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1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 昨今は、20年、30年前にやらかした事を現在の常識に当てはめて、蒸し返して大叩きする傾向が。もう、やめない、こんなこと。

2025-05-14 17:52:44 | 法話

【5月15日投稿分】


5月10日投稿分に続き、5月13日に他界した拙僧の爺様(明治41年〜平成2年、行年83歳)の話を供養の為にさせて頂きたいと思います。時折、年忌法要に来られた檀家さん達に「故人への悪口も供養にて、じゃんじゃん悪口を言ってくださいな。1番あかんは、忘れ去る事、無視する事にて」と。この話(爺様の生き様)は、昨今のコンプライアンスに照らすと不適切な場面も多少出てきますが、まあ、昔の事として読んで頂ければ。


戦時中、満州で土木業の親方をしていた拙僧の爺様ですが、この時期に満州国政府に奉職しておられた三原朝雄(文部大臣、防衛庁長官)さんと知り合い、帰国後も長くその付き合いは続く事に。拙僧18歳の頃、爺様(当時73歳)から「遠賀(福岡県内の町)に連れて行け」と頼まれ、何度か爺様を車に乗せて三原朝雄事務所に。三原さんと爺様がソファーに座って話をしている姿を見ると、ここは怖い事務所(極道)なの、という様な雰囲気でしたね。事務所に地域の土木の親方衆が入ってくると、いきなり「親父(三原さんの事)さん、仕事をくれや」と。対し、三原さんが返す言葉で「俺の取り分(マージン)は」と、こうくる。このやり取りを見ていた拙僧に爺様が「博(拙僧の俗名、博文)よ。この言葉の掛け合いで、仕事が成立するんだ。談合があるから、よそ者(裏社会など)が入ってこれず、みんなに仕事が回るんだ。談合を批判する人間がおるが、その意味(世界)のわかっていない知識なき連中(無関係者)が、勝手に訳もわからず、文句、批判を言ってるだけだ」と。


対し、拙僧「ところで爺ちゃん、取り分、って何よ」と尋ねると「人を動かすには、金が掛かるんだ。自分の贅沢に使う訳じゃない。一般庶民の間でも、この国(日本)の風習として、お世話になった人達に夏と冬、お礼を込めて、中元、歳暮を送るじゃろ。お金に関しても、親は子供に『お金の貸し借りは、しちゃならん』と教えながら、親は銀行からお金を借りて、家を建て、車を買っておるがな。綺麗事や建前だけじゃ、世の中は動かん。特に政治家は、人間の欲を相手の仕事だ。そう簡単なものじゃない」と18歳の拙僧に。こんな話をすると、現代の基準(常識)に当てはめて、文句を言ってくる人達がいるかもしれませんが。数十年前の事を掘り繰り返して、大叩きされている芸能人の様に、正義感を暴走させて。それだけはご勘弁頂きたいですね。何せ、50年以上前の事ですからね。


爺様は満州から引き上げて来た後、北九州で山本工作所を初代社長と立ち上げ、その下で三友工業という会社を起業。その起業資金は婆様が満州時代から、鉄砲の弾の下をかい潜って闇酒を売って稼いだもの。新日鐵八幡製鐵所本社勤務を辞めて、わが寺(金剛寺)を継いだ拙僧の父(爺婆の長男)をも同時に支えていた婆様は、過酷な生活環境により、拙僧9歳(婆様59歳)の時、脳内出血で倒れ、左半身が不自由に。1年1ヶ月入院後、主治医(北九州市戸畑病院の副院長)から「婆ちゃんの左半身は、もう動かない」と宣告を。が、退院後、婆様は本堂内を動かす事が出来る右半身を使って、這いながら傷だらけでお百度参りを。1年後、握力は5まで戻り、チンタカしながらも歩ける様に。その根性たるや、その間、誰にも愚痴を言わず、文句も言わず、黙々と百度参りのリハビリを。


