けったらかまえる

ひとりごと

三陸沖津波

2011年04月01日 | Weblog

ウキペディアより。

■明治の津波
1896/6/15 19:32
M8.2 ~ 8.5。38.2mの波。
上閉伊郡釜石町(現・釜石市)東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)。
2万人程の犠牲者。

■昭和の津波
1933/3/3 2:30
M8.1。28.7mの波。
上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経144度7分)
最大波高は岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で 28.7 m

■そして、平成の津波、となってしまった。
2011/3/11 14:46
M9.0。23.6mの波。
太平洋沖(北緯38.32°、東経142.37°、深さ32km)

歴史は繰り返される。

津波対策とは

2011年04月01日 | Weblog

防波堤を今回起きた地域の辺りにしっかりと配備して
はどうか。

・もっと陸から離して、もっと手前で波の衝撃
と方向を散らしては。

・人工の島のように作ってみては。

・30m以上の波を想定して。

・それとも既に実用化されている湾内に沈めて
波と供に起き上がる仕組みのもの。
迎撃防波堤。



大船渡・綾里の津波26メートル リアス式で増幅。
横浜国立大と東京大の調査チームは釜石市、大槌町、
大船渡市を調査。
釜石市・両石湾は17・7メートル。
湾口防波堤があった釜石と大船渡港は10~11メートル程度で、
波は抑えられたが被害を防げなかった。

http://brd.dailynews.yahoo.co.jp/SIG=12bpgic5r/EXP=1302237913/*http%3A//www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110331_1

報道された写真で見た破壊された堤防だが、
岸壁近くにあった堤防には鉄骨が入っていないよう
に見えたが、コンクリだけだったのか?