僕について

人生も半ば? 誰かの役に立つかもしれないから、自分自身について語っておこうと思って。超私的blog。他2つもよろしく。

息子との関わり方は...果たして?

2005-08-31 09:30:00 | 僕のこと(これがメインテーマか?)
息子(ダウン症)の養護学校の小学部に入ってから、初めての夏休みももう終わりである。夏休みといっても、僕は会社に行っているので、接し方は何ら普段と変わらない。

実は最近になって不安に思っていることがある。

僕の父親としての息子との関わり方はこれで良いのだろうか。息子の将来を考えた行動をもっと、取らなくてはいけないのだろうか。しかし、サラリーマンでいる限り、息子とは朝か、土日ぐらいしか一緒にいることはできない。

息子の将来を考えて、もっと積極的に関わるとすると、今の仕事では、年度末になればほとんど出張でいないような生活であるし、息子との関わりも薄くなる。親はなくとも子は育つという言葉があるけれど、ダウン症の場合はどうなのか。

もちろん、かみさんが人一倍頑張っているのだから、問題ないと思うのだけど、妹ができたからしばらくは、そちらに力が入るのはしかたない。僕のもっと積極的な参加が必要なのではないか...。

ではどうすればよいのか。

1.職を変える。自営業的なもので、将来息子と一緒に仕事をできるようにする。
2.現在の職場でもっと時間を作れる作業へ変更してもらう。
3.今のままで関係者に広く訴えて、理解を得ながら時間を作る。
4.気にすることはない、今のままかみさんに任せればよい。
5.いっそフィリピンに住み着いて、自営業で細々と暮らす。

まだ、真剣には考えていないな。だいたい息子が何に向いてるのかもまだわからない。

息子にはもう一つ課題がある。彼には日本の他にフィリピンという選択しもあるが、言葉の問題が大きくのしかかる。今はまぜこぜの彼の言葉も、今後は必然的に日本語に統一して行くことになる。そうなるとフィリピンの親戚との関わり方が非常に難しくなる。

しっかりとしたお父さんはこれらの問題を考慮して、将来計画を立てて進めていくんでしょうね。僕は自分の将来計画すらなく、その日暮らしなので、その辺は全くだめです。

ここまで立派なお父さんに僕は到底なれない。
立派なお父さん

さてと2学期が始まる。息子は遅いながらも毎日成長して行くでしょう。僕なりのやり方を見つけて、小学部を終了するまでには彼の将来を考えた行動が取れるようにするかな。

かけ声だけかも。
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久しぶりのフィリピン滞在記(8)

2005-08-30 09:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月10日
本日は寝不足でした。夜中に酔っぱらって怒声をあげてる人がいたのでね。その辺は触れないでおきます。

さて今日は朝は雨がありませんでした。で、夜遅い時間に再度ベイウォークに行こうという話がありましたが、昨日のニオイでちょっともう良いかなという気持ちだったので、行くのはやめにしました。そして、かみさんの虫歯及び歯石を掃除するため、シャ(彼女)の旧知の仲の歯医者さんへ行きました。歯医者は日本で行けばいいのですが、どうもどこがよいかが分からないため、日本ではなかなか行くことができないようです。

この歯医者は以前も行ったことがありますが、6年ぶりです。その間は実家の近くの歯医者で済ませていたのですが、いまいちだったそうです。何故ここなのかというとかみさんが大学の時から通っていたので、より丁寧に治療してくれるし、腕が良いとのことです。確かに、見たところ設備もしっかりしていたので、ちょっとフィリピンにしてはマハル(高い)のほうです。

実家から遠いのはかみさんが大学に通っていたときに、下宿していた友人の家の近くにあるためでした。例によって道は混んでます。そこで、今日は裏道コース。商店街とおぼしき細い道を通っていきます。結構おもしろかったので、写真を一杯撮りたかったんだけど、この日は携帯しか持っていなかったので、走りながらの写真は全てぶれてしまいきれいには撮れませんでした。唯一この1枚だけ。くだもの屋さんですね。魚とか肉もこのフルーツのように並べて売られてました。アメヨコを小振りにしたイメージでしょうかね。


この狭い通りを抜けて、少し広い通りに出て、また細い道に入って歯医者がありました。女医さんです。元はここに住んでいたそうですが、今は家を別に買って、住んでいるので、毎朝かよってくるそうです。そして、もとの住居部はアパートにしています。入り口が歯医者の正面しかないようで、住人が待合室を通って出て行きます。

10時前だったので、まだ先生はいませんでした。助手のお姉さんだけいました。このお姉さんがちょっととんでもない人で、待合室で待っているときの行動がなかなかでした。ちょっとどこかでかけたと思ったら、チョコレートを手に持って帰ってきて診察室で食べてました。その後、手を洗いに行ったのですが、彼女のスーツのスカートとのおしりに手の跡が無数に付いていました。手をそこで拭いたようです。しかも、パンティラインがくっきりと出てました。きれいなお姉さんではなかったので、何とも思いませんが、ずいぶんと場違いな人だと言う感じでしたね。

マニラの朝の道は非常に混むため、普段30分で付く所も2時間かかったりします。先生は30分遅れで到着しました。僕は6年ぶりに会うので、覚えてませんでしたが、きちんと服を着こなしたいかにもドクターという方でした。年は僕より上だそうですが、まだきれいで、若いときは結構美人だったんだろうなという印象でした。

入って来るなりうれしそうにかみさんと話をしていました。

他に客が待っていたのですが1時間以上かけてきれいにしていました。昔から仲が良く一番の患者のようです。おしゃべりも楽しそうでした。最後に少し僕も会話をして握手で別れました。先生の写真はさすがに撮れなかったので、看板だけです。わかった方はどうぞ。

しかし、先の助手の女性は仕事中も、手が空いてるときは待合室でテレビを見ていて、必要なときに診察室におらず、いちいち呼んでは指示している状況で、先生もちょっとイライラしてました。優秀な先生なのに何故、彼女を使ってるのかなって感じでした。


歯医者からは、またさっきの裏道を通って帰りました。昼は実家で食べて、その後昨日の寝不足が一気に出て、ソファーでうとうとしてました。すると義兄が外からなにやら見慣れない果物を持ってきました。


これグアバだそうです。グアバといってもいろいろな種類があるようです。フィリピンでは日本でいうと柿の木のように、グアバとかスターフルーツとかが、彼方此方の家にります。しかし、このグアバは見た目は青梅のようでしょ。熟すともっと柔らかいらしいんだけど、かんだら青梅よりも固く、小さいけど固い複数の種が、かんだ瞬間は皮がちょっと渋くて、柑橘系のような味が、そして口いっぱいに酸味が...。まだ熟れてないのかうまくはなかった。

グアバで目が覚めたので、義兄と床屋に行って、ビナタ(大人)カットをしてきました。一人40ペソです。日本円で100円は行かない。フィリピンの床屋はバクラ(おかま)が多いのですが、めずらしくちゃんと男でした。

床屋から帰ってから、近くのマーケットにDVDを見に行きました。全くコピー天国ですね。最近はその場で試し見ができるように進化しました。VCDで売っているときは帰ってからのお楽しみだったんですけどね。一枚安いので60ペソ(110円)ぐらいでした。

そこのマーケットでピザとつまみようにお菓子類、自宅用にパティス(魚の醤油)、紙おむつを買って帰りました。紙おむつは息子の時代ぐらいの質でしたね。7年遅れって感じです。お菓子は「おいしい」のノーマル味と辛いのと買いました。これ実はかっぱえびせんなんですよ。作っているのはフィリピンで、味はほとんど同じでしたが、見た目はちょっと焼きすぎかなという感じで、茶色が濃かったです。見た目はお酒っぽいですが、パティスは魚出汁が利いた醤油と思って下さい。タイのナンプラーと近いのかな。コンソメの代わりに、スープとかに入れると美味です。

色で分かるように左がノーマル、右がスパイシー



夕方は義理の姉とかみさんと話しをしながら過ごしましたが、そのときに実家に置いてあった雑誌と広告を写真に撮りました。この雑誌はフィリピンで毎週発行される歌本だそうです。フィリピンの女性歌手レジーン・ベラスケスとアイサ・セゲラの歌のページです。表紙にはフィリピンのドラマのスーパーヒーローならぬ、スーパヒーロインの写真があります。ABS-CBNというフィリピンのテレビ局でクリスターラというスーパヒロインが流行っていて、これは別のテレビ局が作った対抗馬だそうです。セクシー路線ですね。


夜はいつものようにサンミーゲルビールを飲んで、すぐに眠ってしまいました。フィリピンに来てから夜は9時前に眠っていました。
他の皆さんはこれを飲んでました。これはちょっと表現が難しいです。缶詰なんですが、まあ黒い寒天です。これに味が付いてます。気の抜けたサイダーっぽい味ですが、この缶詰を水で薄めて氷をぶち込んだのがこれです。カップに入ってるのはもうほとんど最後だったので、黒寒天が一個しか入ってません。ブラックグラマンというそうです。中国から入ったものらしいです。