身体は不自由でも口の達者な婆様に、ある日の事、爺様が「社員を連れて、鹿児島の長崎鼻に行って来た」と言うと、婆様が「ほんとに社員旅行だったかどうか、わかったもんじゃないわい。長崎県にあるから、長崎鼻と言うんじゃ。何が鹿児島じゃ、アホか」と、この一言で爺様がブチ切れて、外に飛び出して行った。まあ、爺様は若い頃から『飲む、打つ、買う』のうち『飲む(酒飲めず)』だけはしなかったが、婆様に苦労を掛け続けてきたは間違いないから、信用はないかな。対し拙僧、婆様に「長崎鼻という岬は、鹿児島県の指宿市にあるよ。日本には、長崎鼻という岬は、8つ(千葉、香川、長崎2つ、鹿児島、大分、熊本、愛媛)もあるんだよ」と言うと「ほう、そんな事ね」と。数時間後、爺様は何処ぞから地図を買って来て「ほれ、見ろ、長崎鼻は鹿児島じゃろうが」と鼻息荒く、勝ち誇った顔で地図を突き付けると、婆様はその地図を見ようともせず「あんたがそう思うなら、そう思っとけばいいじゃろ」と。爺様は唖然として、次の言葉が出ませんでしたね。


5月13日の朝5時、爺様が他界を。家に連れて帰ってくると、婆様は爺様にしがみついて大泣きを。若い時に苦労を掛けられた爺様に対し『江戸の仇は長崎で』と言わんばかりに晩年は、爺様をイジメ倒した婆様でしたが、長年連れ添った爺様、やはり悲しいんだな、と。葬式には600人を超える会葬者が。その中に3人、中国人の方がおられ「満州(戦時中)時代、親方に命を助けられて」と大泣きを。通夜、葬式には、家族の知らない故人の一面を、会葬者から知らされる事が結構にある。それで拙僧、檀家さん達には「家族葬はあかん。故人に助けられたは、家族、親族だけにあらず。故人にお礼を言わにゃならん、という人は数多に。その人達の場所を奪う事はならん」と。葬式が終わって、皆々(親族)が帰ると婆様が、爺様の写真を箪笥の中に。「どうしたの」と拙僧が尋ねると「迎えに来られたら、たまらん。これからが、わしの人生じゃ」と。『あんた、さっきまで泣いとったんじゃないんか』と拙僧、心の中で呆れて。やっぱ、女性は生き物が違いますばい。


爺様が他界して1年後、お手伝いさんの夢の中に爺様が出てきて「婆さんを連れていく」と。咄嗟にお手伝いさんが「爺ちゃん、あと3年待って」と返すと「3年じゃな」と生前中の力強い声で。そこで夢が覚めたと。見事に3年後、婆様は爺様に連れて行かれました。お手伝いさんが「あの時『あと10年待って』と何故言わなかったんだろ」としょげるので「口から出た3年が、婆様の寿命だったんじゃないの」と拙僧、そのお手伝いさんに。


世のご夫婦さん達、向こうの世界もまた、伴侶(夫、妻)と一緒の様ですばい。この世の世界では、数十年の縁ですが、向こうの世界では、どうも、未来永劫の様で。特に奥様達、諦めましょ。こういうのを、腐れ縁と言うんでしょうかね。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月20日になります。添付写真は、わが寺の達磨大師。拙僧の爺様に極似。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 迷信は、解明されたら、迷信じゃなくなる。昔からの言い伝えとは、経験に基づくものが多い。まずは、試してみる事が大事。

2025-05-09 12:19:42 | 法話

【5月10日投稿分】


5月13日は、拙僧の爺様の祥月命日(立ち日)で、今年で36回忌になります。爺様には様々、色々、教訓をもらいましたが、その中でも井戸掘りの件に関しては「ほう、こりゃ、凄かな」と昔の人の言い伝えなるものに感心しまたね。ある会社の社長さんに「住職よ、井戸を掘ろうと、水脈を調べる機械を使って、何箇所かボーリングしたんだが、一向に水が出ないんだよな。何かよい方法を知らんかね」と尋ねられた事が。


対し「明治41年生まれの拙僧の爺様が、生前、こんな事を言ってましたよ。『晴天(快晴)の日の夜に、漆塗りの重箱を逆さまにして、井戸を掘りたいと思っている何箇所かの場所に置いておけ。朝になって重箱の内側に水滴が付いていたら、その下に水脈がある』と。これ、本当かどうかはわかりませんが、そんな事を言ってましたよ」と。後日、その社長さんから連絡があり「住職の爺様の言う通りにしたら、水が出たよ。助かった、有難う」と。「そりゃ、よかったですね。爺様の言ってた事は、本当だったんだ。昔の人の知識、知恵は、根拠がなくても馬鹿に出来ないもんですね。『迷信は、解明されたら、迷信でなくなる』ですもんな。いつか、この重箱の水滴も解明される日が、くるかもしれないですね」と。


