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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

強風のこと

2006年03月19日 21時20分15秒 | Weblog
 今日は風が強い一日でした。上の写真は私の家の近所の様子(午後1時ごろ)ですが、砂ぼこりが舞い上がって視界が不良となってしまいました。学校のグランドや公園・緑地、畑などの砂が舞い上がったようです。雨がザーッと降ったほうがいいでしょうね。(執筆:会長)

週間アクセス数 一挙に100ip上昇!

2006年03月19日 21時15分27秒 | お知らせ
 最近、頻繁にお知らせしていますように、アクセスip数が連日新記録を更新しています。一昨日の17日(金)にはこれまで最高の51ip(15日に記録)を上回る、59ipを記録しました。
 そのため、12日~18日の週間アクセスip数も、過去最高の233ipを大きく上回る331ip(1186hit)を記録しました。上のグラフも、世界の人口増加グラフのような急激な上昇の形になっています。
 累計アクセス数は次の通りです。
 ・累計アクセスip数:12360ip
 ・累計アクセスhit数:4169hit

 たくさんのご愛読、本当にありがとうございます。今後も、楽しめるブログを目指してまいります。尚、皆様のご意見・ご感想等をコメント欄を通じてお寄せ下されば、今後のブログ運営にあたっての一助となりますので、もしよろしければ書き込んで下さればと思います。(執筆:会長) 

湘南電車の引退

2006年03月18日 15時38分05秒 | Weblog
 昨日で、東海道線のJR東日本エリアから113系(通称「湘南電車」)が消えました。湘南色の電車は東海道線以外でも、高崎線などで運行されており、ずいぶん昔に高崎線沿線に住んでいた私としても、段々とこの色の電車が消えて行くのは、一抹の寂しさを感じます。
 113系電車がなくなるのにあたって、JR東日本各駅は「JR東日本小さな旅 湘南電車物語 06春」という冊子を配布しています。一冊丸ごと湘南電車について扱われており、沿線のグルメガイドも掲載されています。なかなか面白い冊子ですので、皆さんもご覧になってみて下さい。(執筆:会長)

川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第5回

2006年03月17日 16時38分04秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
喜多院(2)
10時ちょうど、私どもは庫裏の中に入った。スピーカーから喜多院について解説したテープが流れていたが、その声がお経を読むような調子であったため、趣を感じた。入口で靴を脱ぎ、使用後100円が返却されるロッカーに靴を入れ、中へ入った。ガラス戸をあけて入ると、拝観受付があり、400円を払ってチケットとパンフレットをもらった。その部屋にはストーブや机といすがあり、少し休憩をした。またガラス戸を開け、次の部屋へ入るとひんやりした。その部屋には重要文化財「職人尽絵屏風(しょくにんづくしえびょうぶ)」の複製品が展示されていた。室町時代に活躍した様々な職人が、丁寧に描かれてあった。
前へ進み客殿に入ると、庭が見えた。曲水の庭というそうである。靴をはいていなかったため、建物内部では足が冷たかったが、外に出ると太陽の光が当たって暖かかった。
庭に面した廊下には、かごがあった。内部には座布団が敷かれ、脇息と背面のための座布団もあった。
そして。かごの正面の部屋は「家光誕生の間」である。江戸幕府3代将軍・徳川家光が生まれた部屋であるが、彼はこの建物がある喜多院で生まれているわけではない。この建物は江戸城から移築されたものだからである。お経を読むような調子で話す、スピーカーのガイドを聞いて気がついた。
「家光誕生の間」を出て進み、書院に入った。柱に『昭和六四年NHK大河ドラマ春日局放映 この奥の部屋全体春日局化粧の間』という張り紙があった。私は会長とともに、わずか7日間しかなかった「昭和64年」を記入しているということは、この張り紙は昭和64年かそれ以前より準備していたものであろうと思い、又、17年もこれを張り続けていたのだろうかと考えてしまった。
さて、ここの左手に「お手洗い」という案内があったため、私どもはトイレに行くことにした。廊下を歩いていき、書院にくっつく形で建っているトイレの建物に入った。そこのトイレに、私どもは驚くばかりであった。写真のように、新しく大変きれいなのである。