フィリピンのイメージを写真で紹介

今日は本文でずいぶん写真紹介してしまったので、ネタ切れです。と思ったけど、写真がもうちょっとあったので、載せておきます。バナナとダランダンという果物です。バナナはこれでも質の良い方だそうです。日本に入ってくるきれいなバナナは一般のフィリピン人の口には入らないようです。要は高級品が日本に送られてきているということです。そして、ダランダンは息子が食べてましたが、形やにおいからしてミカンの種類ですね。僕は何故か大人になってから果物があまり好きではないので、食べませんでした。子供の頃は息子と同じようにバナナ大好きだったんですけどね。
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何となく...。

2005-08-29 14:00:00 | 僕のこと(これがメインテーマか?)
今日は何となく書いてます。

昨日は24時間テレビをやっていたので、合間合間に見ていました。確か、この特番が始まった最初から見てるんですね。昔は、募金もしたことがありました。その頃は障害とか、海外の貧しい人などのことは全く関係のない立場で見ていましたから、すごく感動していたと思います。フィリピン人の妻と結婚し、障害のある息子が産まれてからはそういう部分に関しては、昔見たような感動はなくなりました。立場が変わったからですね。逆に、昨日走った丸山弁護士のように59歳で100Kmを完走した事の方が僕には心に感じるものがありました。

今、42歳である僕が100kmマラソンを万が一頼まれることがあったら、絶対に断ります。普段運動などしない僕にそんな体力がないし、その後の体の痛み等が回復するのに時間がかかるのは目に見えているからです。

それが、59歳である丸山弁護士が挑戦した。僕の17年後です。相当な決心だったし、練習も過酷だったと思います。すばらしいと思いました。


僕はと言えば、毎日は忙しく過ぎて行くんだけど、何となくなにか足りないというか、何か忘れているというか。そんな気持ちが続いています。
仕事もやらなくてはいけないことがたくさんあるんだけど、この先の目標が、今は見えなくて、気持ちが乗らない。

趣味のバンド活動も今年はお休み。娘や息子のことで休みは時間が取れないのもあるし、どうも40代になってから、疲れやすくなって、パワーがない。休みは昼寝しないと保たないようで、息子を寝かせるのに、僕の方が眠ってしまう始末。

僕の休日のイメージは
 子供の相手をして、外で遊び、休日の男の料理を作って、本も読んで、音楽も聞いて、キーボードも練習して、買い物に出かけ、夜は酒をのみ、ブログをやってと精力的に動きたいんだけど...。

実際は
 眠い目をこすりながら、朝飯をやっと作って食べさせ、かみさんが掃除洗濯している間に子供相手にてんてこ舞い、家族で買い物に出かけ、息子に引きずり回されてへとへと、車運転すればボーっとしてるのと、イライラが合わさって運転が荒くてかみさんに怒られるし、昼飯食べたら眠くてしょうがないので昼寝して、気が付けば4時過ぎ、ボーっとしてるうちに夕飯の時間なので、息子の飯を作って、自分おつまみを用意して、あっという間にシャワータイム、息子と一緒にシャワーをして、息子を寝かせてやっと時間が空いたので、夜中にブログの編集、そして眠りにつく。

朝にリポビタンDを飲んでも、一瞬元気になったような気がするだけで、効果はないですね。どうも気持ちに体が付いてこないようですね。今までいた家族が減るというのも影響してるんでしょうけど...。未だペースがつかめないというか...。

昨日は買い物と、帰化申請のための書類作り、本当はほとんど終わらせる予定でしたが、結局かみさんと兄弟の7人分の出生証明書の翻訳だけで終わってしまいました。書かれている英語は差して難しいものではないのですが、印刷が悪くて文字が読み取れない。立会人などの名前はある程度見えても、フィリピン人の名前自体が見慣れていないため、よっそうが付かない。日本人の名前なら、漢字の部分が見えていれば、特殊な名前ではない限り、大体わかりますよね。結局最後にかみさんにまとめて見て、発音してもらったのだけど、かなり時間がかかってしまった。終わったときはだいぶ目が疲れていて、カツオのたたきを買っておいたのを食べたんですが、あまりおいしく感じなかった。

9月1日からは息子の学校が始まるので、またペースが変わる。

気力体力共に充実している状態に持って行くにはどうすべきかな。
今一番感じるのは睡眠不足です。眠りが浅いのが問題であるのは認識しています。原因もある程度特定している。いびきがすごいのです。それと、夜中にトイレに行きたくなり、目が覚める。

昨日は特にひどかったらしい。隣に寝ている息子が、横向きになって寝ていた。つまり足が僕の胸の上に乗った状態でした。息苦しくて目が覚めました。どけたのは良いのですが、今度は夜中にけり出されてしまいました。息子の無意識の騒音防御機構が働いたようです。朝起きたら喉も痛かった。(口開けてガーガーいっていた証拠です。)

いびきをかきやすい人は肥満かあごが小さい人に多いという。僕の体重は標準なので、後者のあごが小さいほうになる。子供の頃は余り物を食べなかったので、下あごが発達していない。それが証拠に、下の前歯が一本、隙間がなくて前に飛び出している。

中学生になってからはなんでもよく食べる子になったんですがね。
アルコールも筋肉をゆるめるため、いびきの原因だそうであるが...。(トイレが近いのもここにありそう)

じゃあ酒飲まなければいいか?それはそれでストレスになる。悪循環だなぁ。

何となく、どこかで思い切ったことしないと変わらないなぁと思う今日この頃です。

なんかネガティブなことばかり書いてます。でもね。
娘の笑顔とはしゃぐ声は短い時間ですが心を和ませてくれます。



P.S.
 「久しぶりのフィリピン滞在記」は、8、9、10、こぼれ話編へと続く予定です。結構写真の切り貼りと構成が楽しいけど時間がかかりますね。
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帰化申請経過報告 

2005-08-28 00:15:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
恐れ入りました。

何とかみさん必要書類をフィリピンからの分と合わせて、10日間でそろえました。

残るは申請書類の記述と、英語で書かれたものの訳文を作成するのみ。

要するに僕の作業待ちになってしまいました。

今日はかみさんの大学の卒業証書の訳と、いくつかの書類の下書きを行いました。

始めたのが20時くらいからで、とりあえず終わったのが、今の時間です。

後は出生証明書の訳文作成と申請書類の清書。

結構いろいろ書くものがあって面倒だけど、明日中には一通り終わらせる予定。

9月には申請書類及び必要書類を提出できそうです。

今日はもう目がつかれたので、詳しい書類等などについては後日ゆっくり紹介したいと思います。

では、お休みなさい。
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久しぶりのフィリピン滞在記(7) 7日目 マニラ湾へ

2005-08-27 09:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月9日
今日の朝は曇りで雨は降っていませんでした。夜も降っていなかったら、ベイウォークに行こうということになりました。マニラベイはかみさんと結婚する前に一緒に行ったのが、最後なので、10年ぶりです。

今日の空もこれです。常夏の国のイメージはないでしょ。



昼過ぎると少し荒れ気味でしたが、夕方はあまり降っていなかったので、少し早いけど今の内に行こうということになりました。SMサウスモールばかりで、いい加減あきてきていたので、少し楽しみでした。

マニラベイに行くには結構大きな通りを通過します。この通りは結構すごいですよ。信号で止まると、車に人が集まってきます。物売りが集まってきます。飲み物、お菓子、サンパギータ(国花)。それに物乞いをする人たちはもちろんです。

そして、いきなりフロントガラスが、洗剤がかけられて、スポンジで窓清掃が始まります。頼みもしないのに洗ってくれます。もちろんチップをもらうために彼らはやっているのです。しかし、このところ雨ばかりで、今も小雨が降っているのに、窓洗われてもね。義兄は細かいお金を集めて渡してました。

そんな通りを過ぎて、そしてこの看板が。フィリピンの各シティには市長のこのような看板が掲げられています。



そしてUターンすると道沿いに大きなビル群が見えてきます。銀行のビルだそうです。


車を海岸沿いの道に横付けして、外に出ました。雨は降っていませんでしたが、曇っていて風が強く、少し肌寒い感じでした。そして、

強烈なニオイ!!

