1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 投稿写真は、織田信秀公と信長公父子。まるで、藤岡弘さんと岡田准一さんの継承儀式みたい。拙僧の勝手な想像で、申し訳ありません。

2023-08-28 15:41:56 | 法話

【8月30日投稿分】


 今日(約10年間)までに、SNS に投稿した法話は、約3000話程になっておりますが、以下のもの(投稿 1、2、3、)は以前、X(元Twitter)のみに投稿させてもらった法話です。法話に対する返信メールの中には「住職の法話は、140字の俳句ですね」と深読みをしてくれる人達(拙僧法話の読者は、大半がこの様な人達)もいれば、今日までに身に付いた自分の知識、経験だけが『これが正しい見解』と言わんばかりに、文句や批判を押し付けてこられる人達も。人は知識、経験が増すごとに、今現在ご自分が正しいと思っている事も、その都度、その都度、変化をしていくのに。だからこそ、人(他者)を批判する様な事は、やめた方がいいと思うのですが。特に、子育て中は、ですね。理由も聞かず、頭ごなしに親の主観(親が判断する善悪)を押し付け、子供を叱りつけるは控えられた方が。人(子供)がそう動くには、そう動くだけの理由が、必ずあるはず。大人であれ、子供であれ、嘘をつくは自分を守る為にて。拙僧が5日ごとに投稿しております法話を、少々長文にさせてもらっている理由は、少しでも読者(小学生、中学生も少なからず読者の中に)の人達が分かりやすく読める様に、との思いからです。そんな理由があっても、文が長い、鬱陶しい、と思われるお方は、どうぞ、無視してくださいませ 


【投稿1】


読者歴女高校生が「今年の大河ドラマ『どうする家康』ですが、どうですか。私は常に信長公のファンですが、岡田さんの織田信長、どうですか」と。拙僧は、岡田准一さんという俳優の大ファンでね。作品は殆ど見てる。今度の信長は、織田信長というより、岡田信長、かな。食ったかな、岡田さんは、信長公を。褒め言葉です」と。


拙僧の『岡田准一さんの織田信長公法話』のフォロー者を検索してみたら『岡田一門』の人達が数多く。『岡田一門』って、ドンピシャのネーミングですね。『現代の侍』ですもんね。俳優の藤岡弘さんの後継は、岡田准一さんしか、いないかな。間違いなく、同じ匂いがする。何とも、いいね、岡田さん。久々に、興味を持てる俳優さんが出現。


【投稿2】


檀家の婆様が「住職、こんな事言っちゃいかんが、92歳の夫が痴呆になってくさ。私達には子供がないので、大変なのよ、世話が。もう限界が来たんで、病院に入れたんだけど、そうしたら、毎日電話が。電話が鳴る度、ビクッとして、ストレスに。痴呆なんだからさ、私の事も忘れてくれればいいのに」「そりゃ、婆ちゃん、無理だわ」と。


婆様といえば、お盆が来たら、毎年思い出します。家庭の事情で拙僧、幼児の頃から母親がおらず、祖母に育ててもらったのですが、その祖母がいつも「博ちゃん(拙僧の俗名)。人に気を遣える様な人間になりなさい。人から気を遣われる様な人間には、なってはいけませんよ」と。拙僧の法話には、様々婆様の教訓が盛り込まれております。


【投稿3】


先日もまたあった。お互いがどうしようもないほど、好き同士なのに、たった一言の言葉を出せなかったが為に、別れようとしているカップルが。そのカップルに拙僧「素直に言葉に出すだけが、何故に出来ん。つうかあの仲、とか、阿吽の呼吸、などの言葉があるが、人間は、話さにゃ通じん。この言葉足らずで後悔したは、何組もいたよ」と。


読者男性が「お互いに心の内を言葉に出さず、別れる事になるも、やはりこれも縁ですか」と。「こんな言葉が。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、縁を活かせず』と。また、こんな言葉も。『出会う人には、出会う様になっとる。それも、一瞬遅くもなし。一瞬早くもなし』と。縁に気付かず、過ぎる人、多いかな」「御意」と。


