
第2話:鎌倉街道突入!
小平6小を過ぎ再度南に進路をとった。一度路地に入れば、住宅街と畑が広がっている。多摩地区は皆こうなのであろうか。
するとまたもや交差点に出た。どちらに曲がるか紛糾したのだが、先生が鎌倉街道の標識を発見し、左折。次の交差点を右折し、やっとのことで鎌倉街道に到達した。さすがは古道。住宅街の路地でありながらひたすらまっすぐなのである。この道が、分倍河原を越え町田を越え鎌倉まで繋がっている。
私たちは鎌倉街道をひたすら南進した。すると気づいたのだが、まっすぐな線形のためか、地元民の抜け道になっているようで、路地のくせにしては車がよく通る。ただし、一方通行のようである。(この先では救急車にも遭遇した。)確かに信号はないし、まっすぐならば、走りやすいといえば走りやすいが。路地裏なので、住宅街のど真ん中。鎌倉街道であるといわれなければ何の変哲もない道である。さすがに集団で歩く人はいなかった。
次の交差点を直進すると、周囲はいきなり畑になった。奥にはビニールハウスがあり、そのとなりにはプレハブ小屋があった。その小屋には看板がかかっていた。うる覚えで申し訳ないのだが、その看板には以下のようなことが書かれていた。「○○の野菜工場」(○○はよく覚えていない。)すると、「工場だから中でがっちゃんがっちゃんやっているのかな」という話が出た。さすがにそこまではやっていないだろうが、何かしらの青果食品を出荷していることは間違いないであろう。
さて、私たちの目の前には大きな道が見えてきた。これが青梅街道である。まだ旅は始まったばかりだ。
(つづく)
研修旅行コラム
青梅街道
青梅街道は、東京都新宿区と山梨県甲州市を結ぶ道路である。この路線は甲州街道と新宿追分で分岐する甲州裏街道とも呼ばれていた。もともとは、成木(青梅市)の石灰を江戸城に運ぶための道路であったが、途中に関所がない(甲州街道には八王子市の小仏峠に関所がある。)ため、旅行客も多く通った道であった。鎌倉街道とは小平市小川町2丁目のJR新小平駅付近で交差している。またこの道は、西多摩、北多摩地区の東西路の大動脈(西多摩、北多摩には国道がほとんどない)ため、多摩随所の渋滞スポットも多い。
著者:研究関連担当代表
小平6小を過ぎ再度南に進路をとった。一度路地に入れば、住宅街と畑が広がっている。多摩地区は皆こうなのであろうか。
するとまたもや交差点に出た。どちらに曲がるか紛糾したのだが、先生が鎌倉街道の標識を発見し、左折。次の交差点を右折し、やっとのことで鎌倉街道に到達した。さすがは古道。住宅街の路地でありながらひたすらまっすぐなのである。この道が、分倍河原を越え町田を越え鎌倉まで繋がっている。
私たちは鎌倉街道をひたすら南進した。すると気づいたのだが、まっすぐな線形のためか、地元民の抜け道になっているようで、路地のくせにしては車がよく通る。ただし、一方通行のようである。(この先では救急車にも遭遇した。)確かに信号はないし、まっすぐならば、走りやすいといえば走りやすいが。路地裏なので、住宅街のど真ん中。鎌倉街道であるといわれなければ何の変哲もない道である。さすがに集団で歩く人はいなかった。
次の交差点を直進すると、周囲はいきなり畑になった。奥にはビニールハウスがあり、そのとなりにはプレハブ小屋があった。その小屋には看板がかかっていた。うる覚えで申し訳ないのだが、その看板には以下のようなことが書かれていた。「○○の野菜工場」(○○はよく覚えていない。)すると、「工場だから中でがっちゃんがっちゃんやっているのかな」という話が出た。さすがにそこまではやっていないだろうが、何かしらの青果食品を出荷していることは間違いないであろう。
さて、私たちの目の前には大きな道が見えてきた。これが青梅街道である。まだ旅は始まったばかりだ。
(つづく)
研修旅行コラム
青梅街道
青梅街道は、東京都新宿区と山梨県甲州市を結ぶ道路である。この路線は甲州街道と新宿追分で分岐する甲州裏街道とも呼ばれていた。もともとは、成木(青梅市)の石灰を江戸城に運ぶための道路であったが、途中に関所がない(甲州街道には八王子市の小仏峠に関所がある。)ため、旅行客も多く通った道であった。鎌倉街道とは小平市小川町2丁目のJR新小平駅付近で交差している。またこの道は、西多摩、北多摩地区の東西路の大動脈(西多摩、北多摩には国道がほとんどない)ため、多摩随所の渋滞スポットも多い。
著者:研究関連担当代表