どぶのニオイです。海から漂ってきます。海もかなり潮が上がっていて、どぶ色の海が荒れていました。義兄たちはアモイ タラバ(牡蠣のニオイ)と言っていましたが...。
(フィリピンの牡蠣を食べました。生じゃないですよ。あじは変わらないけど、小振りでしたね。)


それでも、折角だからしばらくベイウォークを歩いて、観光客のごとく写真を撮りました。夕方といってもまだ早い時間なので、人も少なく、バンド演奏があるらしいのですが、その影もありませんでした。



海岸沿いにあるフィガロでコーヒーでも飲んで行こうということになりました。このコーヒーフィリピン産のコーヒーを使っていて、結構おいしいんですが、先程のどぶのニオイで、コーヒーも同じ味がするような気がしました。なるべく海からの風が来ないように、フィガロ君の横のテーブル(海を挟んで店の前)で飲んだんですけどね。


彼がフィガロ君です。


帰りにパサイ市にある義理の長兄のサリサリストア(雑貨屋さん)に寄りました。隣にフィリピンで流行っているカラオケハウス?ができたから、見てみろと言われました。ちょうど、小さいコインランドリーぐらいのスペースにジュークボックスのようなカラオケマシンが置いてあります。コインを入れて曲を選択し歌うそうです。一人が歌って、10人ぐらいが見ていました。何人かは仲間のようでしたが、その他は関係ない人のようです。誰かが歌っているのを見ているだけだそうです。カラオケは通り沿いに設置されているようです。車で走っているときも実家の近くでも、大きな歌声が聞こえてくる所がありましたからね。車の騒音がうるさいマニラには防音は必要ないようです。さすがにここは写真撮りませんでした。

義姉からホーピアをもらって帰りました。あん入り菓子。まんじゅうみたいなものです。


サリサリストアも撮ろうと想ってたんですけど。なんかインスタントラーメンのコーナしか撮ってませんでした。フィリピン産のシーフードヌードルです。日本のものとはイバ(違う)です。


義理の姉を置いて、実家へ帰りました。少し遅い食事を取りました。今日はレチョンとホタルイカのアドボ。レチョンは子豚のパリパリにやけた皮がおいしいんだけど、朝から置いてあったので干からびて堅くなってました。残念!!
マントマス(サルサソース)という黄土色のソースをつけて食べます。このソースはサルサソースというので、辛いのかと思いますが、甘いんです。レチョンの奥に見えるのはアサリのバターソテーです。


食事を済ませ早々に眠ってしまったのですが、夜中の3時頃に何かものすごい怒鳴り声に目が覚めました。かみさんの父親が酔っ払って、大荒れでした。ファミリーのどろどろが少しあったのでね。酒飲んで義兄に文句を言っているのでした。タガログ語でも相当ひどいこと言っているのが分かりました。この親父さんとはいつか対決をしなければならないような気がする。おかげで翌日は寝不足でした。


フィリピンのイメージを写真で紹介

本日はマニラ湾沿いの写真です。夜の風景を撮ってみました。失敗作を含めて雰囲気が良いものをそのまま載せてます。ヘリは海上保安庁みたいなもんです。最後の一枚はトイレです。有料だそうです。


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7ヶ月に突入

2005-08-26 18:00:00 | 娘(アトピー&発達障害!?)
息子の誕生日はどちらかというと台風で盛り上がってしまいましたが、無事に息子の誕生日も終わり、エンドレス・ハッピーバースデーも2回で打ち止めにすることができました。

昨日は息子の7歳の誕生日でしたが、本日は娘が7ヶ月目を迎えました。僕はギャンブルと縁遠いのですが、さすがにこう7が続くともう一つないかなと気になります。明日は27日だから7が続くって考えもあるけど、それじゃおもしろくないし...。

なんてそんなことはどうでも良いか。

さて、7ヶ月を迎えた娘の状況です。
1.床に座らせるとしばらくはバランスを取って保つことができるようになりました。

2.床に寝かせると、ぐるぐると寝返りを打ち、テーブルの脚に額をぶつけるまでに動き回るようにもなりました。

3.腹這いで後ろに摺って進むようにもなって、前方にあるおもちゃが取れなくてわめいています。

当たり前のことなんでしょうけど、すばらしいですね。

母子手帳に書いてある成長度どおりに事が運んで行く。息子はの母子手帳はどこをみても、【いいえ】にしか○付いてませんから。

でも、まだまだ、夜中に目を覚ますし、相変わらず夜眠いときは僕のことを認識できなくなるのか、かみさんがダッコしないとなかなか泣きやみません。こんな時はちょっとムッとします。汗をかきかきあやしてやっと少しは落ち着いた程度だったのが、かみさんがダッコすると一発で泣きやみますからね。

相変わらずのアトピーちゃんですから、顔がなくなるのではないかともうぐらい掻きまくります。ひっかき防止のの手袋に、お肌のクリームをつけておくとつるつるになるんじゃないかな。と冗談でかみさんに話していましたが、僕は半分本気でした。その掻きっぷりは見事なんですもの。両手で猫が顔を洗うようにまんべんなく混ぜるように高速で掻きます。

この掻くと言う動作ですが、もちろん痒いのもあるのでしょうけど、最近見ているとそれだけじゃなさそうですね。眠かったり、腹が減ったりすると、イライラしてやっているように見えます。癖なのかと思う程。

そうそう、昨日かみさんがコーンスープをおかゆに混ぜて食べさせてところ、全身真っ赤。以前も何か食べたときに出たんですが、その時もたぶんコーンスープと予測していたのに、かみさんはまだ半信半疑だったようで、今回また食べさせてみたようです。これでコーンスープが確実にアレルゲンの一つであることはわかりました。コーンスープのなんの成分かはわかりませんが。今度、アレルギー検査を受けるときはコーンを中心に調べてもらわないと。


それと、ちからが意外とあるんですね。そばに行くと顔とか頭とかさわろうとしているんでしょうけど、コントロールが聞かないのか、たたくようにさわるんですね。さわるのではなくて、たたくという表現の方が良いですかね。ズシンという感じです。

これがあっという間にコントロールできるようになるんでしょうね。息子との対比で見るもので、娘のマニュアルどおりに成長して行くがごとく、先が予想できる育ち方がおもしろくて。しかし、大きくなり自我を持ち始めると、今度は逆転するんでしょうね。息子はストレート(ピュア)な分かりやすくて、娘はどんどん難しくなって行く。

おもしろーーい。

なんて言っていられるのは今の内で、難しい時期に来るとまた泣き言を書いているんでしょうね。12年後ぐらいでしょうか。お楽しみにって、先が長い話ですね。このブログサービスが存在してるかどうかもわかりませんからねぇ。

40歳を越えて2年になりますが、急に自分が年を食ったような気がして、しょうがないのですが、娘がまだ7ヶ月なのを考えると、娘が大学を卒業するまでに、22年もあるんですよね。その時僕は64歳か。孫ですね。

少し若返り作戦にでないといけませんね。

娘の友人「ねぇ、あんじゅ(娘)ちのおやじさんて、年齢不詳よね。」
娘「そう? 最近は医療技術が上がってるからね。もう64歳よ。ただのじじいね。」
娘の友人「えっ、うそ。40代後半ぐらいかと思ってた。」
娘「またまた」
娘の友人「まじ、まじだって」
娘「そうか。それは私もちょっとうれしいかな。」


なんて22年もの先のことを想像するまえに積極的に、体力作りやらんといかんかな。
先ずは、4年後ぐらいに幼稚園の行事が控えてますからね。保育園だったらもっと早くに...。

しかし、ほんと、どんな風に育つのかなぁ。

いや、ところで僕はどんな人に育って欲しいのかな。

あまり考えたことがなかったような気がする。息子は自力で生きていける事が目標だけど。娘はもっと望むことがあるはず。

素直で正しいことは曲げず、心が強く、自分には厳しく、他人には優しく、人を騙すことなく、騙されることもなく、差別をせず、外国語に堪能で、幸せな家庭を築き、良き妻であり、親であり、礼儀正しく、人のいやがることを苦にもせず....

聖人君子だなこれじゃ。

あまり子供に期待しすぎても、期待しないのもね。

”何があっても、人生を楽しむことができる人。”これが一番かな。

何があってもとりあえず生きてるのではなく、「楽しんで生きる」。難しいな僕もできていないものね。

気になるのはやっぱり、息子との関係です。娘にはお兄ちゃんの支えになって欲しい反面、それが彼女への負担になるようにもしたくない。だから、僕が考えるのは「何があっても、人生を楽しむことができる人」なんでしょうかね。

joyukiの心の声:
なんだ。自分でもよくわかってないじゃないか。
まあ、だからこのブログを書いてるんだけどね。
僕がこの世からいなくなったときに、いずれ誰かに客観的に判断してもらえるように。


なんて大仰なことを考えてるんでしょうねこの人は


娘の7ヶ月に寄せて、近況とちょこっと僕の想いを書いてみました。


P.S.
 そういえばかみさんは娘をフィリピンの東大(学校名は忘れました)に入れると言ってました。日常会話は英語にするそうです。既に教育ママ!!
 僕のかみさんは仕事をしながら大学に入り、しかも夏休みも休まずに講義を受けて予定のカリキュラムを半年早く終わらせて卒業したそうです。高校までは常に学年トップだったと言ってます。フィリピンではトップの生徒は他の生徒の試験の採点など先生の手伝いをするそうですから、教育熱心にもなりますよね。僕とは正反対。僕は中学まで常に居残り組でしたからね。大学も人より2年遅れて入りましたし...。
 しかし、日常会話を英語にすると困るのは息子(僕も?)ですね。言語は一つにと言われているのでかみさんもそれは悩んでました。僕は勉強きらいだったから、あまり学校(勉強)についてはとやかく言えません。
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Happy Birth Day!! anak ko

2005-08-25 16:00:00 | ダウン症だけど自閉っぽい(息子の事)
お誕生日おめでとう!!
(anak ko とは僕の息子という意味です。)

息子が7歳の誕生日を迎えました。

7年ですか早いような気もするし、やっとかという気もします。生まれたときは、心臓の内部が穴だらけ(心房中隔欠損症、心内膜床欠損症)なのと染色体異常(ダウン症)を告げられて、小学生のこの子は存在しないかもしれないと思っていましたからね。ここまで育ったことはすばらしいことです。

