全く勉強しない息子を連れ「言い聞かせて下さい」と母親がお寺に。「嫌いかい」「うん」「1日3分でも嫌かい」「それなら」「じゃ、1日1個だけでいい、漢字を。1年で365個身に付く」と。後日「漢字テストで覚えていたのに書けなかった」とお寺に来て悔し涙を。今その子は高校生。難関進学校へ。
今年最後の法要で「年が明けると数多の人が『今年も良い年で』と海や山へと初日の出を拝みに。が、大晦日の夕暮れ、今年最後の日の入りに『あなたが1年間昇ってくれたおかげで生きてこれました』と頭を下げ、手を合わせる人がどれ程あろうか。願う前にまず感謝を。全ての始まりは『有難う』から」と。
欲深い若者に「自分さえ良けりゃ、の世界に幸せなどない。多くの『自分さえ良けりゃ』に潰されるだけ。共食いだね。いくら欲を出しても、胃袋の大きさも、1日24時間も決まっとる。秀吉公が『人は起きれば半畳、寝る時は1畳あれば足りる。天下を取っても1日に食える米は2合半』と言ったばい」と。
女房殿を大切にせん主人に「釣った魚に餌やらん、なる男性がおる。が、この言葉は逆。大海原の魚は豊富に食べ物もあり、自由も。その環境を奪っておいて。息絶えて一番困るは旦那。晩年、女性は1人でも生きていけるが、それまで上げ膳据え膳で生きてきた男性は。一番大事な物は一番近い所にある」と。
先代他界後年齢と体調に不安ある男性陣が「誰がお伴を」と顔を見合わせて。が、86歳尼僧が2ヶ月後に逝くと「わしじゃなかった」と安堵を。「皆『わしが住職のお伴を』と父に言ってなかったか。『誰も連れて行かんわい』と父も笑っとろ」と言うと苦笑いを。この男性陣、15年経った今、殆ど逝った。