる。
>これはまさに<量質転化>ということであり、その恐さであり、凄さである、と思える。
>自身の学びも、認識と実体の両方において、<量質転化>的であらねばならない、かつ(レベルダウン、有り体に言えば怠けるということについては)<量質転化>的であってはならない、とその大事性痛感させられる。
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同感・共感・実感、です。