昨日は息子の学習発表会があり、劇中でティンパニーをたたきました。曲にあわせてうまくたたく姿に彼なりに成長してるなと久しぶりに感じました。
さて、昨日はもう一つ大きなイベントがありました。過去への階段を一気にかけ上ったのです。僕が通っていた小学校が少子化の影響で別の小学校と合併されて、名称が変わるというのです。学校自体は残るのですが名前が変わってしまう。
僕の小学校は東京都区内にあるのですが、ある意味取り残されてしまったような場所のようです。33年の歳月を経て訪れた町並みは新しい店こそあるものの、ほとんどが昔のままでした。
一駅で新宿区内に入る場所なのに・・・
久しぶりに降りた総武線のこの駅は僕が今通っている事業所のある大久保駅の直ぐ隣の駅。大分代わっていたら学校にたどり着けないかなと思いつつ降りた駅は、さすがに改札などが変わってはいるものの、降り立った商店街までは変わっていない様子。逆に○○銀座商店街とついたこの通りがこんなに狭い道だったとは・・・。小学生だった僕には広く見えたようです。同級生の多くがこの商店街に住んでいました。
さすがに33年前だと記憶が、商店街の入り口にある花屋はまだ健在。ここにも同級生がいたはず。そんなことを思いつつ道を歩いていると、かなり距離があったと思った学校にあっと言う間に到着。
昭和に入ってできたこの学校はまさにそのままの名前。
建物は僕が在学中に木造だった校舎一棟を立て直している最中でしたから、それ以外は当時のままのはず。それにしては妙にきれいな印象を受けました。
大事に使われてきたのでしょう。
会場の体育館にはそれぞれの年代の卒業生たちがそれなりに集まっていました。先生たちも。
会場を見渡すと懐かしい顔が、僕の6年生の時の担任の先生が!
当時、今の僕より年上だったから、既に70は軽く越えているはず。杖をついているものの、とても元気な様子。
「先生お久しぶりです。」
僕の胸にかかった名札を手に取ると、直ぐに思い出してくれました。顔を見て直ぐわからなかったのは無理もないでしょう。小学生当時は喘息がひどく休みがちだった僕は小さくてひょろひょろとした少年でしたから、そう言う意味ではすっかり昔の面影はないかと思います。太っているわけではないですよ。元がやせすぎだったので、今は体格も良くなり、背も高いと思って下さい。
逆に大人しかった僕を良く覚えていてくれたことがうれしかったです。まあ、修学良好などでバス酔いで迷惑かけたり、熱だして寝込んだり、休みがちのため勉強が送れて居残り学習したりと、ある意味目立ったのでしょうね。
学校とのお別れ会の後に、同期会があったので、当時の友人には3人ぐらいしか会えなかったのが残念でしたが、楽しいときは過ごせました。
本当に33年以上ぶりにあった友人が一人いましたが、顔を見たと単位お互い思い出しましたからね。その子は小学1,2年の頃同級生でよく遊んだ子でしたが、顔をみたら瞬時に記憶がよみがえりましたよ。見るまで名前すら思い出さなかったでしょうに・・・。
人間の記憶というものは不思議ですね。全く覚えているとは思えないことが、あることをきっかけに、突然よみがえってきます。
そして、一番は当時に作ったタイムカプセルでした。カメラやの息子が同級生にいたので、フィルムのケースが配られ、そこに何かをかいて封印し、10年後?か20年後にあけようと言うことで、先生に預けていたものでした。
33年後に封印が解かれたのです!
セロテープでグルグル巻きにしてありましたが、茶褐色に変色したそれはボロボロととれてしまいます。表面に漢字で書かれた僕の名前・・・。
そして、フィルムのキャップをあけて出てきたものは!!・・・?
「未来の僕へ・・・・」
と書かれた文章が出てくると思っていたのですが、そこから出てきたものは一体?
小さく折り畳まれた茶褐色の藁半紙と白い紙が2枚でした。さすがはフィルムケースです。紙は全く傷んでいません。33年の時を経て出てきたのはつい昨日入れたような紙でした。
藁半紙は当時の同級生の名簿でした。そして、白い紙の一つは学校の配置図と、教室の様子。もう一つはそれぞれの学年で担任の先生だった人たちの名前、そして家から学校までの手書きの地図。裏には「しゅみ」とかかれていて、凧、エレクトロニクス、工作と書かれていました。下には凧の絵が三つ。先生が凧づくりの名人だったので、影響されていました。それにゲイラカイトの絵も描かれていました。当時はやり始めた頃でしたから。
そして一番驚いたことは!!
そこに書かれている字。そう字体です。はっきり言って今書いている僕の文字とほとんど変わりません。
小学生以来進歩していないのだな・・・。笑っちゃいました。
趣味に今は音楽が加わっているにしても、基本は変わらないのだな。
小学生の夢は今も続く?