井戸といえば、1年前のこと、檀家さんの友人の友人の友人とやらに頼まれて、水神上げ(井戸埋め)をした事がありまして。当日、現地に赴くと、その友人(50代女性)とやらが「井戸を埋める土木の親方が『水神上げをしてくれ』と私に。『そんな事はしなくていいから、さっさと埋めてください』と親方に言ったら『お祓いをしないのなら、わしはこの仕事は受けん』と言われたので仕方なく、住職さんを友人の友人に紹介してもらったんです。あんなに土木の親方が嫌がるなんて、水神さんって、そんなに祟るんですか」と。


対し、拙僧「昔から、火には荒神さんが、水には水神さんが、宿っていると言われているは、人間は火も水も、10日もなけりゃ、生きていかれんでしょ。よって昔の人は、子々孫々に対し『火を、水を、大切に扱う様に』という思いから、そこには神が宿っていると定義付けを。その土木の親方さんは、水神さんに祟られるを恐れているのではなく『150年以上も、井戸の水を頂いて生活をさせてもらってきたのに、御礼報謝の、有難うございました、も言わずに埋めてしまうとは、何事や』という怒りから、あなたにそう言わっしゃったんだと思うよ」と。「そう言われてみたら、そうですよね」と、この友人(女性)が。


水神上げが終わった後日、その土木の親方さんからお寺に電話があり「住職、俺の言いたい事を全部、あの女性に言ってくれたみたいやな、有難うな。仮に、本当に、水神さんがいたとしても、神が祟る様な事をするもんかいな。まったく、水神さんに失礼やで。それよりも先祖代々、150年以上もの長い間、水を供給してくれた井戸に『有難う』の御礼報謝もせずに埋めるなんて、言語道断だっちゅうねん。近頃の連中は、してもらってきた事への感謝が無さ過ぎる。そう思わんかい、住職よ」と。


【余談】

この話は祟りの話ではないと思いますよ。恐らく、偶然が重なったものと思います。わが寺に拙僧の噂を聞いて上って来られた60代女性が「私の実家の親戚の家には、江戸時代から使っていた井戸がありまして、その井戸を50年程前から使わなくなったのですが、蓋を閉めて清浄にしておけばいいのに、やりっ放しで、ゴミなども平気で放り込む始末で。それが原因かどうかはわかりませんが、その家の人の死因が、風呂で溺死、海で溺死など、何人も水に関する死因が続くので『ここの家は200年以上も、この井戸の水で命を保たせてもらってきたんだから、使わないのなら、ちゃんと水神上げをしてもらったら』と言ったのですが『そんな事をする必要はない』と聞く耳持たずで」と。


続けて、その女性が「私が頼みますから、住職(拙僧の事)、水神上げをしてくれませんか」と。対し、拙僧「その家の人達が『する事、いらん』と言ってるんでしょ。なれば、拙僧がズカズカと踏み込む事は出来んでしょ。その家の人達がその気になったら、また、言ってきてください」と、その60代女性に。それから数年後、その女性から連絡があり、まだ、水死が続いているとの事。偶然が重なっているんだとは思いますが、水神上げは、長年のご苦労(命の支え)に対する御礼報謝ですもんね。この様に水死が続いたら、水神さんの祟りじゃなくとも、水神さんのせいにしてしまいますわな。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 戒名に使われているかんじから、故人の職業、生き様、死に様、性格などが読み取れる。戒名は、その家の資料になるもの。

2025-05-04 15:14:31 | 法話

【5月5日投稿分】


SNSでは定期的に『戒名』の存在意義を問われる事がありまして。問うてこられるは、大半が男性にて。そこで今日は、その戒名のお話をさせて頂きましょうかね。


数年前、78歳で他界された檀家の男性は、後取りの息子さんがいない娘さんばかりの家に、婿養子に入るという約束で結婚(見合い結婚)を。婿養子といえば、昨今は、昔ほど家の存続を求める意識はなくなってきましたが、以前は拙僧、家の存続に固執する親御さん達に「女の子しか生まれなかった時点で、この家はもはやこれまで、末は永代供養にするしかない、と諦めなさい。そうでないと『家も潰した、娘の人生も潰してしまった』という事になりかねませんよ。将来において、婿養子に入ってくれる男性が現れたり、嫁いだ娘さんに複数の男の子が授かり、その中の1人が『爺ちゃん、婆ちゃん、僕がお母さんの実家を継いでもいいよ』という孫(男の子)が出てきたら「こりゃ、ラッキー」というくらいに思っておいた方がいいですよ」と進言する事が、本当に多かったですよね。