しかし、心臓の手術が成功したときには、染色体異常(ダウン症)でも、生きていることが重要なんだと思いました。
それは確かにそうなんですが、7歳になった今の成長ぶりを見ていると、体は同じ年代のこと変わらずに育ってきましたが、知の面ではまだまだです。ダウン症というのは知的発達障害ですから、成長が遅いのは当たり前なのですが、それにしても一人で生きていけるようになるためには道のりが長そうだな。

なんか当時のことを思い出しちゃいましたので、書いておきます。長いです。


--------------------昔のお話し----------------------

出産当日は朝6時にかみさんがお印が出たと言うことで、朝から病院へ行く準備をしました。病院は9時からそのころには徐々に陣痛らしきものも始まり、検査の結果すぐに入院となりました。昼過ぎからは陣痛もひどくなり3時には既に、胎児を囲んでいる風船のような膜が出てきました。すぐ分娩室に、立ち会いするかどうか迷っていたのですが、かみさんと仲良くなっていた看護婦に、旦那さんも立ち会いますよねと、そのまま一緒に分娩室へ連れて行かれた。(直接出てくる所が見えない立ち位置にいましたがね)もうかみさんは話をできる状態ではなかった。うーんと痛みをこらえるのに精一杯の様子です。分娩台に上がるとすぐにいきみ始める。とりあえず僕はかみさんの手を握って、汗をタオルでぬぐうだけ。医者と助手の女性が作業するのを見つめている。なかなか出てこない。医者はかみさんの腹を思い切り押している。子供の頭が出たらしいとき、顔色が変わってるから早く出すんだ。というような会話を交わしていた。まもなく、良くテレビで聞くような「オンギャー」という元気な声ではなく「あ”ーっ、あ”-っ」という何か妖怪じみた声が聞こえ始めた。生まれましたよと見せられた子供はお世辞にもかわいいとは思えなかった。後日、かみさんはフィリピンのホラー映画チャナックを思い出したと言っていました。(僕は見たことないので知りませんが、赤ちゃんの化けもだそうです)

#しかし、出産とはすさまじいものです。娘の時も立ち会う予定でしたが、帝王切開になったため、立ち会う必要がなくなって、正直言ってホッとしました。


産まれたての体をきれいにするため、しばらく子供は離れました。その間小児科医が検査したのですが、小児科医にお父さんと呼ばれました。そのときは「お父さんかなんて照れくさいな。」などと思いながら小児科医のところへ行きました。小児科医はいきなり赤ちゃん抱きますかと言うので、もちろん抱かしてもらいました。しかし、今考えてみると変ですよね。普通の順番であれば最初は母親に抱かせますよね。息子はすっかりきれいになっていました。赤ん坊を抱いていると、小児科医は後でお話しがありますから、奥さんとNICU(当時NICUといわれても??でしたが)まで来てくださいと告げました。そのときは別に疑問を持たなかったのですが、たぶん小児科医はかみさんが外国人であることを聞いて、僕に話しをする切っ掛けにしたんだと思います。

そして、僕たちの赤ちゃんはみんなの赤ちゃんとは別の場所へ連れて行かれたのです。このときは分娩中に医者が交わしていた「顔色が変わってる」というのが気になって、何かそれで問題を起こしたのかなと心の中では考えていました。

その後の話しはこちらに詳しく書いてあります。

ダウン症は合併症をもって生まれてくることが多く、その程度によっても発育に非常に影響を与えます。うちの息子は重度の心臓奇形をもっていましたので、手術するまでは、知的しょうがいは二の次だったのです。手術を受けなければ、保って数年と言われました。しかし、手術するにも5Kgを越えないと、リスクが高いということで、知的発育よりも手術に耐えられる体を作ることが先決でした。従って、強心剤や肺の高血圧を緩和する薬などを大量に飲ませつつ、ミルクや離乳食でひたすら体重を増やすことに専念しました。しかし、やはり息が苦しいため、ミルクの飲みが浅くなかなか体重は増えない。どうしたら良いのかとイライラしたものです。

心臓は新鮮な血液と汚くなった血液を循環させつつ、汚い血液を肺に送り込み、二酸化炭素をすてて、新鮮な酸素を取り込んだきれいな血液を新たに送り出す役目を担っています。ところが、息子の心臓は右心室と左心室を分ける壁に大きな穴が空いていて、しかも弁は穴が空いている関係で、一つにつながってしまっているため、汚い血液ときれいな血液が混ざってしまう状態でした。さらに、左右の圧力が均衡でないため、血液が肺へ逆流し、肺の血圧が高くなってしまいます。つまり、新鮮な酸素をうまく取り込めないため、息子はいつも走った後のようにハアハアいっているわけです。

だから、ミルクも休み休みで同じ月例の子のミルクの量をなんかにも分けて飲むので、体重など簡単には増えません。息子のページを見てもらえばわかりますが、手術前は目だけ大きくやせ細っていました。

うんちをするのに力むときも、心臓に負担がかかるようで、苦しそうでした。医者に「うんちをするのに力ませて大丈夫なんですか」とバカな質問をしたことを思い出します。

当然、風邪などの病気は肺に負担をかけるし、体重も増えなくなるので気をつけるように言われました。しかし、もともと体力がなくがない息子は、何せ冬を越さなければならなかったので、5ヶ月めそれも正月の三が日中に風邪を引いてしまいました。このときは叔父が年末になくなったため、告別式が1/4にありましたが、死んだ人より、これから生きていかねばならない息子が大事なので、告別式はごめんさいで、息子を病院に連れて行きました。風邪もなんとか治まり、冬も終わりに近づきました。

ところが、体重は7ヶ月たって、4Kg代から上がらなくなってしまったのです。

しかしながら、いつまでも体重の増加を待っていると、肺に高血圧がかかっているため、ボロボロになってしまいます。そうなると手術しても助からなくなってしまいます。結局、息子は最初にいた大きな病院から、心臓専門の病院を紹介してもらうこととなりました。

そこの病院ではすぐに息子の状態をチェックし、カテーテル検査を行うことになりました。カテーテル検査とは大腿部の静脈から、細い管を通して行います。通した管は心臓まで到達させます。到達すると造影剤を流し込んで、レントゲンを撮ります。その様子をビデをで見せられましたが、心臓に管が到達すると、液体がはき出され、心臓がもやっと見えるようになります。そこで血液の流れや穴の状態を見ます。管が穴から反対側に突き出るのを見せられました。

そして次は手術入院、入院前に誓約書を書かされます。手術を受けるか受けないかの選択でもあるのです。ほっといても長い命ではないので、承諾書も何もあったものではないのですが、手術に望みをつなぐしかないわけですからね。しかし、その時の執刀医は、もし5%でも失敗する確率があるなら、手術はしないと言っていました。その言葉は支えになりました。その時の医師は忘れもしない高橋幸宏先生です。僕が好きなミュージシャンと同姓同名でしたので、息子の一大事というシチュエーションの中で、何となく感動していました。

入院は20日間に及ぶもので、その間母親が付き添い入院にします。これが結構大変なんです。病棟は入院している子供専用なので、ベットは子供用しかありません。ふろも子供を入浴させるスペースしかありません。従って、週に何回か、少し離れた銭湯に行くしかないのです。(目を盗んでさっと体を洗うぐらいはしていたそうですが)その他は子供から離れられません。

手術当日は夫婦で見送りました。手術が手術だけに6時間に及ぶものです。この間の長いこと長いこと。二人とも極度の緊張状態でした。手術が成功したとの報告を受け手術室に通されました。そこには大勢の医者や看護婦、20人近くいたでしょうか。執刀医の他に若い医師や学生などがいたんでしょう。温かく迎え入れられました。

大きなベッドに麻酔で眠っている小さな息子がいました。胸と鼻に管が通されていました。胸の管は血液のような赤いものが、吸い取られているようでした。胸には綿とガーゼが当てられていて傷口をかくしてありました。

ここで、かみさんは何を思ったのかそばにいた医者と看護婦に、「(手術跡を)見ても良いですか」と聞いています。別に構わないけどというと、すぐにかみさんはガーゼをめくりました。とたんにかみさんは涙を流してその場を離れていきました。僕にはその時傷口は見えませんでした。一瞬でかみさんは閉じてしまったので、手術中まで気丈だったかみさんはその後、病室のロビーに戻ってずっと泣いていました。この光景を見た他の人たちは手術が失敗したと思ったんじゃないですかね。看護婦には傷口なんか見るからよと慰められていました。実際、小さな体の胸に大きな傷をみてかわいそうでしょうがなくなったそうです。

その日は近くの旅館に泊まりたいきをすることになっていました。手術は成功したけれども、何かあったらすぐ呼び出せるようにとの、決まり事のようです。すっかり疲れ切った二人は旅館の風呂に入ってすぐに眠りにつきましたが、携帯に電話が入りました。この状況で携帯ですから、息子に何かあったのかと思いました。結局それは身内からの状況確認の電話でした。その電話は相当にビックリしました。

手術後は痰を取り除くのと、流動食を入れるのに、管が通されていました。手術跡は痰が
発生しやすくなるようです。痰が絡むととたんにチアノーゼ状態ですからね。酸素が十分い取り込めないので、唇が紫色になります。

退院までの間はかみさんはずっと付き添い入院、僕は毎日会社が終わると速効で病院へ行ってました。病院は近くではなかったので、結構大変だったと思うのですが、その時はそうは思わなかったですね。