さらに、私が試しにお通じ用の個室に入ってみると、便器のふたが自動的に開いた。以前にもこのようなトイレは見たことがあったが、古い建物に併設された最新式のトイレという絶妙なコンビネーションに、私どもはただただ驚嘆した。
それを済ませ、私どもは「春日局化粧の間」などを見た後、うぐいす張りの廊下を通って本堂へ向かったが、本堂の入口ちかくで通行止めになっていたため引き返した。
拝観受付やストーブ・つくえのある部屋へたどり着き、しばらく休憩した。私は「さきたま文庫36 仙波東照宮」を購入した。
10時55分ごろ、私どもは庫裏・書院・客殿を出発した。また本堂と絵馬の前を通り、松平大和守家の墓所へ行った(10時57分)。そして、どろぼう橋を通って引き返し(11時1分)、松平家墓所の西側の細い道を通り、星月橋という小さな橋を渡ると、ぶらんこなどのある公園にたどり着いた(11時6分)。せっかくなので、ぶらんこを少し漕いだ。頑張ってしまい、ふらふらになり気持ち悪くなったが出立した。
もと来た道を引き返し、本堂の正面のいすやつくえのある場所で休憩をとることにした。露店がいくつか出ており、構成員Aはあんずあめを買い、会長はたこ焼きを買って食べていた。
11時19分、休憩を終え、一旦東側の山門から出て、北側の門から再び喜多院境内に入り、五百羅漢を目指した。しかし、五百羅漢の入口が分からず、少し混乱したが、財務担当がみごと発見なさった。11時23分ごろ、私どもは五百羅漢のある場所に入り、様々な形の石造を見た後、予定より11分遅れの11時26分、喜多院を出発した。
北側の門から出て、喜多へ向かって歩いている途中、私は手袋をなくしたことに気がついたが、発見できなかった。(つづく)(執筆:会長)

川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第4回

2006年03月16日 13時31分47秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
喜多院(1)
しばらく進み、またも石階段を登ると喜多院の慈眼堂(じげんどう)があった。その後ろには、「暦応(りゃくおう)の古碑(こひ)(板碑)」や「延文(えんぶん)の古碑(板碑)」をはじめとして、様々な石碑があった。しばらく慈眼堂や石碑を眺めた後、もとの石階段を降り、鐘楼門(しょうろうもん)に近づいた。脇を通り、道路に出て正面を眺めると、門に緑色の竜の彫刻が見えた。
眺めた後、再び鐘楼門の脇を通り、ベンチなどのある休憩所へいき、休息をとった(9時42分頃)。私はトイレへ行った。
9時47分ごろ、続いて本堂(慈恵堂)へ向かった。本堂はカラフルな幕が周囲についていた。あとで思ったのだが、この日は建国記念日で祝日だからこれがついていたのだろうか。

手を洗い清め、煙を浴びた後、私どもは本堂の中へ入った。お賽銭箱やおみくじ、お守り売り場などがあった。
本堂を出た私どもは、本堂の左横の苫抜き地蔵の前へ行った。『ここにだるまを置かないで下さい。』という看板が立っていた。地蔵の前に平べったい台があったため、財務担当は「(台があるから、人々は)ここにだるまを置きたくなるのだろうね~。」と感想を述べていた。
その右横には絵馬をかけるものがあり、私どもは絵馬に書かれている願い事の文を色々と読み、批評しあった。
9時56分、私どもはそこを出発し、本堂の前を通って、庫裏(くり)へ向かった。その入口には建国記念日のためであろうか、「日の丸」がはためいており、会長は脱帽しておられた。又、その左隣には小さな大黒堂があり、そこにあったスタンプを私はしおりに押した。1つは川越七福神の『第三番 大黒天 喜多院』と書かれたもので、もう1つは五百羅漢と『小江戸川越』という文字が入ったものである。(つづく)(執筆:会長)

連日アクセス数が最高を更新!!

2006年03月16日 13時29分13秒 | お知らせ
 毎日ご覧くださいまして、真にありがとうございます。
 最近は連日のようにアクセスip数が高記録を出し続けていますが、昨日15日(水)も記録を更新いたしました。これまで最高だった49ip(12日に記録)を越え、51ipとはじめて50ip代を記録しました(hit数は188hit)。
 皆様の応援に答えられるようなブログづくりに今後も取り組んでまいりますので、応援をよろしくお願いします。(執筆:会長)
 

週間アクセス数が過去最高を更新!

