Sempre Attacco

JBCF JapanProTour 現:eNShare Racing Teamアテンダントのちゃりんこ日記

Jツアー第一戦「東日本実業団」

2008年04月27日 | Weblog
待望の第一線。JツアーゼッケンNO52。

 名古屋→仙台転勤により、去年のJツアー最終分4戦はキャンセルせざるを得なかった。(会社からは出るなとか、ある意味個人的な所まで介入してくる嫌な会社。会社自身も環境関連の商売をやっておきながら、自転車通勤は危ないから止めろという一貫性のない部分もある。いずれにしてもややこしいことは全て関わりたくないというスタンスですわ。それで改ざん事件まで起こして、仙台転勤早々対応担当者にさせられるし、最近愛想尽きているのも正直なところ。それで去年度期経常マイナス100億。給与は8%カットだからやってられない。他部署は帰宅も早いし、自分の部署は完全民間で夜九時~十時まで仕事している。なんか自分のやっていること変ですわ。タイタニックが沈む前に、早く小船でもよいので乗り換えねば・・・。)実業団ランキングも100位を越すなんてある意味屈辱。4年前のアテネの時はランキング32位だった(クリテ以外のレースは全て完走)し、全日本選手権のアテネ選考会の時も、出るからにはということで完全燃焼?して上海に転勤して行ったもの・・・。(だけど中国進出の先兵も、自分のやり方がスッポリはまったのか?トントン拍子に調査が進み当初1-2年と言われていたのが、結局3ヵ月で帰ってきた。結論としては中国進出しても向こうのローカル相手に商売した利益を日本へ純粋に持って帰るというスキームは成り立たないと言うことですよ。他人曰く、私には調査能力があるらしい・・・。)日本に帰ってきて2週間も経たずに名古屋転勤となり、今の仙台の上司の過去の清算をさせられた。(営業成績を表面上上手く見せる為の先行受注2億の処理と、不良経費滞留2.5千万。当時は、深夜の電話で「お前は俺の味方だと思っていたのに、何で経営役の犬になったんだ。」という嫌がらせも相当あった。)そして、今はその上司の下ですわ。(転勤当初も直ぐに別室に連れて行かれ、「お前は何を経営役から言われて来たんだ!」と詰問されました。仙台転勤なる際は「過去にこういう件(嫌がらせ)があったので転勤したくない」と拒否したが、半年だけ我慢してくれとの説得で渋々受けたのが正直なところ。他部署の課長(仕事出来て、中立的立場の人)が客先に曰く「仙台の二人は水と油ですからね。」と言われているのに、さらにこんなややこしい話があるのだから、仙台の厳しい冬の気候と相まって、転勤後半年間は「鬱・精神病」になっていたと思う。利害の無い他人に相談すると、「精神的ストレスを受けたとして会社を訴えることも出来るよね。」と言われる位ですから・・・。)今でこそ多少扱いは分かったものの、その日の上司の気分によって、急に仕事のレベルが変わるという予測がつかない所あります。一番ウチに近い客先も「キム・ジョンイル」だべね~。という評価です。会社上層部からは、その後何の話も無いので、結局口頭契約不履行。私もそういう意味では反旗を翻したいし、愛想尽きたのが正直。今の会社には未練はない。私が仕事を続けられパワーは自転車競技が好きだから。仕事でもモチベーションを維持できるのは、自転車を理由にされて仕事が出来ないという事を言われたくなくないからである。だから私の座右の銘は自転車競技用語「sempre attacco(常に攻撃的な走りの意)」なのである。
 仙台でのトレーニングは困難を極めている。冬は殆どがLSDしか出来なかった。(それ以外のパワトレをやりたかったが、最高気温0-4度の中では即故障に繋がる。タイツも少なくとも二枚重ね+ホットバルムNO3でやっと何とか・・・という感じ。手が冷たいからとかは理由にならない。冷たいを通り越して「痛い」。たけど我慢して乗った。)今の仕上がりは60%程度。今、やっとスピード練習を重ね、上りの練習を開始したという段階。
 さて、チームからはH君と私。あと私の弟子?のキナンCCDのS君も出場。(このS君、競輪選手S1の村上選手の妹が彼女という、何か変な巡り合わせ。来年は競輪選手を目指すそうです。 こんなことやってないで、競輪学校合格する為にトレーニングに没頭しろよ!)

 レース内容について・・・。
特に序盤はきつくなかった。しかし、4周回目位のときに集団中盤で落車があり、前に行けずに後方集団に取り残されてしまった。集団との時間も1-1.5分を目安に進んでいたが中盤を過ぎると段々ペースが落ちてきた。マトリックス三船・佐野あたりもいたので焦らずに位置をキープしていた。そのうち、2-3人が飛び出して行き、私も付いて行くタイミングを逃してしまった。逃げ+大集団+第二集団(7-8名)+第三集団(20名)といった布陣。この第三集団、明らかに上りのペースが落ちてきている。後ろから追いつかれる危険があるので最後6-7周回から四人(中田・タクリーノ、棟久・エスタージュエキップ、Jツアー選手・シルベスト)で前を追う。前の第二集団とはおおよそ1分。段々と追いついていくが、先行の逃げ集団が詰まってくる。先行集団が見えた時点でコントロールラインを通過していなければ降ろされてしまう仕組み。結論は・・・。最後一周ちょっとを残す時点で降ろされてしまった。あと、15-30秒といったところ。残念でならない。レースでもしは禁物だが、落車による集団分裂の時に無理してでも前に追いついておけば完走は問題なかったであろう。(村山御仁は集団に追いついたみたいだし。)貴重な完走ポイントを逃してしまった。今の仕上がりにしては過去の経験からすると上出来に入るのであろうか・・・。いずれにしても悔やまれる。
 レースを走っていて感じたことは、上りの最後のスピードの維持が出来ない(落ちている)、一列棒状になった時の粘りが以前より多少落ちている、この二点が反省点。今後の練習はスピード練と上りを重点的な課題と捕らえている。

 写真、誰か撮っていたらメールで送ってください。※さすがにレース時の自分の写真が無い・・・。
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