父の日。
生まれてから、多分、父の日に何かした事はないと思う。もちろん今日も父には何もしていない。
まあ、今何か父にしようと思ったところで、15年も前に死んでしまった男にどうもこうもない。
父親に対して親孝行したのは多分生まれてから、数年だけであろう。死んだ後の父の残した記録を読む限りは明らかな事実である事は人間としてさみしい限りである。
そんな僕は今日初めて娘から父の日のプレゼントを受け取った。多分今後娘は忘れてしまうだろう。そして、最初で最後の親孝行かもしれない。
今朝はいつもの通り日曜日は早起き娘、お腹が空いたから早くしたの部屋に行こうよと、僕を起こす娘。しつこい娘の攻撃に、ちょっと意地悪で、「今日は何の日だっけ?」って言ってみたら。
「そっか、わすれてた。わかった。ママ先におりててもいい!」
その後、かみさんにOKをもらった娘は、したの部屋に降りると、ドタバタと落ち着きのない感じで歩き回っている。そして、何か聞き取れないが、聞こえるぐらいの声で独り言をいいながら、何かしようとしているらしい。
そのうち、テーブルにスプーンをおくような音が聞こえてきた。
かみさんと「何してるんだろうね。ご飯の準備なんかできるわけないんだから、パンでも出しておけばいいのにね」などと話していた。
しばらくしてから、「みんなー、ごはんの」じゅんびできたよー。降りてきてー」
かみさんも僕も、いったい何を用意したんだか、びっくりして、まずは僕が慌ててあベッドを飛び出てし、様子をみに降りた。
果たして、、、、、
娘には悪かったけど、大声で笑ってしましましたよ。
テーブルには家族の分きちんと所定の位置にパンが一つずつ並べておかれていました。ちぎりパンというやつですが、その真ん中にはフィリピンの甘いピーナツバターがしっかり入っていました。
そう、上で聞こえていたスプーンをおくような音は娘がバターナイフでピーナツバターを塗ってテーブルにおいていた音なのでした。テーブルにはピーナツバターが点々と残ってましたから、
しかし、どうしようかと悩み、独り言を言っていたのは自分が何ができるかを考えた挙句、パンをちぎって、みんなの分を用意し、ピーナツバターを塗る事だと思いつくまでの過程だったのだと、
成長してるんだな。
その思いと、その行為だけで、素晴らしい父の日だったと。
そして、これが僕が覚えていて、娘の記憶にはなくなるかもしれない最後の親孝行かもしれないと、我が身を振り返った父の日。
生まれてから、多分、父の日に何かした事はないと思う。もちろん今日も父には何もしていない。
まあ、今何か父にしようと思ったところで、15年も前に死んでしまった男にどうもこうもない。
父親に対して親孝行したのは多分生まれてから、数年だけであろう。死んだ後の父の残した記録を読む限りは明らかな事実である事は人間としてさみしい限りである。
そんな僕は今日初めて娘から父の日のプレゼントを受け取った。多分今後娘は忘れてしまうだろう。そして、最初で最後の親孝行かもしれない。
今朝はいつもの通り日曜日は早起き娘、お腹が空いたから早くしたの部屋に行こうよと、僕を起こす娘。しつこい娘の攻撃に、ちょっと意地悪で、「今日は何の日だっけ?」って言ってみたら。
「そっか、わすれてた。わかった。ママ先におりててもいい!」
その後、かみさんにOKをもらった娘は、したの部屋に降りると、ドタバタと落ち着きのない感じで歩き回っている。そして、何か聞き取れないが、聞こえるぐらいの声で独り言をいいながら、何かしようとしているらしい。
そのうち、テーブルにスプーンをおくような音が聞こえてきた。
かみさんと「何してるんだろうね。ご飯の準備なんかできるわけないんだから、パンでも出しておけばいいのにね」などと話していた。
しばらくしてから、「みんなー、ごはんの」じゅんびできたよー。降りてきてー」
かみさんも僕も、いったい何を用意したんだか、びっくりして、まずは僕が慌ててあベッドを飛び出てし、様子をみに降りた。
果たして、、、、、
娘には悪かったけど、大声で笑ってしましましたよ。
テーブルには家族の分きちんと所定の位置にパンが一つずつ並べておかれていました。ちぎりパンというやつですが、その真ん中にはフィリピンの甘いピーナツバターがしっかり入っていました。
そう、上で聞こえていたスプーンをおくような音は娘がバターナイフでピーナツバターを塗ってテーブルにおいていた音なのでした。テーブルにはピーナツバターが点々と残ってましたから、
しかし、どうしようかと悩み、独り言を言っていたのは自分が何ができるかを考えた挙句、パンをちぎって、みんなの分を用意し、ピーナツバターを塗る事だと思いつくまでの過程だったのだと、
成長してるんだな。
その思いと、その行為だけで、素晴らしい父の日だったと。
そして、これが僕が覚えていて、娘の記憶にはなくなるかもしれない最後の親孝行かもしれないと、我が身を振り返った父の日。