2006年03月15日 12時28分58秒 | お知らせ
 3月4日~3月11日の1週間のアクセスip数が、これまで最高の230ipを更新し、233ipとなりました。最近は下落傾向が続いて降りましたが、皆様のご愛読のおかげで巻き返しが図られております。
 累計アクセスip数:3838ip
 累計アクセスhit数:11174hit

 また1日のアクセスip数も、先週以来連日、高記録を出しております。
 今後もご愛読のほど、宜しくお願い申し上げます。(執筆:会長)
 

川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第3回

2006年03月14日 21時59分09秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
仙波東照宮
 予定より5分早い8時45分に私どもは本川越駅を出発した。8時48分、国道229号線と東照宮中院通りの交差点にかかったが、クロス式の横断歩道であったため、私どもは感動した。又、歩行者用信号も発光ダイオードのものであったため、感動は2倍である。尚、会長は発光ダイオード訴訟和解の際の中村教授の物まねをなさっていた。
 9時、仙波東照宮に到着した。外にある説明板を読み、正面入口から中へ入った。随身門をくぐると、東照宮というイメージにしては華やかでなく、とても小さいのに驚いた。

 石鳥居をくぐって右手には屋外休憩所があり、自動販売機とベンチやテーブルが置いてあった。『開運だんご』というのれんをつけた店もあったが、開店していなかった。時間が早かったためであろうか。又、左手にはご年配の方々が何人かいらっしゃり、ゲートボールを楽しんでいらした。時々ボールを打つ音が聞こえ、のどかなひと時であった。

 石階段の右の「沿革碑」を眺め、私どもは石階段を上った。おじいさんが健康のためであろうか、石階段を使ってトレーニングをなさっていた。ちなみに、この石階段の段数は約50段だそうである。
一番上につくと、「葵」の紋章がついている正門があった。そこを通ると、目の前は拝殿である。その手前には狛犬があり、拝殿を囲むようにして歴代川越藩主が献納した「石燈籠」があった。これより先は閉まっており、残念ながらいけなかったが、私どもは拝殿を眺めたり、石燈籠に刻まれている文字を読んだりした。
その時、掃除をしていたおじいさんが拝殿へお賽銭を投げ、拝んだのち、私どもへ目をやって話しかけてこられた。そのおじいさんは、私どもに仙波東照宮について解説してくださった。
 右手の「狛犬」と「正門」の間にある「手水鉢(ちょうずばち)」は、もとは江戸城にあったもので、寛永14年にこちらに移築されたもの。手水鉢の正面に、『御本城』と書いてあり、それは江戸城を指すからであるという。又、右手狛犬と拝殿の間にある石燈籠は、柳沢吉保が献納したものであるが、そこに刻まれている日付は『元禄15年12月16日』で、赤穂浪士討ち入りの2日後のことで、討ち入りの時にはもう完成していたのだろう、とおっしゃっていた。さらに拝殿内部のものについて等、さまざまなことをお話しして下さり、非常にためになった。
おじいさんにお礼を申し上げ、しばらく見た後に、私どもは出発した(9時25分)。石階段を降り、左に曲がり進むと、弁財天厳島神社が見えた。太鼓橋の先には小さな鳥居があった。
 9時28分、私どもはそこを立った。(つづく)(執筆:会長)

芸術鑑賞教室~東大和市~

2006年03月14日 21時43分05秒 | 上水高校ニュース
 本日午後、東大和市駅近くのハミングホールなる施設にて、「芸術鑑賞教室」が行われました。シェークスピア「間違いの喜劇」を鑑賞し、芸術に触れました。よく話が練られた、奥深い劇だったように思います。
 ところで東大和市駅といいますと、青梅橋を連想しますが、駅の南側には「東京都薬用植物園」があります。

ここは昨年5月、社会科同好会の第3回特別研修旅行で訪れたところです。図書室で配布中の「部報 JS社会」第2号に詳細に開設されていますので、どうぞお読みになって見てください。(執筆:会長)

