お金の流れで見る戦国時代(大村大次郎著 PHP文庫)
昔、例えば宮本武蔵のような剣豪小説を読んで、そのどこにもお金の話が出てこないのに不審を覚えたことが何度もある。いかに武蔵と言えども、朝昼晩は食べないといけないだろうにどこで稼いだかが書いていない。同じことで、戦国時代に限らずいわゆる講談本には陰謀策略は出てきても、お金の話があんまり出てこない。今、我々が会社へ出ていくのはおカネのためであり、陰謀策略が楽しくて出ていくというヒトはほぼ皆無であろう。(昭和の頃には、陰謀策略が楽しくてというヒトが居ないわけではなかったのだが)
読者はおカネの話を読みたいのに、講談本の作者がお金の話を書かないのは、書く力が無い(知識がない)からだとわたしは見ていた。講談の名調子を書ける才あるヒトは、お金の扱い方が下手なので書けないのである。堺屋太一さんは、お金の話を上手に小説に書くことができたが、いまいち講談本の名調子が他の作家に比べて落ちるようである。ゆえに売れ行きがいまいちであった。
この本の著者は元税務署にお勤めであった。世の中を動かすのはおカネであることを知悉されている。その視点でお書きになるものだから目からうろこである。例えば、信長の桶狭間の戦いは塩田の取り合いであったと地図を添えて説明されている。おおそうだったかと腑に落ちる話である。塩は今なら安いものであるが、昔はおカネと同じものであった。黄金より塩の方が値打ちがあったであろう。殷(商)は、塩田を元手に成立した都市国家であるという。三国志の関羽は、軍人というよりは塩商であったという。ために今でも商売の神様になって線香の煙が絶えることがない。
ことの真偽は分からないが、吉良上野介の領地はこの桶狭間と同じ知多半島にあってここの塩田が、赤穂の塩と争ったのが、殿中松の廊下の原因であるという話もだいぶ前どこかで読んだことがある。われわれは、日常の世の中を見るときはおカネの観点で見ている。政治家の何とかは大抵お金の話である。うんざりしているから、立派な人とは言わないが英雄はおカネで動かない信念を持った人と信じたいのである。遺憾ながら、英雄もおカネで動いていたと思わざるを得ない話が満載である。
英雄は、戦で儲けたお金を上手に散じて次の戦に投じて勝ち進んだ。凡人は、戦で儲けたお金を肌身離さず持っていようとして、結局なにもかも失ってしまう。そんな教訓をこの本から得た。英雄の心根は、我らと同じであると安心した。しかし英雄になれそうにない。
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