さて、この78歳で他界された檀家の男性ですが、結婚して10年は、婿養子の話は一言も、口には出さなかったという事でした。奥様の方も『まあ、いいか。このままでも』と半分諦め掛けていたある日の事、ご主人が突然に「いいぞ」と。対し奥様が「いいぞ、って、何よ」と返すと「いいぞ、ってこったい」と。 自分の心に婿養子を納得させるまで、10年の月日が掛かったんでしょうね。その男性が他界され、枕経に伺った時、奥様と1人息子さんに「お父さん(ご主人)の戒名ですが、この方の人生を漢字1文字で表すとしたら、何という漢字が当てはまりますか」と尋ねると「えー、わかりません」と奥様が。「絞り出してごらん」と返すと「実は、亡くなる数日前、看護師さんが『光元さん』と主人を呼ぶと、朦朧(もうろう)とした顔で『わしは、大川、だぞ』と、本来の苗字を口に出したんですよね。この時『この人、ずっと引っ掛かってたんだ』と思ったんですよ」と奥様が。「そうですか。了解しました。その話から戒名を考えてきますね」と拙僧、ご遺族の方々に。


拙僧はこれまでに、1000人以上の葬儀を勤めてまいりましたが、必ず葬式後には法話の中で、戒名の説明を行なっております。この男性の葬式後にも、ご遺族と会葬者の方々に拙僧、戒名の説明を致しました。「故人の送り名は『大光院中興〇〇居士位』と授けました。光元家に婿養子に入ったので『光大院』でもいいかな、と思いましたが、いや、待てよ、頭が朦朧とする中で『自分は、大川、だ』と最後の言葉を。この事を奥様から伺って、これは『大』が先だ、と『大光院』としました。また、故人が光元家に入ってくれたお陰で、後取りの息子さんが生まれ、その息子さんから、また、後取りの息子(孫男子)さんが。言うなれば、故人は、光元家を繋ぐ役目を担ってくれた功労者である、という事から『光元家中興の祖』の意味合いで、道号に『中興』の文字を。百年後、わがお寺に座る住職が、この戒名の意味を読み取る事が出来たら、子孫達にこの先祖(故人)の生き様を、話して聞かせてあげられるかも」と、ご遺族、会葬者の方々にお話を。


続けて、ご遺族、会葬者さん達に拙僧「昨今は『戒名などいらん』という人達が増加を。特に、男性陣の方が多いかな。拙僧の俗名は『博文』と言いますが『山本博文位』では、どんな人か、何をした人か、さっぱりわからん。が、戒名に使われている漢字を見れば、何が原因で他界されたか、どんな職業に就いておられたか、どんな生き様をされたか、どんな性格の持ち主であったかなど、それらを知る事ができます。わがお寺の檀家さんには『戒名から先祖を知りたい』と尋ねてくる人達も少なからず。先祖の戒名から『ロマン』を感じるそうで。考えたら戒名というは、その家の何よりの資料に。それでも、戒名など必要ないと思われますか」と葬式の度に、そこに集う縁者様達に。


戒名の話をする時には、常にこの話を付け加えるのですが、90代の檀家爺様が「戒名は生きている内にもらうが本当なんじゃろ。住職よ、わしにも戒名、授けてくれや」と。すると婆様が「住職、遠慮なく、この人の生き様を戒名に」と薄笑いを浮かべながら。「それでは、遠慮なく」と拙僧『天寿院好色一代居士位』と授けました。すると、爺様絶句、婆様大爆笑。『天寿院』とは、その生き方を全うした、という意味。『好色一代』とは、生涯浮気三昧、という意味にて。すると爺様、唸りながら「住職よ、こりゃ、あかんぞ。100年先の子孫にまで『この人、余程に好き者だったんだろうね』と笑い者になる。何とかならんか」と頼み込むので「じゃあ、爺様、あと数年はこの世にいるだろうから、その間、婆様を大事にするかい。するんなら『天寿院伴侶一筋居士位』に変えてやってもいいよ」と言うと「必ず、大事にする」と爺様が。拙僧「住職の仕事で、何が好きか」と問われたら「戒名を授ける事」と答えるかな。その人の一生を10文字(位を含む)で表し、それが末代まで残るなんて、そんな仕事、住職にしかない仕事ですもんね。


