都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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横浜をゆく ~文字でふり返る横浜研修~ 第13回

2006年04月28日 21時41分27秒 | 【連載】横浜をゆく
横浜中華街③~観光~(1)
私どもはもと来た道を戻り、関帝廟(かんていびょう)通りに出た。そこには山下町公園があった。有名な山下公園の類似品である。
そして天長門をくぐり、南門シルクロードを進んで媽祖廟(まそびょう)を通過し、1時19分、朱雀門に着いた。ここは中華街の南門で、地図が設置してあったためこの後の行動計画を練った。
1時21分、南門シルクロードを引き返し、1時22分、媽祖廟に着いた。ここは4日前の3月17日に開廟したばかりで、かなり新しかった。顧問も「こんなに早く訪れたと写真を見せれば、自慢できますよ。」などとおっしゃっていた。廟の周りに掘られた動物の彫刻は、大変精巧であった。なお、この地は当初、大京によってマンション建設が計画されていたとのことである。

1時28分、媽祖廟を出発し、天長門を再びくぐって関帝廟通りを進んだ。顧問が全員に、各自購入したいものを尋ねると、渉外担当が肉まんを、研究関連担当が崎陽軒(きようけん)のシュウマイを、そして私が月餅(げっぺい)をあげたので、売っている店を探しながら歩くことにした。また、私が顧問に「ソフトクリームは買わないんですか?」と伺うと、「人が多いのでくっつけてしまいそうだから、様子を見ています。」とのことだった。
肉まんを売っている店は多くあった。しかし、1個300円と高かったり、行列になっていたりして渉外担当はなかなか買えなかった。又、やたら天津甘栗を売っていて店頭で試食として配布していたが、私は栗が大嫌いなので嫌悪感を抱いた。
1時31分、山下町公園前を通過し、1時35分に関帝廟に着いた。

関帝廟は古くからあり、関東大震災、太平洋戦争と1986年の火災によって3度焼失し、現在のは1990年に完成した4代目で、きれいであった。隣には横浜中華学院が見えるが、グランドが土や芝生でなくコート状で、「バスケットコートは狭くないか?」という声が上がった。又、渉外担当は顧問に「ここは治外法権なんでしょうね~?」と質問し、顧問は「おそらくそうなのではないでしょうか?」と答えておられた。しかし、門は高く厳重なのだが、関帝廟からならいくらでも入り込めそうである。
さて1時39分、私どもは関帝廟を出発した。中国風のデザインが施された自動販売機や、「日本における新聞誕生の地」の碑を見た後、地久門についた。角にあった華都飯店(かとはんてん)を見てみると月餅があり、さらに肉まんが250円ぐらいであったため、私と渉外担当はお土産として購入した。
1時44分に出発し、長安道を歩いた。途中の横浜中華学院の門の前で立ち止まり、私は自動販売機でお茶を買い、渉外担当は今食べるための肉まんを買いに行った。又、研究関連担当は近くの店へ崎陽軒のシュウマイを探しに行ったが、残念ながら見つからず、再び歩いた。
1時48分、善隣門に到着し、中華街大通りを進んで行った。崎陽軒のシュウマイを見つけるべく、まずは「老維新號(ろういしんごう)」に入った。私はせっかくなので、あんまん(200円)を買って食べた。おいしかったのだが、よく考えたらこういう所のあんまんは冷凍食品のあんまんと大して味は変わらず、反対に肉まんは大きく異なるものだから、肉まんにするべきだったと今になって後悔している。(つづく)(執筆:会長)


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