20日後に退院して抜糸できるまでは、何度も手術跡の消毒のため通いましたが、みるみる太っていく息子をみてホッとしたものです。今は1年に一度経過観察をするだけ、毎年問題なしです。

今では心臓が悪かったとは思えない程元気です。息子を風呂に入れると、手術跡が見えますから、そのたびに心臓の手術をしたことを思い出します。

------------------------------------------------------------


さて、息子の心臓は奇形ですから、病気を治療したのではなく、改造をしたのです。穴にパッチを当てて塞ぎ、弁はちゃんと役目を果たすように縫って調整をしました。そう、仮面ライダー1号のように息子の体は改造手術により変身したのです。外見は変わりませんがね。今度は知的面での変身を遂げる日を目指して、日々を送っています。近年、ヒトゲノムの解析が始まりましたが、いずれ発達障害を改善する薬とかも開発されるでしょうが、もう少し先のことですから、今は努力でカバーするしかありません。

まあ、焦ってもしょうがないんで、今のペースでやっていくしかないのでしょうけど。日常生活は身につけることができそうなイメージがありますが、それなりの会話ができて、文字が読み書きできてなんて、いつのことやらという感じです。

それでも、決まったことばや歌などは意味がわからなくても、かなりクリアに発音もするようになってきたので、大丈夫でしょう。いつかは2人でくだらない話しをしながら、酒を酌み交わすことができたら最高ですがね。

とにかく7歳の誕生日おめでとう。今日は台風も来るというので、夕方は速攻帰ります。息子のエンドレス・ハッピーバースデーを聞きに帰らなければ。ロウソクに火を付けては歌い、消す。彼は好きなことはな何度も繰り返します。今日は何回でやめさせるかな。

♪Happy Birthday to you, Happy Birthday to you,
 Happy Birthday, Happy Birthday~
 Happy Birthday to you!

 -repeat X times-


息子はプレゼントというものをまだ理解していないので、小さいケーキとロウソクがあって、ハッピーバースデーが歌えれば幸せなのです。

ながながとありがとうございました。本日は文字ばかりでした。
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久しぶりのフィリピン滞在記(6) 6日目 大掃除

2005-08-24 10:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月8日
6日目のマニラです。今日も雨です。

雨ばかりで行く所も限定されているので少々あきてきました。今日は片付け上手のかみさんが、実家の整理されていない状態にブッチして、大掃除が始まりました。動かなくなったレンジや使わない皿などキッチン&リビングの使ってないもの、使えないものを整理し始めました。その間、僕たちはガレージに待避してました。

きっかけは息子が大好きなブブチャチャのDVDを見ようとしたことから始まりました。自宅では一日も欠かしたことのないブブチャチャですが、もう6日も見ていないため、息子に禁断症状が出てきました。
そこで、実家にはDVDプレーヤがあるので、自宅からもってきたDVDを再生することにしました。実家にあるのは昨年かみさんの母親が来たときに、我が家にあったものをもって帰ったものです。LG製でトレーの開閉がスムーズに行かなくなったものだったのですが、使えないことはなかったのです。そのDVDが動かなくなっていました。義母によると空港で落としたようです。それで完全に動かなくなったようですが、大事に取っておいたのですね。いかにも動きそうな状態で、据え付けられていたのですが全く動きません。そんな動かないものを何故捨てないのかとかみさん。フィリピンでも有名なメーカでなければ4、5千円でDVDプレーヤは売っているとのことなので、新しいものを買うことにしました。捨てたら買うという話になりました。そして、その時は捨てると言っていました。

ついでに動かなくなったレンジなんかも捨ててしまえといったが、義母はなんだかんだ言っている。レンジも新しいのを買うからと。電気製品は日本向けに作られたものでなければ、非常に安く売っています。レンジ、DVD等買っても1万もかかりません。

それでも義母は捨てたくないような話を、そのうちかみさんはイライラして他の状況も見始めて、かみさんから見るとバスーラ(ゴミ)ばかりなので、大掃除タイムが始まったのでした。

かみさん判断でどんどん捨てています。影で一生懸命キープしてる人もいましたけど。大掃除の最中にゴキブリが大量に出てきました。ゴキブリ退治も始まりました。

結局1時間ぐらいできれいに整理が終わり、ついでに二日目に紹介した僕が昔使っていたLC630も捨てられました。くずやで100円ぐらいになったようです。

こうしてすっきりしたので、午後はまたまたSMサウスモールへ。そして、アプライアンシスショップで買い物をしました。

最初にDVDを購入、RAINBOW全く聞いたことないメーカ。でも店員お話しでは、東芝の下請け会社らしい。今はやりの青色LEDがまぶしい。5000円弱で、ほとんどのデータフォーマットに対応しているのでOK。


さらに、レンジ、オーブントースター、炊飯器、電気ポット、アイロンを買いました。みんな知らないメーカだけど炊飯器は花菱というメーカ。もしかして日本??
全部で1万数千円、2万円は行かない。安いね。
アイロンの写真忘れましたが、スチームアイロンではなく昔ながらの重いやつをかってました。



DVDが決まった後、他のものはなかなか決まらないので、息子と僕は例によって、SMの広いホールでしばしかけっこ。何度か繰り返すうちに息子はへばってしまし。ジュースを繰り返して座り込んでしまいました。しょうがないので、店頭にあったスペースで、義兄と僕と息子で、かみさんらが買い物している間座り込んでしまいました。店頭ではカシオのキーボードを売っていました。売り子の兄ちゃんは特にセールスする訳でもなく、自分で書いた譜面を見ながら、売り物で何か一生懸命練習していました。まだ練習を始めたばかりなようで、先へ進まずなんの曲かわかりませんでしたがね。

やっと買い物が済んだらしく、会計にかみさんらが来ましたが、ここからまた時間がかかっている。かみさんのクレジットカードで購入したんですが、確認するのに身分証明として免許(日本のもの)を要求したようで、ずいぶんと時間がかかっていました。日本語わからないだろうにね。アプライアンシスショップが特にうるさいんでしょうか。他のSMの店ではこんなことなかったんですが。

そしてやっと、息子待望のジュースを飲むためにゴールデラックスに行き、甘いアイスティを飲ませました。そこでまた、チョコレートケーキを買ってました。便秘に効くそうです。

さらに、最後はまたかみさんと息子でかけっこタイム。すっかりSMサウスモールの1階の店員に有名になっていたんじゃないでしょうかね。



あとでわかったのですが、壊れたLGのDVDはかみさんの姉が捨てずに隠してあったそうです。修理費の方が高く付きそうに思うんだけど、どうするんだろう?
まあ、かみさんの潔さは目を見張るものがありますけどね。僕が独身時代に集めたCDや楽器類を今キープしていることは奇跡に近いのです。


フィリピンのイメージを写真で紹介

今日もSMサウスモールばかりの写真でした。なので別の日に撮った失敗写真ですがイメージを味わってください。共通点のない写真です。救急車、ジープニ、電車、町中です。

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久しぶりのフィリピン滞在記(5) 5日目

2005-08-23 08:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月7日
やっぱり雨です。日がほとんど照らないので、少々肌寒くも感じるようになってきました。運転を頼んでいる義兄などは長袖のジャケットを着込んでいます。

今日は中だるみであまり写真を撮っていないようですね。本日はバギオから2番目の義兄の家族が来たので、義兄とその娘(2歳)、僕かみさん、息子、長兄の嫁で出かけました。結局雨だし、道も混んでいるので、近くのSMサウスモール。さすがに息子も覚えたようで、近くまで来ると大喜び、このモールのフロアーで駆け回るのが楽しくてしょうがないようです。ここの一階には、子供向けのゲームセンターと無人の汽車(電動)が走っています。汽車は定期的に走るようですが、一人ぐらいしかいつものってませんでした。ショッピング用に子供が乗る車型のカートがありましたが、これは日本と違って、お金を払うようです。

本日の写真はそこでの写真ばかりなのです。


そうそう、これがマニラって感じのことがありました。今日は少々道が混んでいました上りと下りで4車線ある道路ですが、つまり上り2車線、下り2車線ですね。今回はたぶん上り車線にいたとしましょう。上り車線はほとんど進みませんでした。しかし、下りはほとんど車が通っていません。すると、すぐ横の下り車線を上り方向の車が走っているではないですか、一回始まると次々と出てくる。当然、僕たちの車もイケイケでしたが。主要な道が近づくとさすがに、交通整理に警察が出てきて、イリーガル車線の車を元にはいるよう指示しています。ところがそこを過ぎれば、のど元過ぎれば状態で、すぐにまた下り車線へでした。さすがマニラ。これが混雑を増やす原因になってることもあるんですけどね。

こういう光景を写真に納めたかったんですけど、今回の反省点でもあるのは、携帯のカメラではなく、専用のカメラでないとだけですね。携帯のカメラはもちろん性能の良いものもありますが、大抵はシャッタースピードなど遅かったりで、車の中からだと映像が流れてしまう場合が多くて、たまたまカメラをもって行った日はそれで撮ったんですが、次回からの反省です。というか雨ばかり降っているので、車中の写真ばかりになったのが問題なんですけどね。