健全育成のための特別講演会

2006年03月13日 18時36分59秒 | 上水高校ニュース
小手指

 本日、5日間にわたった「平成17年度後期期末考査」が終了しました。その後、「健全育成のための特別講演会」が行われ、早稲田大学人間科学部教授の先生からのお話がありました。
 ところで、早稲田大学といいますと、以前私的団体が訪問した西早稲田キャンパスを思い浮かべますが、人間科学部は所沢にキャンパスを持っているそうです。

 所沢キャンパスは、西武池袋線小手指駅から直通バスで15分ほどのところに位置しています。私は今から1年半前の平成16年(2004年)10月、個人的に鎌倉幕府討幕のために新田義貞が戦った古戦場をめぐりました。その際、元弘3年(1333年)5月の小手指ヶ原の戦いの舞台地・小手指ヶ原古戦場を訪れたのです。
 小手指駅から国道463号線を歩いていると、「早稲田大学行」のバスが頻繁に追い抜いていきます。そんな中、義貞が部下と誓いを交わした場所という「誓詞橋」があり、そこから道を入っていくと、「小手指ヶ原古戦場址」や源氏が白旗を掲げ本陣としたと言う「白旗塚」などがあります。




 あたりは農地に囲まれていて、大変静かで当時をしのぶのにふさわしい、趣ある場所です(一番上の写真)。近くには埋蔵文化財センターもあります(平日のみ)。機会があれば、訪れて見てはいかがでしょうか。(執筆:会長)

アクセス数が過去最高を更新!!

2006年03月13日 12時53分18秒 | お知らせ
 昨日(3月12日)のアクセスip数が、過去最高の47ipを超え、49ipを記録しました(hit数は193hit)。過去最高記録を更新です。
 今後も記事内容の充実に励みたいと考えております。何か、ご要望やご意見、ご感想等がありましたら、コメントやメール等を通じてお寄せください。(執筆:会長)

川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第2回

2006年03月12日 09時51分35秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
本川越駅
 8時39分、本川越駅に到着した。トイレに行った後改札をくぐると、構成員Aがいた。他に誰もいなかったため、彼は「(研修旅行が)今日じゃなかったのか、それとも本川越駅集合じゃなかったのか、心配したよ~。」とおっしゃっていた。ご心配かけて申し訳ない。
 すぐに財務担当と会長が改札をくぐってこられた。会長は前日、西国分寺から武蔵野線で朝霞へいき、そこから東武東上線で来ると話していたが、それをおやめになった。パソコンで検索する際、「本川越駅」ではなく「川越駅」をキーワードにしていたことに気づき、変更したという。又、後から聞いた話だが、2人は私と同じ電車に乗っていたようだ。おそらく、乗車した車両が離れていたのであろう。(つづく)(執筆:会長)

川越をゆく ~すべてはここから始まった~ 第1回

2006年03月11日 18時56分59秒 | 【連載】川越をゆく(完結)
プロローグ
 社会科同好会の設立以来、すでに9回も実施してきた特別研修旅行。その第1回目である川越研修旅行から、はやくも1年以上が過ぎました。
 平成18年度を目前とし、社会科同好会が新たなスタートを切るためにあたり、基本活動の原点をふり返ります。
 尚、この連載は現在配布中の「部報 JS社会」第1号にも掲載されていますが、その内容をよりグレードアップしたものとなっていますので、どうぞお楽しみ下さい。

凡例
 参加者は当時の構成員4名。人物名は以下の通り表記します。
 ・会長→会長
 ・筆者(会長全権代行)・特別研修旅行担当者会代表→私
 ・財務事業担当者会代表→財務担当
 ・構成員A
 
 尚、川越で訪れた各地については、「部報 JS社会」第1号にて研究成果発表として掲載されています。本校図書室で配布中ですので、どうぞご覧になって見てください。(つづく)(執筆:会長)

 ※第2回は明日掲載予定です。

東京大空襲 61周年

2006年03月10日 19時30分33秒 | Weblog
東京大空襲で本堂等を焼失した浅草寺

 本日、3月10日は1945年の東京大空襲から61年の日。犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。(執筆:会長)

平成17年度 会長所信表明演説<予告編>

2006年03月09日 22時44分53秒 | Weblog
 平成18年2月16日(木)、前日に就任した新会長(第3代)が「就任にあたっての平成17年度所信表明演説」を行いました。
 約2500文字ほどの演説ですので、明日以降より2回に渡って全文を掲載いたします。(執筆:広報事業担当者会)