喜多院(1)
しばらく進み、またも石階段を登ると喜多院の慈眼堂(じげんどう)があった。その後ろには、「暦応(りゃくおう)の古碑(こひ)(板碑)」や「延文(えんぶん)の古碑(板碑)」をはじめとして、様々な石碑があった。しばらく慈眼堂や石碑を眺めた後、もとの石階段を降り、鐘楼門(しょうろうもん)に近づいた。脇を通り、道路に出て正面を眺めると、門に緑色の竜の彫刻が見えた。
眺めた後、再び鐘楼門の脇を通り、ベンチなどのある休憩所へいき、休息をとった(9時42分頃)。私はトイレへ行った。
9時47分ごろ、続いて本堂(慈恵堂)へ向かった。本堂はカラフルな幕が周囲についていた。あとで思ったのだが、この日は建国記念日で祝日だからこれがついていたのだろうか。
手を洗い清め、煙を浴びた後、私どもは本堂の中へ入った。お賽銭箱やおみくじ、お守り売り場などがあった。
本堂を出た私どもは、本堂の左横の苫抜き地蔵の前へ行った。『ここにだるまを置かないで下さい。』という看板が立っていた。地蔵の前に平べったい台があったため、財務担当は「(台があるから、人々は)ここにだるまを置きたくなるのだろうね~。」と感想を述べていた。
その右横には絵馬をかけるものがあり、私どもは絵馬に書かれている願い事の文を色々と読み、批評しあった。
9時56分、私どもはそこを出発し、本堂の前を通って、庫裏(くり)へ向かった。その入口には建国記念日のためであろうか、「日の丸」がはためいており、会長は脱帽しておられた。又、その左隣には小さな大黒堂があり、そこにあったスタンプを私はしおりに押した。1つは川越七福神の『第三番 大黒天 喜多院』と書かれたもので、もう1つは五百羅漢と『小江戸川越』という文字が入ったものである。(つづく)(執筆:会長)
しばらく進み、またも石階段を登ると喜多院の慈眼堂(じげんどう)があった。その後ろには、「暦応(りゃくおう)の古碑(こひ)(板碑)」や「延文(えんぶん)の古碑(板碑)」をはじめとして、様々な石碑があった。しばらく慈眼堂や石碑を眺めた後、もとの石階段を降り、鐘楼門(しょうろうもん)に近づいた。脇を通り、道路に出て正面を眺めると、門に緑色の竜の彫刻が見えた。
眺めた後、再び鐘楼門の脇を通り、ベンチなどのある休憩所へいき、休息をとった(9時42分頃)。私はトイレへ行った。
9時47分ごろ、続いて本堂(慈恵堂)へ向かった。本堂はカラフルな幕が周囲についていた。あとで思ったのだが、この日は建国記念日で祝日だからこれがついていたのだろうか。
手を洗い清め、煙を浴びた後、私どもは本堂の中へ入った。お賽銭箱やおみくじ、お守り売り場などがあった。
本堂を出た私どもは、本堂の左横の苫抜き地蔵の前へ行った。『ここにだるまを置かないで下さい。』という看板が立っていた。地蔵の前に平べったい台があったため、財務担当は「(台があるから、人々は)ここにだるまを置きたくなるのだろうね~。」と感想を述べていた。
その右横には絵馬をかけるものがあり、私どもは絵馬に書かれている願い事の文を色々と読み、批評しあった。
9時56分、私どもはそこを出発し、本堂の前を通って、庫裏(くり)へ向かった。その入口には建国記念日のためであろうか、「日の丸」がはためいており、会長は脱帽しておられた。又、その左隣には小さな大黒堂があり、そこにあったスタンプを私はしおりに押した。1つは川越七福神の『第三番 大黒天 喜多院』と書かれたもので、もう1つは五百羅漢と『小江戸川越』という文字が入ったものである。(つづく)(執筆:会長)