今日は子守専門でした。かみさんと義理の姉が買い物している間に息子と義兄の娘を3人の男たちで見ています。義兄たちとの会話も僕のタガログ語がいまいちなのであまり弾まず、息子と走り回るのを中心にしたら疲れてしまいました。

かみさんたちの買い物が終わったので食事へ、今日も懲りずにジョリビーへ。というか子供が二人なので仕方なしですかね。さすがに3日連続なので、飽きてきた。でもまあ空腹なのでそれなりに食べました。子供らは大喜びでした。しかし、ここのジョリビーは店内に子供の遊技場があるため、めちゃめちゃ騒がしかったです。

帰りにジョリビー君と息子と義兄の娘で写真を撮りました。息子はマクドよりもジョリビー好きになりそうですね。また数年後、娘が物心付いたら行きたいと思いますが、娘の反応が楽しみですね。



最後は息子とかみさんでまた走り回ってました。息子は疲れて歩かなくなりました。




フィリピンのイメージを写真で紹介

今日はSMサウスモールでのスナップ写真ばかりなので、別の日に撮ったジョリビーの街中にある店のイメージを紹介しておきます。



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少々、難しくなってきたかな。

2005-08-22 12:30:00 | ダウン症だけど自閉っぽい(息子の事)
息子(ダウン症:知的しょうがい)の態度が少し変わってきた。前は素直なよい子だったのだが、最近は反抗?をするようになり始めた。自分の意志で動こうという表れなのかな。

そのくせごはんやジュースなどは促さないと自分から動かない。ジュースを飲むのにいちいち「ジュス」とそばにいる僕やかみさんに言うのだ。そしてどうぞというと飲む。どうぞと言わなければ待っているだけ。自分で好きなときに自由に飲むことはしない。意思表示はしているのだけどね。

今は夏休みで自宅にずっといることも影響しているのだと思うけど、少し甘え度が進んでいるようだ。まもなく7歳の誕生日を迎えるのだけど、総合的に見ると2歳ぐらいが良いところでしょう。

最近の態度の変化は娘(妹)の存在も大きく影響しているのでしょう。どうしても息子より娘に関わる時間の方が長くなりますからね。息子は少し退行現象を起こしているのかも知れません。(赤ちゃん化)

最近、言うことをすぐに聞かない事が多くなっている。無理にすると切れる用になった。テレビを消して食卓に活かせようとすると、勢いよくソファーに倒れ込んで、手足をばたばたさせて泣いたりする。きのうも買い物の最中に買い物のカートを力任せに押しているので、ゆっくりしなさいと、少しきつく叱ると、僕の服をつかんで、歯をむき出して、怒りの表情で、服を引っ張り少し暴れました。一瞬切れて、状況がわからなくなるような感じ、力任せに押さえて、きつく叱ると、「ママー」と泣きそうな声をだし、大人しくなりました。
(この「ママー」というのはかみさんのことではなく、どうもテレビ等で子供が泣くとき、大抵ママーと呼びながら泣くので、そういうものだと覚えているよう。何せかみさんに怒られてても、僕の方を見ながら「ママー」って言ってますからね。)

言葉の表現能力がないため、どうしても態度で出すんですね。

それで、土曜日の朝にちょっとした事件がありました。

土曜日の朝はかみさんは洗濯物を干すので2階にいました。その間に息子と娘はテレビを見させて、僕は食事の準備をしていました。

息子はテレビをみて喜んで声を上げている。娘は揺りかご代わりの乳母車に座ってテレビを見ている。娘がイライラすると顔をかきむしるので、ちらちらと様子を見ながら食事を作っていた。

-ある瞬間
 息子側に身を乗り出して、息子を見ている様子。すると息子が娘の方へ近寄って行った。めずらしいなと思って見ている。息子が娘の方に手をだした。僕はますますめずらしいなと思ってみていた。なでるとかするのだろうかなんて思いながら...。

すると瞬間に、娘の乳母車が横に倒れて行くではないか、乳母車の影になっているのでわからないが、息子は娘の腕か乳母車を引っ張っているらしい。

「うわあーっ」と僕は声を上げて駆け寄った。もやしを炒めていたのだがそのままにして..。あっという間に倒れたんでしょうけどゆっくりに感じられました。僕が到着すると同時にゴンという音と共に横倒しになった娘の恐怖の表情。瞬間に泣き始めました。ともかく起こそうと乳母車と娘の手を引っ張りました。シートベルトで止めてあったので、乳母車毎起こす必要があった。(今考えると引っ張った手の方が痛かったのではないかな)

息子も同時に泣きだした。

かみさんも二階からすぐ戻ってきて娘を抱きかかえ、僕は息子をなだめた。

なぜ、引っ張ったのかは全くわかりません。息子に聞いても何を聞かれているのかはわからないですからね。娘が最近良く横に身を乗り出して、手を伸ばして何か取るような仕草をしているので、引っ張って欲しいのかと思ったのか。ひっかき防止に付けている手袋をいたずら手取るので、その一環だったのか。手を出したら握ってきたので、ふりほどこうと思ったのか。いずれにしても悪気はなかったと思います。これからは息子の様子を気を付けてみていかないといけない。

しかし、後で乳母車がそんなに倒れやすいのかと思って、引っ張ってみましたが、そうは簡単に倒れません。相当に力一杯引っ張ったようです。

幸い娘に怪我はありませんでした。僕もかみさんも、娘も心臓バクバクで、しばらく虚脱状態でしたよ。

そうそう、もやし炒めはすぐにその後に火を止めたので、問題なく食卓に上りました。

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久しぶりのフィリピン滞在記(4) 4日目 

2005-08-21 22:40:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月6日
4日目のマニラですが、今日も朝から強い雨が降ったりやんだり、涼しいです。どうも最高気温が30度を超えていないようです。

今朝の朝食はカレカレでした。カレカレといってもフィリピンのカレーじゃないですからね。フィリピンのカレーはココナッツカレーで僕のお腹には合いません。カレカレはピーナツペーストを入れたスープにペッチャイバギオ(青梗菜?)とぶたのもつ(これは牛でも良かったり、普通の肉でも良いようですが)、シータオ(細長いインゲン)、タローン(なす)などが入っていて、ごはんに少しずつかけながら食べるんですが、その時にアクセントとして、バゴオーンというアミエビの塩からを味付けしたものを少しかけて食べます。このバゴーンはいろいろなメーカから瓶詰めで売られています。これ結構うまいです。酒の肴になります。

そうそうフィリピンお食事はさらにごはんを盛って、そこに好きなおかずをとって食べるのです。スプーンとフォークを使って食べます。手で食べる習慣が残っている所もあります。スプーンを右手、フォークを左手に持って食べます。口を付けるのは基本的にスプーンだけだそうです。フォークは皿の上の食べ物をきれいに残さず食べる補助役です。スプーンだけだとごはん粒や残った細かいおかずをきれいに取るのは難しいでしょ。僕は結構使い慣れたので、日本のレストランでもすっかりこのスタイルです。

写真の下に敷いてあるいかにもエスニック調のマットですが、百円ショップで購入して日本の自宅で使っていたものです。かみさんがあきたので日本からもってきました。妙にマッチしてます。




本日のお出かけは、新しくできたというショッピングモール:ロックウェルに行きました。マカティにあるのですが、駐車場とか地下にだだっ広いのが用意されていて、結構がらがらでした。普通の日だからか。しかし、駐車している車は高級車ばかり。どうも芸能人や政府関係者が多く訪れるようです。モール内はブランド品ばかりで、かみさん曰く値段は日本より高いようです。アプライアンシスショップによりましたが、日本製のデジカメなど非常に高い値段で売ってました。日本のヤマダ電機等で買った方が遙かに安い。3倍ぐらいの値段で売ってました。iPodのショップもありましたが、20Gディスクのもので6万ぐらいで売ってました。マハル!(高い)

おもしろくないので、お昼にジョリビーで食事しただけで出てきました。ジョリビー君と食事したものを撮ってきました。
この店のパラボックというフィリピンの麺料理がお気に入りなんです。これは太めのビーフンの麺にエビの入ったあんかけ風のソースがかけられていて、ゆで卵のスライスとチッチャロン(ぶたの皮の揚げせんべい)の砕いたものがかけてあります。カラマンシーという酢橘を小さくしたような柑橘類を搾って食べます。チッチャロンの歯触りがアクセントです。飲み物はアイスティ、強力に甘くしたレモンティです。ハンバーガーとチキンの唐揚げを食べました。まんぞく。二日連続ですね。ジョリビー君と一緒に写真も撮りました。ちょっと恥ずかしかったです。




その後はSMマカティへ行きました。ここはフィリピンに来ると必ずよっている所ですが、かなり改装されたようで、イメージが変わってました。
ここでは財布とかみさんの洋服を購入しました。1000円で革製の札入れが手に入りました。かみさんの洋服購入時は何気なく商品を見てたら、値札に「しまむら 1,500円」と書かれたものがあり、ペソでもその値段で売ってました。日本から輸出してるのでしょうかね?

