お金の流れで見る戦国時代(大村大次郎著 PHP文庫)②
知らなかったが、上杉謙信と武田信玄では、経済力で大きく上杉の勝ちであったらしい。これは多分どの講談本にも書かれていない。港をもって交易をしていたかどうかのことらしい。どうも内陸にある国は分が悪い。三国志の蜀の国と同じことであろう。武田はキン鉱山、蜀の国はお蚕があるじゃないかと思うのだが、港がある無しはもっと大きなものがあったと考えられる。
織田信長の上洛も、京都へというのではなく堺の港が欲しかったということではないのか。愛知県の港ではたいして利益が出ないと思っていた。戦国の三英傑がみな揃って東海地方の出身というのもそこにあるのだろう。西国大名は、堺と同じくらいなのを領内に持っていたのでおっとりしていた。内陸の大名は何が儲かるのかの理解がなくただ蟠踞しているだけだった。ちょっとした港があって、おおこれは儲かる、もっと儲けるために堺が欲しいとの知識がある大名は東海に限られていたとみられる。
戦国時代と言うからには、暴力が支配するとんでもない時代と思っていたが儲けのために暴力が振るわれた時代とするべきだろう。同じことではない、儲からない暴力は振るわれなかったから案外真っ暗闇ではなかっただろう。「戦国時代」という名前がいけない。「戦国時代」だとあっちこっちでとにかく戦争という印象を与える。「儲けるためには何でもありの時代」と改名するのがいい。今とたいして変わらないのではないか。ただ法律が守られているから今は「儲けるためには暴力以外の何でもありの時代」というのが現在であろう。
この本を読みながら権力の継承を考えていた。家康は大金持ちであったらしいが、多分大阪城の落城の時にキンを持ち出したと考えられる。秀吉は、安土城からキンを持ち出したのではないか。それがそれぞれの政権の元手になったはずである。今でも日銀の金庫の中のキンのインゴッドがお札の信用を支えている様に、政権には統率の取れた軍隊と、大量のキンギンがぜひとも必要である。明智光秀が失敗したのは、キンギンを取り損ねたからではないかと思うがどうだろう。同じく2.26事件のクーデターが失敗したのは、日銀のキンを取り損ねたからではないか。というより、はじめから取りに行く気がなかったのかもしれない。ならば失敗は確定である。
そういえば、日銀の本店は作りが頑丈でお城の様な印象を受ける。なんであそこまでモノモノしいかの理由が垣間見えた。
この本は読みながら、様々に連想の湧いてくる、自分の脳の皺の一本一本が動き出すような気がするよい本である。
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