因みに、わが寺の檀家さん夫婦には、必ず夫婦位牌(めおといはい)を作らせています。だいたいこれを敬遠するは、奥様の方。「なんで死んでまで、この人(ご主人)の横におらにゃならん。真っ平御免被る」と。いったいご主人は、何をやらかしてきたんだろうね。まだ間に合う人は、急ぎなっせ。


【余談】

その町(田舎)に引っ越して来て約10年、町内から馬鹿にされ続けた檀家さんのご主人が他界(81歳)を。葬式の時、町内の人達がマイクロバスで会葬に。戒名を見た途端、その戒名が『〇〇院〇〇〇〇居士位』の『位』を含め10文字、使われている漢字から「今でこそ、この家族は落ちぶれてはいるが、その昔はそれなりの家柄だったのだろう」と町内の人達は、故人の人生(家柄)を戒名から読み取ったみたいで、この家族に対する態度がその日(葬式日)より一変した。この話は、昔の話ではなく、昨今の話にて。「今でも所によっては、戒名の威力は凄いんだな」と思わされた出来事でしたね。


例えば、真言宗大本山金剛峯寺に所縁の深い寺院には、大圓院、地蔵院、蓮華院など『寺』ではなく『院』の字が。この『院』と同様の意味が、戒名に使われている『院号』にて。昭和の初め、特に戦前までは、如何にお寺に頼み込もうと、寄附やお米、野菜などを奉納、毎日境内の掃除、法要の時のお手伝いなど、お寺に貢献してない人には『院号、居士位、大姉位』が授けられる事はなかった。戦後になり、成金、成り上がり、という人達が世に。ところが、その人達の戒名が『釈〇〇位』の4文字。対し子孫が「私の父は人生を成功させ、地位、名誉、財産を手に。この4文字戒名では『なんだ、この人、自分の欲だけに生きた人間か』と最後の最後で世間の笑い者に。どうか『院号、居士位』を父に」と。


対し、お寺側が「あなたの父親は、何もお寺に貢献をしておりません。その様な人に『院号、居士位』を授けたら、貢献をされて、それ(院号)を授かられた側の檀家さんから文句が。どうしても『院号、居士位』と言われるなら、それなりの寄附をお寺の方に」と。これが戒名料の始まりに。つまり、庶民側の見栄から起こったが、戒名料の始まりにて。それを逆手にとって、お寺側が高額の戒名料を取る様に。わが寺では、戒名料は無料にて。全ての人に『院号、居位、大姉位』を授けております。ただ、戒名料を取る寺院が、悪い訳ではないですよ。日本にある77000寺院の内、既に、25000寺院が住職不在の廃寺に。戒名料が寺院経営の収入になっているところも沢山あるでしょうから。


【付録】


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月10日になります。添付写真は、わが寺の本堂内陣にある永代供養檀です。永代供養とは、その家の子孫が絶えたが故に、お寺が何百年と供養を勤めていくこと。






【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 迷信は、解明されたら、迷信じゃなくなる。目に見えないものも、何かしらの作用あり、と思った方がいいかな。