帰りにSMを出てゴールデラックスのケーキを買いに出かけましたが、途中に日本食の店で「太った少年」というのありました。いつかよってみたいですね。
ゴールデラックスはフィリピンの有名なお菓子屋さんです。かみさんはここでチョコレートケーキを買いました。甘そうでしょ。



本日はバギオに住んでいるかみさんの兄夫婦(2番目の兄)が来ることになりました。といってもバスで9時間以上かかるので昼頃出発したようなので、到着は夜の11時頃です。僕は疲れが出たのか20時頃には眠ってしまいました。


フィリピンのイメージを写真で紹介

本日はマカティまでの高速道路のイメージとマカティのイメージですが、雨なのでいまいちです。そうそう、高速を走っているときに「6」というナンバープレートの車を見ましたが、フィリピンでは「1」が大統領だそうなので、結構主要人物だったんでしょうね。マカティはフィリピン最大のオフィス街です。高層ビル群の近代的な町並みです。雨なので、外に出てまで写真が撮れなかったのが残念です。高速から遠望した高層ビル群の一部です。丸の内と新宿を併せたような町と思ってください。

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久しぶりのフィリピン滞在記(3) GREAT-GRANDMOTHER

2005-08-20 22:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月5日
フィリピン三日目は朝から暑くやっぱりマニラは暑いかと思っていたら、みるみるうちに曇り、雷と風と共に大雨が降り出した。バギョ(台風)が来ているのかと思いました。雨が降り出すと暑さも和らいだのは良いのですが、これが帰りまで続くとは...。

本日は息子たちから見て、ひいおばさんの誕生日だと言うことで、会いに出かけました。かみさんの母親の母親です。僕から見れば、義理の祖母(以降は祖母とします。)ですね。
車で移動中にも激しい雨が、途中の道がものすごいバハになっていましたが、一応車は無事通過しました。誓うになったので、RedRibonというケーキ屋によってチョコレートケーキを買いました。(フィリピンで知っているのはこのほかにゴールデラックス)ビレッジに着いた時にもすごい降りで、車から容易には出られない状況でした。

※ビレッジとは住宅地の集合で、シティの中にいくつかあります。柵に囲まれてゲートがあり、大きなビレッジではゲートにセキュリティガードがいます。



祖母はもう89歳になるそうです。ダンナはとうの昔に他界しています。最近少し入院したと聞きましたが、背筋もピンとして元気なんですよね。100歳まで行けそうです。この祖母の一番のお気に入りは孫にあたるかみさんで、少しぼけてきているがかみさんの事はしっかりと覚えている。おかげで、僕も覚えてもらっている。まあ、一人だけ日本人だから分かるのは当たり前だけどね。

今回以外だったのは、娘が祖母のことを気に入ったようで、顔を見て始終ニコニコと笑っていました。6ヶ月で歯がないから、似たような顔なので、気が合うのかもしれませんね。息子の方は逆に最近人見知りをするので、覚えていないようで近づきませんでした。

さて、この家はマニラの大きなビレッジにあります。はっきり言って金持ちです。かみさんの母親のお姉さんのダンナが歴代の副大統領のスタッフで、どうやらビザの関連のメインをやっているらしい。一応まじめにやってきているため、大統領が替わっても、ずっと同じポジションで仕事ができているようです。たぶん結婚パーティの時にあったと思うけど、顔覚えてないですね。(かみさんが日本に来れたのはこの人のツテではないです。この人はホントまじめで不正は嫌いなようです。)

広い部屋には木製の大きなソファーとテーブル、大の男が二人がかりでも動きません。一見して一般の家とは違います。大金持ちではないけど、日本でも金持ちの部類に入りますね。もちろん僕の給料など及ばないでしょう。

こんな親戚がいるのなら、こちらを頼りにすればいいのにと思いますが、かみさんの父親が親戚一同から嫌われているのでだめなようですね。

なにせ、かみさんの父親は家族のために働いたのは5年、かみさんが産まれたときには家にいなかったそうです。6番目の子供であるかみさんは、どう計算しても、父親の働いた金で暮らした経験はないわけです。この祖母の旦那が生きているうちはそこに世話になっていたようです。余計にかみさんは祖母と仲が良く、父親は天敵なわけです。
今は、実家であたかもここは自分の家だと大きな顔をしているのを、かみさんは許せないのです。今の実家の名義はかみさんの母親になってるんでね。

さて、祖母の旦那(祖父)は非常に厳しい人だったそうです。マニラ警察には珍しく、まじめな人だったそうで、礼儀、掃除、選択などの家の仕事、勉強など、孫達(かみさん達兄弟)に非常に厳しくしつけていたようです。当然、かみさんの父親はなかなか寄りつけなかったようです。その祖父の気性にかみさんはそっくりだそうです。そうかそうかふむふむ。

また、祖父は酒飲みでもあったようで、肝臓の病気でなくなったそうです。そのときはみんな悲しむどころか、バンザーイだったようですが...。それほど厳しかったんでしょう。かみさんを見てるとその厳しさはよくわかる。

そんなわけで、祖母はかみさんにとって特別の存在のようです。
♪Happy Birthday to You, Happy Birthday to You,
 Happy Birthday, Happy Birthday,
 Happy Birthday to You~!

その後は食事をジョリビー(フィリピンオリジナルのもっともポピュラーなハンバーガーショップ)でしました。息子は大喜び。日本でもマクド大好きですからね。子供は何でマクドナルドが好きなのだろう。フィリピンにもマクドはありますが、ジョリビーにはかなわないようです。日本と大きく異なるのは、半バーが意外に、スパゲティ、パラボック(フィリピン面料理)、鶏の唐揚げ、ライスなどがあるところです。ここのジョリビーの駐車場には足の不自由な老人が一所懸命交通整理を行ってましたね。雇われてる分けではなく、こうやってチップをもらい日銭を稼いでいるようです。(結局、フィリピン滞在中に外食したのはジョリビーオンリーでした。)

午後には、今回帰すことになった義理の娘にフィリピンで自転車を買ってあげることにしていたので、町の自転車屋さんに行きましたが、驚きました。アルミ製の自転車が2000ペソで売ってるんですよ。今のレートだと日本円に換算して4000円です。日本で買ったら、5万はする代物です。もう一台買って日本に持って帰ろうと本気で思いましたよ。写真がそれです。



でも、義理の娘からはありがとうの一言もなかったですがね。自分から聞いちゃいましたよ。

マガンダ デバ!(良いでしょ!)

一応、一瞬ですがニヤッとは笑っていました。うれしいことはうれしいみたいでした。まっいっか。


フィリピンのイメージを写真で紹介

本日は自転車購入後によったパンデサール(ティナパイ:パンです)のお店です。何故か日本人の名前が付いていたので、アサワ(配偶者)が日本人なのかな。焼きたてを売ってくれると書いてあったので、よりました。結構うまかったです



今日はここまで、ちょっと余計なこと書きすぎたかな。
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生活のペースが...

2005-08-19 19:44:39 | Weblog(まあ日記です。)
義理の娘が2年前に来て、その間かみさんの妊娠で、義理の母親と姉を呼んだりで、いつも家族が6人の状態でした。それがここで一気に4人に食費や生活費はぐっと減り、他人に変に気を使わなくて済むようになったのですが。生活のパターンが変わったので、やはり落ち着くまでには時間がかかりそう。

息子は娘が生まれてから、少しわがままになって、かみさんから見れば赤ちゃんが二人いるような状態ですから、ちょっとお疲れ気味。

僕の方は会社にいる間は変わりませんが、家に帰るとねぇ...。

一番は娘のアトピー。夜中に顔をかきむしるので、かみさんは眠れない。ほっといて眠ると顔が真っ赤に腫れ上がって、場合によっては手袋を自分で外して、ひっかきまくって傷だらけなのです。これがなければ娘は朝までグッスリでしょう。

そうするかみさんも寝不足にならず。イライラもしないんでしょうけど。

僕も安心してゆっくり眠れる。

義理の姉がいる間は昼間にかみさんが眠ることもできたんだけど、今は24時間体制ですからね。昼間でも娘は顔をかきむしりまくるのです。僕も夜中に手伝うという意識はありますが、一度寝てしまうとかみさんが起きているのは意識で確認しているのですが、体が言うことを聞かないもので...。

娘のアトピーが治まってくれるまでは、生活のペースは乱れまくりですね。

何か考えなければ、昼間に息子の世話ということで、ボランティアを頼む必要がありそう。その間少しかみさんを眠らせて、夜にがんばってもらう。土日は僕がやればいいのでね。でも僕の住んでる市では、このボランティアは自分で探さないといけないんですよ。ボランティアに対しての援助金は市からでるんで、前に少しは知り合いにお願いしましたこともありますが、昼間に暇な人はそうはいないので難しいんですよね。

このまま行くといつかかみさんはブッチするのは目に見えてるしなぁ...。
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久しぶりのフィリピン滞在記(2) 二日目

2005-08-18 20:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月4日
移動疲れでみんなグッスリと行きたい所でしたが、娘(6ヶ月)はそんな事は関係ないので、夜中に腹が減れば泣くし、アトピーで顔が痒いので、1時間起きぐらいに顔をかきむしり始めるので、あまり眠れない一夜を過ごしました。グッスリ眠っていたのは息子だけ、さすがに長距離移動と遅い時間(AM1:00)に寝たため疲れたようです。

天気は晴れていました。クーラの効いた部屋なので、実際の温度はわからず。しばし部屋を見回すと、ずいぶん前にフィリピンへ送ったマッキントッシュLC630がまだ置いてありました。まだ動作するのかなと思いながら写真を撮りました。(これは結局、滞在中にかみさんの大掃除令にて、くずやに売られました。だから最後の写真です。)



既に部屋に残っているのは僕と息子だけで、息子が目覚めないので、一人で部屋をでると、娘(6ヶ月)は元気に起きていました。クーラの効いていない部屋はじんわりと暑く汗が噴き出してきました。それでも、東京の暑さに比べるとむしむししていないので、まだ快適でした。

朝食はごはんと汁気多めの野菜炒め。久しぶりのフィリピン米の堅いこと。米は写真の結構良いもの使っているのに堅い。次の日に少し水を多めにして炊いてもらったら、少しは改善された。いつもこれは炊き方の問題ではないかと思っているのだけど、今度長期滞在(いつの事やら?)したときに試してみようと考えています。おかずの方はかみさんが薄味にする指示を出していたようで、おいしくいただけました。



食事も終わり少し、ボーっとテレビを見ながら、義理の姉の到着を待つ。日本のアニメがずいぶんタガログ語で放映されてますね。ガオレンジャーをやっていましたが、出演人物はアメリカ人でしたね。着ぐるみやCGは日本のものをそのまま使っているようでしたが。アメリカ版が入ってきているんでしょうか?