【投稿4】


読者20代女性が「親活で親が連れてきた男性と会った」と。「昔の見合いだね。抵抗ないの」「ない。親が認めた人だから、安心して会える。結婚するかどうかは、別だよ」「拙僧の爺様は50組以上の仲人をしたらしいが『30を超えた独身子供がいる家庭は、親が売って回らんと、買い手はつかん』と度々。今で言うところの親活だね」と。


昔は、見合い結婚は負け組、恋愛結婚は勝ち組、の印象があった。が、見合いであろうが、恋愛であろうが、出会った時には、初対面であるは同じ事なのにね。現在、統計では、4割が離婚していると。その4割の内の8割が、恋愛結婚組と。結婚は人生の墓場、の墓場は永眠、安眠の意味。結婚で人生の安らぎを得た、が本来の意味にて。


【追伸5】


何かしらの理由で疎遠になった親子、夫婦が「今後、会いに行った方がいいですか、もう会わない方がいいですか」と問い掛けてくる事が。対し、拙僧「その人(相手の環境を考えて)の人生に、自分は登場してもいいのか、もう登場しない方がいいのか。それは、あなた自身が判断する事かな。じっくり考えてみてください」と返答を。


上記法話を投稿すると「会いたいんじゃないでしょうか。何とも思ってないならわざわざ聞きません」とメールしてこられた読者が。その通りなんですが、拙僧がこの返答をする前には、かなりの長い時間、当人との話し合いが持たれております。「いきなりこんな返答を、住職がするはずはないよね。恐らくこの140字内には、何かしらの含み言葉があるのではなか」と、読み取って(読解力、推察力)もらえれば、有難いのですが。140字という字数では、詳細を説明する事は困難ですもんね。解釈は読者の方々にお任せする以外はないのですが。拙僧の法話は、小学生、中学生も少なからず読んでおられますので、そういう意味からも、少々長めの法話になっております。


尚、拙僧も『出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝』というグループを持っておりますので、そこで過去の法話を読む事が出来ます。また、Instagramでも『tentokuz-kongouji山本英照』、facebookでも『山本英照』、X(元Twitter)でも『天徳山金剛寺』で検索して頂きますれば、同じく過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、そちらの方にもどうぞ、お越しくださいませ。


次回の投稿法話は、9月5日になります。今日は仕事で、家内と福井県へ。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 素直に物を見れる人っていうは、判断が鈍る事は、少ないかもね。

2023-08-26 20:22:28 | 法話

 臨時法話。先日86歳で他界された社長との思い出を一席 。この方を供養する思いで 】


毎月1日、朝5時、従業員の職場安全、身体健全、家庭円満の祈願に50年以上、1日も欠かさず、わが寺に参拝して来られたこの社長が、70代そこそこの時、友人の社長とゴルフに。プレーしている最中に、バンカーで蛇がカラスに襲われていたと。2人でクラブを振り回してカラスを追い払い、蛇を逃した後、暫くしてから2人で顔を見合わせ「さっき、俺達のやった事って、正しかったのかな」と。で、後日、その答えを聞きに2人で拙僧のところへ。こういう立場の人達(社長、師匠、医師、住職、親、先生など)は結構に、上から物を言うばかりで、上から物を言われる事が、少ない人達が多い。が、この2人はそういう様な人達では。如何なる事にも、自分の心に是非を問う事が出来る人達にて。こんな社長が座る会社の社員さん達は、働き易いでしょうね。


対し、拙僧「これは保育士を勤めている檀家の女性から聞いた話なんですがね、蜘蛛の巣に捕まっている蝶々を逃してあげた時、幼稚園の男の子から『蜘蛛が可哀想じゃないか。蜘蛛だってご飯が欲しいのに』と。その女性、その言葉を受けて『そうか、蝶々は綺麗、可愛い、良い生き物、蜘蛛は醜い、怖い、悪い生き物、と勝手に決め(思い)こんで。この蜘蛛に私が一生、ご飯を与え続ける事など出来ないのに』と反省されたそうですよ。これが拙僧の答えですが、よかですかね」と。すると2人の社長が「なんか、住職のこの答えだが、この問題に限らず、様々あらゆる反省材料になった気がするわ」と社長2人が。