2025-04-26 18:53:54 | 法話

【臨時法話】


2005年(平成17年)の一昨日、4月25日9時18分、兵庫県尼崎市でカーブが曲がれずに電車が脱線、107人が死亡、562人が怪我を。この電車(福知山線)には、京都の短大に通う、わが寺の檀家の娘さんも乗る予定でした。娘さんは幼稚園から脱線事故前日まで皆勤賞で、1日も学校を休まずに学生時代を終わらせるが、目標だったそうでして。ところが、脱線事故当日の朝、下痢が止まらず、うずくまるほどの痛みが。それでも「皆勤賞じゃ」と学校に出掛けようと玄関まで。しかしながら、腹の痛みはどうしようもなく、泣く泣くその日、学校を休む事に。すると、毎朝乗っていた時間帯のその電車が脱線事故に。皆勤賞を貫く為の験担ぎに乗っていたのが、への字に曲がった車両。事故のあった次の日、兵庫から親子3人で北九州のわが寺に。拙僧に親子で曰く「もし、見えないものが助けてくれたとしたならば、やっぱり、ご先祖さんしかないかな」と、納骨堂に御礼参りに。思えば、あれから20年、もしかしたら事故日が命日になっていたかもしれない、その娘さんも40歳となり、2人の子供の母親に。命が繋がれて、新たな命が。


偶に、拙僧法話の読者さんから「住職は、神仏のご加護の話をあまり法話にはされませんが、不思議話ってないのですか」と問われる事が。対し拙僧「そりゃ、幾つかは、ありますばい。余命半年の宣告を受けた肺癌患者(檀家さん)が、治療なしで消滅した事例が2つ。余命1年の宣告を受けた肝臓癌患者(檀家さん)が、病巣が大きくならず、25年間生存した事例も。80歳で完全痴呆になった婆様が、5年後に完全完治、103歳の他界まで正常のまま生活したという事例も。全身癌の女性が25年間生きて、92歳で他界したという事例も。偶にドクターから『住職、この人達は、親や先祖を大事にする人達ですか。私達の領域の話ではないもので』と言われる事が。


対し拙僧『先祖が功徳をくれたかどうかはわかりませんが、現代の医学ではまだ解明されていない、何かしらの免疫作用があったのではないか、と思いますよ。迷信は解明されたら、迷信じゃなくなりますもんね。ただ、1つだけ言えるとしたら、親や先祖を大事にしている人が皆、この様な不思議な事が起こるのではなくて、この様な不思議な事が起こった人達は皆、親や先祖を大事にしている人達が多いかな、と、まあ、そんなところですかね』とドクターに話をした事があるかな」と、拙僧法話の読者さんに。


続けて、拙僧「神仏祈願においては、他にもあるよ。何年もの間、子供が授からなかった夫婦が、わが寺の鬼子母神さんや淡島大明神さんに『子授け祈願』に足を運んで、子宝を授かられた人も数多に。生目さんに足を運んで、目が見える様になったという人も何人か。恐らく、こうした不思議も『神仏に頼んでいるから、何かしらのご加護があるだろう』と信じる心から、何かしらの免疫が上がって、子供が授かりやすい体に変わっていった、とか、病気を改善させる免疫が向上して、治り難い病気が治っていった、というが、本当のところではないかな、と思うよ。『病気は気から』という言葉があるでしょ」と。


更に続けて、拙僧「ただ、どこにも心を向けなければ、免疫が上がる事はないよね。そう考えたら『必死に願う』という『信じる心』って、大事な事だと思うよ。仮に、子供が授からなかったとしても、病気が治らなかったとしても『これだけ一生懸命に願って、頼んで、授からなかった(治らなかった)んだから、私にはそのご縁がなかったんだろうな』と、納得してその後の人生を歩む事が出来る。人生を後悔している人達って『何であの時、願わなかったんだろう。努力をしなかったんだろう』と、その時点で動かなかった人達が多いかな。基本、人間の縁というは『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん当たらん』だもんね。『果報は寝て待っていても、やっては来ない』だもんね」と、拙僧法話の読者さんに。


【付録】

下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月1日になります。添付写真は、わが寺の鬼子母神、淡島大明神、生目さん、です。









【住職の法案。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 出会う人(物、病気、仕事など)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし。

2025-04-23 20:40:59 | 法話

【4月25日投稿分】


25年前、英国人に嫁いだ家内の妹には、4人の子供(英国人)がおりまして、その内の三男(次男と双子)が昨年、英国内での就職活動で大苦戦を。その息子曰く(スカイプで)「叔父(拙僧の事)さん、ロンドンでは日本みたいに、新卒(大学)を優先して採用する、という習慣がないんだよね。あくまでも、実力重視で。だから、有名(志望)企業に入るには皆、数年の間、社会で頑張って力を付け、希望の会社を受け直すんだよ」と。「使える人間を採用する、という事なんだな」「まあ、そういう事だね」と。