今日はSMサウスモールへ買い物に行く予定だが、娘を連れて歩くのは大変なので、日本でも子守をしてもらった義理の姉にこちらでもお願いしていたのだ。しかし、朝一にお願いしたのに、義理の姉はすっかりフィリピンタイムに戻ってしまい到着せず。10:00になってもこないため、娘のお風呂タイムにしました。赤ちゃん用の浴槽などないので、台所の洗い桶で入浴です。

※SM(Shoe Mart)は

フィリピンの彼方此方に点在する巨大なショッピングモールです。サウスモールはその一つの支店です。最大はマカティにあるメガ・モールですが、2年前から新たにさらに大きなSMを建設中です。遠くから見ましたが、かなり大きく見えました。




お昼になりようやく義理の姉到着。移動するのに道が非常に混雑するので、朝早くに到着しようとすれば、結構早めに出なくてはならないのだが...。かみさんは少し切れ気味でした。

昼飯を食べて、かみさん、僕、息子、義母でSMサウスモールへ買い物に行きました。滞在中の車と運転はかみさんの3番目の兄に頼んでありました。タクシーを商売としています。フィリピンに買った家の管理もこの家族にお願いしています。なので、10日間のタクシーで稼ぐ分を保証して、滞在期間中はタクシーと運転を提供してもらう事にしています。

さて、本日の買い物は洋服がメイン。息子のTシャツ、パンツ(半ズボン)を買いました。その間僕は息子のおもり、広いモールなのでうれしそうに走り回るので、追っかけるこっちがへばってしまいそうでした。その後、あちらこちらの店を見て歩くかみさんと義母。息子も走り疲れてへばってしまいダッコを要求して座り込んでばかりで歩かなくなってしまった。仕方ないのでダッコして、モールの通りの真ん中に設置してあるベンチに息子と座って待っていました。ちょうどその前に「ふくや」という日本食屋さんがありました。おたふくソースを使ってるてことが書いてあり、お好み焼き、焼きそば、焼きうどんなどの文字が目に入り、早くも日本食が食べたいなと思いながら、かみさんと義母が店を出てくるのを待ってました。15時を過ぎていたので、客はいなかったようです。



帰宅後はインターネットカフェが近くにあるというので、再び義兄のタクシーで出発、義兄と二人きり、そこは学校のすぐ前にあるインターネットカフェで、端末とキーボードだけが並んでいる。30端末ぐらい並んでたでしょうか。本体は見えないようにしてあるらしい。
もし、OSが日本語に対応していなかったら、大したことはできないので、時間は30分にしました。30分15ペソ!100円が49ペソぐらいだったので、30円ですね。日本のインターネットカフェには入ったことがないのですが、インターネットで抜粋してみた感じでは、日本は約10倍といったところです。カフェは彼方此方にありましたから、金額的にはそんなに高くないのでしょう。ちなみに床屋でのカットのみは40ペソ。それで、8/4の記事を書き込んだんですが、30分にして良かったです。クーラーが効きすぎで、30分後には体の節々が悲鳴を上げてました。フィリピンは何故かクーラを思い切り効かせるんですよ。映画館やクーラ付きバス、映画館は入る前にトイレで十分出しておかないと必ず途中で行きたくなります。クーラ付きバスはジャンバーがないと凍え死にします。(昔、バギオへ行くのに9時間乗ったときはかなりきつかったです。)
また、OSも日本語がインストールされていないため、ブログのページを開いたら、install japaneseとメッセージが出てきてしまい日本語は化け化けでした。いつも慣れた編集画面なので、イメージで判断は付きましたが、書いてある内容は全く読めませんでした。そして、当然日本語の入力もできないので、ローマ字で書き込みましたが、書いているそばから、何かいたのか分けがわからなくなりました。それで、一日でやめました。たぶんお願いすればOSのCDから日本語をインストールしてもらうこともできるとは思いますがね。

夜はかみさんの異母兄弟(妹)が、ダンナ?(結婚していない)と子供を連れてきていました。24歳だって若いね。しかし、かみさんのストレートな性格とは相反して、複雑な家庭だ。まあ、日本でもあり触れた話ですね。

締めはやはりサンミーゲルビール、今日はSMで購入したマネ(味付けピーナツ)とチッチャロンブラクラック(ぶた腸を揚げたもの)をつまみに。サンミーゲルの缶は40円ぐらい。だから、好きなだけ飲んで良いことになってるけど。4缶飲むと腹一杯になってしまう。若いときならぐいぐい飲んだんだけど、このときは強い酒が飲みたいと思いました。本当はビンの方が安いんだけど、ビンは使い回しで義兄から良くイーピス(ゴキブリ)が入ってることを聞いてから、缶にしてます。

僕のタガログ語力は2年前に比べればアップしているので、飲みながら多少は会話ができますが、フルタガログ語の義兄(3番目)はちょっときついです。多少は英単語(英語でないところがミソ)を交ぜて欲しい。簡単な受け答えはできますが、こちらからちょっと複雑な話をしようとすると、タガログ語、英単語、日本語が混在してしまう。そうそう何故か女性のタガログ語の方が理解しやすいですね。いつも女性(かみさん、義母)のタガログ語を聞き慣れているせいかな。いずれにしてももっと勉強しなきゃだめですね。

フィリピンのイメージを写真で紹介

ミネラルウォータとフィリピンのコマーシャルでよく見たインスタント面(パンシットカカントン)、作った見ためはインスタントソース焼きそば風であじは味の素の強い中華焼きそば風でした。(よくわからないね)コマーシャルではスパゲティーのようにフォークにくるくる巻いて食べてました。ついでにヤクルトと食パン。フィリピンのパン、ティナパイ(パンデサール)を写してくれば良かった。丸っこい小さいパンで表面はかりっと、焼きたてはほんのり甘くて美味です。あーそうだ、タホも忘れた。ゆるい豆腐に黒蜜がかかっていてほんのり温かいのを飲みます。これはおいしい。



あと、車の中から取った7イレブン(かみさん曰く偽物の7イレブンだそうです。イメージの話です。)と道の風景。携帯電話のカメラで動いてる車から取ったのでうまく撮れなくて写真にはありませんが、道では個人が乗るオートバイと自転車が前に比べてやたらに多くなったように感じました。前は実家が空港に近いパサイで、大きな通りがすぐ近くなので、気が付かなかったのかも。今は空港から少し離れたLAS PINYASにあるせいかもしれません。



P.S.
 夜に仕事で滞在中の同じ会社の後輩と連絡とりました。マカティのホテルに泊まっていたようですが、仕事できてるので、昼間は会えないし、夜はこちらが出歩けないしで休みが取れたらと言うことにしましたが、よく考えてみたら、会社で良く会ってるのにわざわざマニラで会うことないよなと思いました。結局、彼はタガイタイに観光に行ったそうです。彼曰くフィリピンでの食事はジョリビーが一番だったようです。今は彼も帰ってきていますが、仕事が完全には終わっていないようでもう一度行くようです。マニラは独身男が行くには最高の場所だとも言ってましたね。どこに行ったかは知りませんが、ちなみに彼は所帯持ちです。
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今頃疲れが...。

2005-08-17 17:25:00 | Weblog(まあ日記です。)
今頃、調子が悪くなりました。疲れですね。最後の日に息子と重い荷物を抱えて歩いたので、今頃筋肉痛として現れてきたようです。

帰国日から、ちょうど3日後、典型的な40親父です。

昨夜はだるくてクラッカーとチーズとビールでもう眠くて、朝まで寝ていたけれど、起きたら全身筋肉痛。かみさんが昨日の帰化し申請の話をしているんだけど、うんと答えるのがやっと、冷たいとぶち切れてしまいました。しかも、食欲までなくて、ごはんを一膳食べられませんでした。

今日は油汗流しながら、一日筋肉痛と戦っていました。元もと座ってばかりいる仕事で、運動は大嫌いなのでね。付けが出てきました。

生活改善が必要だ!

とりあえず仕事は早く切りあげて、マッサージでもしないとだめだ...。

コメント (4)
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