さて、次の話は余談ですが、これも檀家の女性保育士さんから聞いた話です。3歳児同士が保育園で大喧嘩を。そこへ年長(6歳)のお兄ちゃんが、喧嘩の仲裁に入り「それだけ喧嘩したら、もう気がすんだろ。あとはスパっと仲直りしろ」と。この言葉で3歳児が、喧嘩をストップさせた。冷静さを取り戻した2人は、お互いに謝って仲直りを。当に、この6歳のお兄ちゃん、神対応を。それを見ていた檀家の女性保育士さんが「この喧嘩、私だったら、どう対処しただろ。2人に『どうしてこうなったの』と根掘り葉掘り問い正し、そうなったら、子供達は自分の正当性を言い合って、恐らく、更に喧嘩はエスカレートを。『今、ここは、何を優先させるか』を6歳児に教えられました」と。


子供に教えられる事って、結構に多いですよね。当に『負うた子に教えられ、浅瀬を渡る』です。大人は聞く耳、見る目を持ったら、子供の言動も大いなる教訓に。


次回の投稿法話は、8月30日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿にて。反対も然り。天から貰った最高の贈り物は、わが旦那さんにて。

2023-08-24 09:46:02 | 法話

【8月25日投稿分】


今月の8日は、わが女房殿の57回目の誕生日にて。2人ともここまで命を長らえ、一緒に結婚35年目を迎えられた事を、心から感謝致しております。拙僧30代の頃、2回、女房殿からマジ蹴りを喰らった以外は、喧嘩というものをした記憶が。その蹴りも、今だに喰らった理由が定かでは。その理由も、聞くのが怖くて今だに。踏んではいけない女房殿の地雷を、どうも、踏んだみたいで。女房殿は、拙僧に蹴りを入れた後「よし」と一言だけ発して、その後は何もなかったかの様に、日頃と変わらない対応を。この35年の間、感情をむき出しにして、怒ってきた女房殿を見た事がない。見た目とは違い、非常に男前にて。


さて、女房殿との馴れ初めは、拙僧が大学を卒業し、お寺に戻って来た頃に遡ります。その時が、初対面でありました。檀家さんの娘さんであった女房殿が、頻繁にお寺の手伝いに来ており、癒し系の雰囲気に、好印象を持ちました。「妻にするなら、この様な女性がいいな」と。決め手になったは、女房殿のお金に対する姿勢。檀家さん達のお布施でお寺の維持が出来、住職一家もご飯を食べさせてもらっている関係上、お金を大事(質素倹約)にする女性じゃないと、とても、お寺の坊守(ぼうもり、住職妻)は。因みに、坊守さんの事を、別名『寺庭(じてい)さん』と。お寺の庭は、見ているだけで心が癒されます。そういう雰囲気を持っている女性が、お寺の奥さんとなるに相応しいと。わが女房殿は当に、その雰囲気を持っておりました。2回、マジ蹴りを喰らいましたが。


大学を卒業して3年目、拙僧24歳の時、当時20歳だった女房殿に、交際の申込みを。その僅か3ヶ月後、女房殿に相談もせず、美空ひばりさんが最期のステージをされた小倉の九州年金会館、今の北九州ソレイユホールに結婚式の予約を。対し、女房殿が「まだ両親に、交際してる事も話してないのに」と。「今から話に行くったい」と拙僧。が、義父が了承してくれたは、式の予約日の3ヶ月前、これには流石に焦りましたね。


後に子供達から「父さん、そりゃ、犯罪やで」と。対し「何を言うか。母さんに考える暇を与えなかったから、君らはこの世に、生まれてこれたんだろうが。感謝されても、文句を言われる筋合いはなかぞ」と。「考える暇を与えなかったは、父さんの作戦だったの」と当時、小学生だった長男が。「そういうこったい。父さんの作戦勝ちや。後に、母さんが『20歳だったからね、気付いたら結婚させられていた。あの時、25歳を過ぎていたら、要らん事を色々考えて、結婚に同意してなかったかもね」と。