この会話の途中で拙僧の次男(31歳)が間に割って入り、気落ちしている英国人のその息子に「先日、俺な、面接官に抜擢されて、40代男性の採用面接に立ち会ったんだよ。その男性は、知識人であるには間違いないが、今現在においては、この会社には必要ないかな、と5人の面接官が全員、不合格の判定を下したんだ。俺の会社は、その時点においては『今は、この分野が弱いから、この分野に強い人材を確保しよう』が採用の基準だったんだ。だから、この40代男性は、運がなかったかな。採用試験なんて、そんなもんだよ。だから君も、落ちてもクヨクヨするな。その会社に縁がなかっただけだ。就職って、運というは結構に大きいぞ」と数社に蹴られ、落ち込んでるその英国人息子に。


続けて、拙僧の息子(次男)が、その英国人息子(21歳)に「クヨクヨしてる暇があるなら、この際、空いてる時間を使って、興味のある物を見つけて勉強しろ。勉強は裏切らないし、知識は重荷にはならん。俺は設計(道路、トンネル、橋、土木関連、時に統計)で今の会社に拾ってもらったが、今ではデーター分析の仕事が主になってる。『山本君、この仕事(データー分析)が出来るか』と、社長が持ってきた仕事が偶々、俺が趣味で勉強していたもので、その仕事をやり遂げたのがきっかけで、会社自体がその分野に参入する事になったんだよ。先で何が待っているかわからんから、他分野であっても、興味のあるものは勉強しとけ。時間だけは無駄に使っちゃあかんで」と拙僧息子がこの英国人息子に。


2人の会話が終わった後に拙僧、この英国人息子に「日本にはNHK という局に『おかあさんといっしょ』という番組があってね。11代目の『うたのおにいさん』の役を横山だいすけという男性が担ってるんだが。彼はどうしてもその役がしたくて、NHK のお客様センターに電話を。が『ここに掛けられても困ります』と断られたんだと。だが彼は、そこに電話をするしか術がなく、何度も何度も、そこに電話をしたんだそうだ。すると、電話対応してくれた人が根負けして『まず無理だと思うが、上に繋ぐだけ、繋いであげるよ』と番組の内戦に繋いでくれたんだと。すると、偶々その時、オーディションで『うたのおにいさん』に採用出来る目ぼしい人材が見つかっておらず『試しに、その男性を呼んでみたらどうだ』で面接試験をしたそうだ。その結果、合格して現在、その役を手に入れたと。明治時代の教育者の森信三さんが『出会う人(物、縁)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』と。つまり『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん』という事だな。諦めずに歩いていると、いつかはそのタイミング(縁)に出くわす、という事だな」と。


続けて拙僧「ほんと就職って、運も大きく左右するみたいだよ。但し、運も実力の内、と言うからね。常日頃から懸命に努力をして実力を付けておかないと、その運が巡ってきても、目の前で逃げていってしまう事になるよ。因みに、仏教用語に『啐啄同時(そったくどうじ)』という言葉があってね。鳥の雛(ひな)が卵から産まれ出ようと、卵の中から殻を突いて音を立てた時、その音を聞きつけた親鳥がすかさず、外から殻を突いて殻を破る手助けをする、を意味する言葉なんだが、これ、叔父さんが何を言いたいか、皆まで言わんでもわかるよな」と妻妹のその英国人息子に。この息子、母親(妻妹)が日本人なので、少々難しい日本語でも、ある程度は理解をしてくれるので、話し易いんですよね。


現在、その息子は希望の会社に就職し、10歳、20歳上の先輩達から厳しく、社会の洗礼を受けております。先日も人間関係で愚痴を言ってきたので、長い時間その愚痴を聞いてあげた後、彼(妻妹の息子、拙僧の甥)に「何でもがそうだが、否定から入ったら、得るものはないぞ。経験者からの注意、助言は、我が意に沿わずとも、まずは一旦、聞き入れろ。その後、屁理屈言わずに、助言通りにまず動け。動いたら、何かしらの答えが出てくるからな」と。すると彼が「おじさんの法話の本にも、その事が書かれてあったよね。僕、この本、難しいけど、英語に翻訳していつも読んでるんだよ。英国人にも当てはまる事が沢山書かれてあるから、参考になるんだ」と。嬉しい事を言ってくれます。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、5月1日になります。