1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

歴史資料は恐らく、当時に記した著者の意向が大いに加味。よって、真偽の議論は、現代人が数百年前に戻って確認する事が出来ないので、全てが憶測にて。そもそも歴史議論は、ロマンを楽しむもの。

2021-10-01 08:36:00 | 法話

読者が「住職。光秀公と天海和尚が同一人物という推測に、真っ向反対されている方が。住職はどう思う」と。「1582年6月13日他界は『兼見卿記(かねみきょうき、京都吉田神社神主、吉田兼見日記)』の中に、というあれでしょ。歴史資料は、著者が当時の権力者に忖度なく記してあるか、というも甚だ疑問」と。

【追伸】
この読者に拙僧「光秀公と天海和尚が、同一であるという証拠もないなら、同一でないと証拠もない、という事だよね。500年前の事を現代人は誰も見てないし、確認も出来ないしね。確認もせず、自論を押し付けて人を批判する様は、SNSの世界と同じだね。歴史は、ロマンを楽しむもの、と拙僧は捉えてる。『鶏が先か、卵が先か』の論争に同じ、かな。その論争がまた、面白いんだけどね。本能寺の変で信長公の遺体が見つからなかったも、京都で僧侶をしていた信長公の従兄弟が、遺体を持ち出していたという資料も。光秀公が本能寺の僧侶が宝物を運び出していると思って、咎めなかったとの事。この説もまた、ロマンだよね」と。