更に、長男が「父さんと母さんは、同じ高校だったってね」「それこそ、偶然だよ。父さんが卒業後に、母さんが入学してきた。もし、高校時代に知り合っていたら、母さんは父さんを選んでなかったろうな」「何故」「生まれた時から、坊主をやってた訳じゃないからな。当に、明治時代の教育者、森信三さんが言った『出会う人には、出会う様になっとる。それも一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』だよ。出会った時が、吉日(縁)だったと思う。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、縁を活かせず』という言葉があるが、父さんは運の良い事に、その縁を活かす事が出来たかな」と。この話を何度かSNS に載せたら、若い女性の読者達から「やり方は、褒められたものじゃないですが、かっこいいと言えば、かっこいいかな、住職は。今、こんな男性は、なかなかいないですよ」と。


女房殿は21歳から、3人の子供を育てながら、お寺の裏方を務めながら、拙僧の爺様、婆様、父、母を、最期まで献身的に世話(病気、老後介護)をして見送り、15年前からは、今度は、女房殿のご両親をお寺に迎え入れ、同居を。この時、17歳だった拙僧の娘が「お母さんの両親を、お父さんが世話をするの」と。「なんだ、お前は、同居に反対なのか」「いや、私は、嬉しいよ。賑やかになるから。だけど、また、お父さんの負担が」と心配してくれて。対し、娘に「有難うな。でも、お母さんは3姉妹だろ。みんな嫁いでいったら、誰が年老いた爺ちゃん、婆ちゃんの世話をするんだ。お母さんみたいに、女の子しかいない家庭の娘さんを嫁にしようと思っている男性は、そのご両親まで世話する事を視野に入れなきゃ駄目だよ。その気がないなら、初めっから、そんな家庭の娘さんを嫁にしようとは思わん事だ。両家の両親を同じ様に大切にする事が、家庭円満となる基軸だよ」と。


あのですな、読者の皆様。逆マスオさんも、結構、居心地がよかもんですばい。さあ、今度は拙僧夫婦が、爺ちゃん、婆ちゃんの立場になる番ですが、この先、どんな環境が私達に待っているのかな。楽しみ、楽しみ。まあ、どんな環境になろうと、私達夫婦が円満であれば、それだけで十分幸せかな。今日までに、何千という人達と関わってきた拙僧ですが、その人達が「住職よ、人生ってな、70歳代が最も楽しいぜ」と。色々、様々、人生(年齢)においての取り巻く環境を鑑みた時、確かにそうかもしれん、と納得を。


【余談】

女房殿は、80代の女房の母が皿を割ろうが、鍋を焦がそうが、物を失くそうが、女房の両親が夫婦喧嘩(常時)をおっ始めようが、いつも笑顔で対応し、全く怒ろうとしない。「皿が割れたら、また買えばいい。家の中で失くした物なら、その内、家の中から出てくる。夫婦喧嘩は、血流が良くなり、健康維持に繋がる。本来ならば、80代は手の掛かる年齢。自分で何でもやろうとするだけ、子供孝行だよ」と常に癒し系。ほんと、女房殿は男前にて。


【最後に】

今日の法話は、学校から講演を依頼された時、法話の最後には必ず、上記の話を。拙僧夫婦が、円満であるを自慢する為ではなく、夫婦がお互いを労り、助け合い、お互いを尊敬しあって生きている姿を見て育った子供は、やはり違うからです。何度でも言いますが、躾(しつけ)は「するもの」じゃないですもんね。躾は「見せるもの」ですもんね。儒学の教本『大学』の中に出てくる言葉に「修身、斉家、治国、平天下(しゅうしん、さいか、ちこく、へいてんか)」なるものが。天下を平定したいなら、まずは自分の国を。自分の国を治めたいなら、まずは自分の家庭を。自分の家庭を安穏に保ちたいなら、まずは自分の修養が大事、と。各家庭の集合体が、国ですもんね。国を平和に保てるも、保てないも、1人1人の心掛けによるところが、大きいですよね。


