都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第19回

2006年02月21日 15時19分39秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
しだくら橋(2)
 さて、そんなしだくら橋前にして、私どもはみんなで渡ってみることにした。しかし、渡れるのは5人で、さらに反対側から渡ってくる人もいるため、私どもは3人ずつで渡ることにした。そのため、顧問の音頭のもとグー・チョキ・パーで3つの班にわかれた。班編成は次の通り。
 1班:全権代行・私・構成員B
 2班:会長・出納担当・副代表
 3班:構成員A・顧問
 早速、私ども1班から渡り始めた。確かにゆらゆら揺れる。これは普段味わう感じではないので、私どもに恐怖心を抱かせる。
 構成員Bは羽黒三田神社で階段降りに恐怖を抱かれていたように、こういった高所での活動が苦手のようで、叫びながら渡っておられた。又、普段は冷静沈着な全権代行も、この時ばかりは普段より甲高い声をあげられていた。橋の真ん中に来た時、私はデジカメで川を撮影したが、構成員Bらに早く渡れと怒られてしまった。
そして、ようやく向こう岸に到着した。私どもの後から、続々とやって来る。出納担当は「こんなの楽勝じゃん。」と言いながら、余裕の表情を浮かべておられた。又、副代表はビデオを回しながら渡っていたそうだ。後日視聴したが、副代表の後を歩いていた構成員Aの叫び声がたくさん入っていた。
昼食とガイドと
 さて、こうしてしだくら橋を渡ったのだが、とくにこちら側に用があるわけではない。また戻らなければならないのである。それを知って構成員Bは「えーっ!又渡るのー!?」と悲痛な声をあげておられたが、ここにはスペースがあるので昼食にしようと顧問が提案された。確かに、ここで昼食を取っている方が前方に見え、私どもも昼食とすることにした。
 しかし、特に椅子があるわけではないので私どもは石組みの上などに座り、各自で昼食を取った。顧問だけが、少し離れた所で食べることになってしまい、大変申し訳ありませんでした。私は今朝ファミリマートで急いで買った納豆巻き(と思われる)とパンを食べた。食べていると、5人までしか渡れないしだくら吊橋をおじさん・おばさん集団が一挙に渡っていた。おそらく10人ほどだったと思われるが、度胸があることよ。
 これまでの研修旅行から分かるように、顧問などは食べるのが早く、私はとても遅い。そこで、この時間を利用して、快速進行のためこれまでの場所で実施を延期してきたガイドを行って頂くことにした。
 まずは出納担当より、「奥多摩ビジターセンターともえぎの湯」。小平グリーンロード研修の時と同じように、原稿をメールで保存し携帯電話に表示しようとしていたが、なかなか電波が受信できず難儀しておられた。ガイドからは「ほっほー、ビジターセンターはそういう所であったのか。」という知識を得ることができた。
続いて、会長による「奥多摩の自然」。奥多摩町役場は海抜339mの所にあり、奥多摩町は東西に19.5km.、南北に17.5㎞で、面積の94%が森林であるそうだ。
 3番目は全権代行による、「奥多摩むかしみち」について。むかしみちは旧青梅街道であるが、その昔青梅街道は「甲州裏街道」とも言われていたそうである。
12時13分より、4番目副代表から「奥多摩町の歴史」について。古代からの歴史を話して下さったが、制限時間6分を越えたため、中断となった。
 尚、ガイドの途中で構成員Aが、吊橋を支える鉄柱にしがみつきぶら下がるという蛮行をなさったため、会長などが遺憾の意を表明し、顧問が「おい、やめろ。」と注意しておられた。
 ガイドが終了し全員が出発の用意ができたため、出発することになった。(執筆:会長<元・研究関連担当代表>)


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