Sempre Attacco

JBCF JapanProTour 現:eNShare Racing Teamアテンダントのちゃりんこ日記

二人の直人

2009年06月29日 | Weblog
全日本選手権を完走した2人の直人。

まずは、11位の直人。昔は一緒に練習し、口数だけは多かった。
負けず嫌いだが、性格はアッサリしている。昔は根性もアッサリしていた。
練習で千切れると途端にやる気なしモードに・・・。諦めが良すぎる・・・。
直人の親父さんとは色々と話をしていて、「今後ホントにやる気があるのか分からへん・・・」と言われていた。
私が絶好調の時に、大阪から上海へ行っていた時に、何故か彼は岐阜の朝日大学へ入学していた。
しかし、私も程なくして名古屋に・・・。この時、極道親父さんからは、「しまった!中京大学へ入れておけば良かったよなあ・・・。」と言われた。
私もサトシ(マトリックスの向川弟→真面目に練習すれば兄ちゃんより強くなったはずなのに・・・)や直人と練習出来て、もっと切磋琢磨できたはずだ。
私は練習していたつもりだが、サトシはバイトで忙しく、直人もピスト中心の朝日大学の中でちょっと浮いた感じだった。
直人は紫波で行われた全日本大学選手権で2年生ながら逃げ集団に乗り、最後は3位争いで果敢に先行し、結局ズブズブを喰らい6位入賞と言う成績を残して、大学を辞めてしまった。そして、今のチームで走り始めた。去年辺りの香港のレースでは結構いい成績を残していたが、日本のレースでは良い成績を残せなかった。
去年、彼は悩んでいた。このまま自転車を辞めてしまおうか・・・。
私は彼に言った。今年(去年一年)成績残せなかったら、自転車で食っていくことは止めたら?別に実業団なら働きながらレース活動出来るよ。
だけど、彼は練習を続けたようだ。どうも諦めが悪くなったようだ。
先日の西日本も果敢に4人の逃げに乗り、2回のパンクで逃げ集団から脱落し、とどめは機材トラブルで主要集団から遅れて、残念ながら途中リタイヤしてしまった。
だけど、今までの彼ならトラブルで諦めて自転車降りていたが、必死で集団を追う眼付きだけは鋭かった。
別れ際に、「来週は絶対完走しろよ。」と声を掛けた。(例年、完走は20名程度なので、完走と言う事で上位にランクできるからである。)
結果は満足すべきもの。次は表彰台を狙って欲しい。

次に23位の直人。彼は去年の8/13に鉄人さんに連れられて練習会に現れた。
聞く所によると初心者。一年前に自転車は買っていたが乗っておらず、当時最近乗り始めたらしい。
彼は自転車で風を切って走る楽しさを憶えたようだ。
身体能力はそこそこ持っていたが、体に合わない自転車とトリプルギアのTIAGRAで喰らい憑いてきた。
そして、驚くことに10月のジャパンカップでは練習用自転車のままで出場し、練習仲間の中で只一人完走していた。
シーズンオフの11月には、何となく自転車で喰って行きたいと大いなる野望を抱いていた。
彼は実直に皆のアドバイスに従い、課題をこなして行った。
回転練習の時は、皆が大きなギアに逃げる中、トリプルの件もあって、人一番軽いギヤで回して、且つ集団の先頭を引っ張っていた。
彼には自分の身体に合った自転車に乗らせ(借り物)、パーツも与えた。一月に3000K以上乗っていたのもこの頃である。
その後、怒涛の伊吹山でトップタイム優勝(借り物自転車&練習用ホイール)し、凄い結果残していると思っていたが、群馬では寒さと落車で沈んでしまった。
しかし、その後も全日本選手権に照準を合わせて、西日本では落車して第二集団まで落ちたものの、独りで追って先頭集団に復帰し、更にそこから再度独り逃げるという事を実施。
残念ながら、最後は追ってきた1名とゴールスプリントで争い、ゴール勝負で負けてしまった。(残念・・・)だけど、皆曰く、彼が一番強かったと言うことであった。
メイタンのM様と一緒に練習して、色々と学んだようだ。
全日本選手権では逃げが決まって、相当ゆっくりなペースも味方し、最終局面前まで残った。そして、完走。
メイタンのM様は落車・リタイヤ。直人は喰いしばって、自転車競技暦1年未満で全日本を23位で完走した。
正直、完走できるとは思っていないので、私は完走したら国分町のキャバクラご接待と言う約束をした。
平井賢さんも、本音を言うと完走は無理と踏んでいたみたい。
しかし、競技は結果が全て。彼は結果を残したのである・・・。 Σ(゜д゜lll)ガーン

今後の二人に期待しよう・・・。

M様は落車・リタイヤの為「ますだ」へ降格。サイタッチはそれ以上の結果を残したので、「ナオト様」へ昇格です・・・。と思った人は「ポチッとクリック」よろしくお願いしま~す。
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