次回の投稿法話は、8月30日になります。











【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 夫婦って、よかですばい。わが心と折り合いをつけながら生活していくうちに、いつの間にか『似たもの夫婦』と言われる様に。

2023-08-23 07:06:59 | 法話

【この法話は昨年の7月7日に投稿したものですが「反省の為に」と旦那さん達からのリクエストが多い法話なので、今日、ここに】


お寺の法要後に、檀家さん達とお茶を飲みながら話をしていると、面白いもので、夫婦の力関係が手に取る様にわかってくる。先日も、どこでそんな発想を拾って来たのかは知らんが、奥様達が旦那さんの事を「うちのクッションが」とか「うちの座布団が」とか「うちの座椅子が」とか。訳がわからんので聞いてみると『尻に敷いている旦那』の呼称だった。


檀家の旦那さんには、自分の事を面白い表現で主張する人がいる。「住職よ。私ら夫は四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天『毘沙門天』。東西南北を護るガードマン)に踏みつけられている邪鬼なんだよな。家庭内では、四天王(女房)が幅を利かせて目立っているが、邪鬼(夫)も踏まれ続けながらも結構、頑張ってるんだけどな。その頑張ってる姿を少しでいいから、認めてほしいよな。だけど、邪鬼(物の怪、怨霊)が、仏法を犯す邪神として、四天王に踏み付けられ、懲らしめられ、苦しい表情を見せている様(投稿写真の四天王の足元)は、私ら(達)旦那が、自分勝手な行動を取り、夫婦関係を壊して、女房から懲らしめられている姿もそれかな、と反省する事も」と旦那さん達も懺悔を。


また、旦那さんの中には「四天王に踏まれてる邪鬼だが、踏み付けられている間は、まだいいか、と思ってしまう私(夫)がいる。『こんなの要らん』と蹴られて、転がっていったら、どこまで落ちていくんだろうか、と考えただけで恐ろしい。特に私は、定年前なので。住職よ、逆らってはいかんもんに、逆らったら、あかんよね」と。「夫婦関係を含む人間関係は全て、割り切れん物を無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付けていくしかない。生まれも、育ちも、性格も違う男女が、何かしらのきっかけで結婚し、一緒に暮らす事になる。人間は大なり小なり皆、自己中心的な生き物。長年の間に折り合いながら生活していく内に、知らず知らずに『似た者夫婦』と言われる様に」と。


まあ、でも、上記の様なご夫婦は、なんだかんだ言っても、夫婦仲がいいですよね。拙僧夫婦も力関係は、完全に拙僧の方が立場は下ですが、非常に居心地がいいですもんね。


さて、これは余談ですが、許される人と、許す人。どちらがより心が楽になるかといえば、やっぱ、許す人の方かな。怒り続けるというは、ほんと、しんどい。許してもらった人が浮かべる安堵の表情は、許した人が背負っていた荷物も、全て下ろさせてくれる。喧嘩は両成敗。片方が100%悪いなんて事は、絶対にないかな。


次回の投稿法話は、8月25日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 私には2人(父母)の親が。2人の親には4人の親が。2+4+8+、と20代遡ると200万人の先祖が。1人でも欠けていたら、私は。

2023-08-22 06:26:17 | 法話
【この法話は、昨年10月21日に投稿したものですが、供養と納骨堂に関する考え方を、問うてこられる読者が結構におられますので、再度、この法話を。7月施餓鬼盆、8月盂蘭盆、9秋のお彼岸と続くからですかね。臨時法話】

読者が「毎日投稿される法話を読み始めて3ヶ月程になりますが、住職はお寺に勤めて、何年程になりますか」と。「約40年、ですかね」「今と昔で大きく変わった点は、何ですか」「やはり1番は、看護協会から講演に何度か呼ばれた時、方々の大病院の看護師さん達が、病院で他界の親の遺体を『いらん』と、引取拒否する子供がいる、と聞かされた事ですかね」と。

