都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第8回

2006年03月27日 18時23分29秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
川越市立博物館
 道を引き返し、1時18分、川越市立博物館にたどり着いた。トイレの後、早速見学した。ミニ展「むかしの勉強 むかしの遊び」展をまず見た。昭和30年代と平成元年ごろの川越の小学校が、「大掃除」や「運動会」「修学旅行」などテーマ別に比較できるよう展示されていた。昭和30年代の「大掃除」の写真で、女子のスカートの中が写ってしまっていた点について、財務担当と構成員Aが「これは法律に接触するのではないか。」と意見を交わしていた。又、平成元年ごろの「水泳」の写真について、構成員Aが「何で女子のほうを写しているんだろうね。」とたずねると、財務担当が「カメラマンの好みじゃない?」と答えていた。
展示室内には、昭和の頃の様々な日用道具が展示されていた。体験コーナーとして、古い計算する機械があった。どのようにしてそれを操作すればよいか、私どもは色々考えた。その時!学芸員の方がいらっしゃり、私どもにそれの使い方を解説して下さった。なかなかおもしかった。
特別展示を見た後、常設展示室に移動する途中、特別展示のアンケートがあったので私は答えた。
常設展示室は「近世」「近代」に重点を置いたつくりになっていた。見始めて少したった頃、「(5分後の)午後2時より学芸員がガイドをいたします。所要時間は30分ほどです。」という案内が放送された。しばらくすると、学芸員と参加者がやってきて、ガイドを行っていた。私は、せっかくなので「近代・現代」からガイドを聞いた。興味深いお話ばかりであった。
川越の街なみが蔵造りとなった理由についてのお話もさることながら、私が一番興味を引かれたのは、「蔵造りの町並み復元模型」を前にして聞いたお話である。
明治26年(1893年)3月17日午後8時頃~翌18日午前5時ごろにかけて発生した「川越大火」は、町の北の方で出火し、北西の風にあおられて川越の町全体に広がっていった。それを教訓として、蔵造りの家々は北側には窓をほとんど設けず、日のあたる南側に窓を開けているという。模型を見ると、たしかに北側に窓がある蔵造りの家は、ほとんどなかった。逆に、南側から見ると、窓がたくさんあった。これにはただ驚くばかりで、非常に感動した。
これ以外にも、興味深いお話をうかがい、最後に「川越まつり」のビデオを6分間鑑賞し、ご案内は終了した。私はまだ見ていなかったところを見学し、先に進んだ。
すでに見学を終えられた会長、構成員A、財務担当はビデオコーナーでビデオ鑑賞やインターネットをなさっていた。しばらく、ビデオコーナーで色々やり、常設展示室を出てトイレに行った。そして2時52分、2分遅れての出発となったのである。(つづく)(執筆:会長)


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