都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第22回

2006年02月27日 19時07分48秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
水根での行軍
 斜面を下り、歩いて行った。この辺りの道はうっそうとした木々に囲まれ、もはや山道である。私は後ろから2番目を歩き、1番後ろは副代表が歩いた。私どもはどんどん進んだ。
繰り返すが、まさしく山道である。登りが続き、なかなかきついものがあった。しかし、そんな状況でも副代表は時たま立ち止まってビデオ撮影をし、走ってやってくるということを何度もやっていておられた。
途中で本来の「奥多摩むかしみち」に合流し、引き続き歩いて行った。前をゆく会長や出納担当、構成員A、構成員Bはどんどん歩いていく。だいぶ疲れてきた。息が切れてきた。ちょっと前をゆく全権代行なども疲れてきたそうで、顧問が「ここを登ったら休憩しましょう。」とおっしゃり、そこを登りきってちょっとスペースのある場所にたどり着いた(1時32分)。しかし、前をゆく会長・出納担当・構成員A・構成員Bは既に先へ進んでしまった。全権代行が「まだ行くんですかぁ?」とまいっておられ、副代表が会長らの所へ駆けつけて停止させたようである。
本当に疲れた・・・。汗をかいて暑かったため、着ていた上着を脱いだ。後日会長に、何故あんなに歩いて行ったのかと尋ねた。すると、会長からは「何だかジャングル道のように思えて、行軍しているという感覚に襲われて気合が入った。」という答えがあった。ちなみに、当日会長が着用していたズボンはインターネット販売で買った、旧東ドイツ軍の軍服だったそうである。彼にとって神秘的なエネルギーを受けておられたのであろう。
さて、私どもが休憩していた所は青目立不動堂の前だった。顧問は見てみようとしたが、公開をしていなく、残念そうであった。
10分ほど休憩をし、再び出発することにした(1時40分)。小さな階段を登ると、右手に会長らが座っておられ、合流して歩いて行った。
さらばむかしみち(1)
遠くには奥多摩湖が見えるようになった。道は車道となり、急カーブを曲がりながら歩いて行ったが、遂に雨が降り出した。私や出納担当など一部の方は折り畳み傘やカッパを取り出し、着用した。顧問は「もうここまで来てしまったので、このまま行きましょうね~。」とおっしゃっていた。「奥多摩研修を、あきらめない。」
そして水根休憩所が右手遠方に現れ、奥多摩むかしみちが終了した。但し旧青梅街道はここで終わるのではなく、この先は大菩薩峠を越えて甲府まで続くそうである。
雨の中、下り勾配の道を進んだ。水根沢遊歩道は狭い川の上にこれまた狭い橋がかかっており、雨の中そこを通るのは「いとをかし」の世界であった。
そしてさらに進むと、右手で道が枝分かれしていた。右手の道は急な斜面になっており、このまま直進すべきか右手に進むべきか判断がつかず、地図を参照した。しかし、このような分岐点は地図に載っておらず、大変迷った。紛糾した末、副代表などから直進すべきとの答申が出され、そうすることにした。すると、青梅街道に出た。これで良かったようである。
尚、後日東京都水道局発行の「ようこそ 水源地ふれあいのみちへ」パンフレットを見ると、右手のみちは「見晴らしの丘歩道」の一部で、登山道チックな道であったようだ。(執筆:会長<元・研究関連担当代表>)

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