対し、この読者が「えっ、それって本当の話ですか」と。「病院側が親の遺体を受けに来ない子供に電話をすると『要らん』と返事を。人がそう動くには、必ず、そう動くだけの理由があります。捨てられる様な事をした親なのかも。だが、子供が引き取らねば、病院、福祉が、後の始末を。死んだ人間が自力で歩いて、火葬場には行けない。家庭問題、親子喧嘩に第三者は何の関係もない。例えどんな理由があろうと、他者に迷惑(費用、手間)を掛けて、平気でいる子供の人間性も疑いますよね」と。

更に「他にも、病院から直接火葬場に向かい、遺骨をそこに捨ててくる子供や、遺骨は一応持って帰るが、住所、氏名が記されてある埋葬許可証を抜いて、電車の中や、家庭ごみ収集場所に置き捨てる子供も。それも少ない数ではない。ある自治体では2017年度、身元が判明の捨て遺骨51柱の内、引き取りに来たは1柱だけと。ここまでとは言わずとも、これに近い事例は、拙僧の耳に幾つも。子供や孫が祖父母に対するそんな親の行動を見て、命の尊さを勉強出来るはずがない。ある中学生が『人間死んだら、ゴミ処理と一緒か』と放った言葉には衝撃を覚えました。何か、悲しいですよね。だけど、拙僧の今回のこの話は、こうした問題のほんの一部に過ぎません。お寺側(住職)の責任問題も当然、問われています。人間関係が希薄になってきたも、こうした事が要因の1つになっているのかな、と思わん事も。また、機会があれば、おいおいこの話を」と、この読者に。

【追伸、こんな事例も】

檀家が住む分譲マンションで、1人暮らしの老人(男性)が孤独死を。檀家が曰く「福祉の人が子供に連絡すると『葬式はそっちでやって、遺骨だけを持ってこい』と、その福祉の人に命令口調で。その3ヶ月後、その老人の息子家族が、分譲マンションに何食わぬ顔で引っ越して来た。マンションの住人は皆、事情を承知。が、悪びれもせず、こちらから挨拶しても、挨拶を返す事は一切なし」と。似た様なケースを拙僧、何度か耳に。

以前、こうした法話を投稿すると、親に酷い仕打ちをした子供の方を、擁護するメールを送ってよこしてきた人達が。どうも、その人達の反論の内容を聞いていると、これに似た様な事を親に対して、しておったようで。人間は、人に言われて腹が立つ時は、自分に身に覚えがあるから、なのかな。人間は皆、事情を抱えております。事情の塊が人間であるに、間違いはありませんが、正当化するにも、限度というものが、ありますよね。

【わが寺での納骨堂契約】

読者が「住職は檀家さんには、大変厳しそうですが、納骨堂の契約の時もやはり、厳しいのですか」と。「別に、普通通りにしていたら、何も厳しい事は言いませんよ。ただ、わが寺の納骨堂契約書には『金剛寺の納骨堂は、要らない物を置かせる場所、要らない物を捨てる場所、に非ず。姥捨山の如き扱いをしたら即、遺骨は突き返す』の文言が記してあります。過去に2家、突き返した家が。数日後『2度とこんな事はしませんから』と、その家の人達がお寺に。対し、拙僧『他の家は家族で参拝してきて、先祖に声掛けを。あなたの家だけだよ、ほったらかしているのは。本堂に上がって、手を合わせい、とまでは言わん。せめて、祖父母や親に声掛けを。この家の故人達を皆、知ってるから、気の毒でならん』と。すると、その後は毎月、納骨堂に参拝を。どんな心で来てるかは知らんですよ。『あの坊主、うるせえ。行っときゃ、文句ねえだろ』かもしれません。ところが、毎月行き出すと、今度は行かないと気になり始めます。習慣付けさせるが、住職の役目にて。手を合わせて、頭を下げるという習慣は、特に、幼児、子供にとっては、非常に大事な事。これで、命の尊さと命の流れに対する感謝が、身に宿っていきますもんね」と。