もう少しいろいろな人と再会したかったのですが、やはり元の場所に住んでいる人は僕を含めてほとんどいないんですね。昔から地元に住んでいた人たち以外は、ほとんど都営住宅や、都営アパートに住んでいたので、引っ越ししてしまったようです。
一人だけ現在フィリピンに住んでいる同級生がいました。残念ながら最後の方に来たのでほとんど話はできませんでしたが・・・。今も独身のようで、名刺をもらいましたが、かみさんが言うにはマニラの結構有名な場所のようです。
会えませんでしたが名字が外国人になっている女の子もいましたから、みんなそれぞれいろいろな人生を歩んでいるようです。
昨夜は普段刺激されない記憶野が興奮したようで、寝付けませんでした。
今回会えなかった人たちにあって見たいな。
♪窓を開けば 光よ風よ
空はどこまで 広いやら
・・・・・
・・・・・
ふた葉のときから すくすくのびた
昭和の我ら ○○の昭和小学校~
ジャン
さて、昨日はもう一つ大きなイベントがありました。過去への階段を一気にかけ上ったのです。僕が通っていた小学校が少子化の影響で別の小学校と合併されて、名称が変わるというのです。学校自体は残るのですが名前が変わってしまう。
僕の小学校は東京都区内にあるのですが、ある意味取り残されてしまったような場所のようです。33年の歳月を経て訪れた町並みは新しい店こそあるものの、ほとんどが昔のままでした。
一駅で新宿区内に入る場所なのに・・・
久しぶりに降りた総武線のこの駅は僕が今通っている事業所のある大久保駅の直ぐ隣の駅。大分代わっていたら学校にたどり着けないかなと思いつつ降りた駅は、さすがに改札などが変わってはいるものの、降り立った商店街までは変わっていない様子。逆に○○銀座商店街とついたこの通りがこんなに狭い道だったとは・・・。小学生だった僕には広く見えたようです。同級生の多くがこの商店街に住んでいました。
さすがに33年前だと記憶が、商店街の入り口にある花屋はまだ健在。ここにも同級生がいたはず。そんなことを思いつつ道を歩いていると、かなり距離があったと思った学校にあっと言う間に到着。
昭和に入ってできたこの学校はまさにそのままの名前。
建物は僕が在学中に木造だった校舎一棟を立て直している最中でしたから、それ以外は当時のままのはず。それにしては妙にきれいな印象を受けました。
大事に使われてきたのでしょう。
会場の体育館にはそれぞれの年代の卒業生たちがそれなりに集まっていました。先生たちも。
会場を見渡すと懐かしい顔が、僕の6年生の時の担任の先生が!
当時、今の僕より年上だったから、既に70は軽く越えているはず。杖をついているものの、とても元気な様子。
「先生お久しぶりです。」
僕の胸にかかった名札を手に取ると、直ぐに思い出してくれました。顔を見て直ぐわからなかったのは無理もないでしょう。小学生当時は喘息がひどく休みがちだった僕は小さくてひょろひょろとした少年でしたから、そう言う意味ではすっかり昔の面影はないかと思います。太っているわけではないですよ。元がやせすぎだったので、今は体格も良くなり、背も高いと思って下さい。
逆に大人しかった僕を良く覚えていてくれたことがうれしかったです。まあ、修学良好などでバス酔いで迷惑かけたり、熱だして寝込んだり、休みがちのため勉強が送れて居残り学習したりと、ある意味目立ったのでしょうね。
学校とのお別れ会の後に、同期会があったので、当時の友人には3人ぐらいしか会えなかったのが残念でしたが、楽しいときは過ごせました。
本当に33年以上ぶりにあった友人が一人いましたが、顔を見たと単位お互い思い出しましたからね。その子は小学1,2年の頃同級生でよく遊んだ子でしたが、顔をみたら瞬時に記憶がよみがえりましたよ。見るまで名前すら思い出さなかったでしょうに・・・。
人間の記憶というものは不思議ですね。全く覚えているとは思えないことが、あることをきっかけに、突然よみがえってきます。
そして、一番は当時に作ったタイムカプセルでした。カメラやの息子が同級生にいたので、フィルムのケースが配られ、そこに何かをかいて封印し、10年後?か20年後にあけようと言うことで、先生に預けていたものでした。
33年後に封印が解かれたのです!
セロテープでグルグル巻きにしてありましたが、茶褐色に変色したそれはボロボロととれてしまいます。表面に漢字で書かれた僕の名前・・・。
そして、フィルムのキャップをあけて出てきたものは!!・・・?
「未来の僕へ・・・・」
と書かれた文章が出てくると思っていたのですが、そこから出てきたものは一体?
小さく折り畳まれた茶褐色の藁半紙と白い紙が2枚でした。さすがはフィルムケースです。紙は全く傷んでいません。33年の時を経て出てきたのはつい昨日入れたような紙でした。
藁半紙は当時の同級生の名簿でした。そして、白い紙の一つは学校の配置図と、教室の様子。もう一つはそれぞれの学年で担任の先生だった人たちの名前、そして家から学校までの手書きの地図。裏には「しゅみ」とかかれていて、凧、エレクトロニクス、工作と書かれていました。下には凧の絵が三つ。先生が凧づくりの名人だったので、影響されていました。それにゲイラカイトの絵も描かれていました。当時はやり始めた頃でしたから。
そして一番驚いたことは!!
そこに書かれている字。そう字体です。はっきり言って今書いている僕の文字とほとんど変わりません。
小学生以来進歩していないのだな・・・。笑っちゃいました。
趣味に今は音楽が加わっているにしても、基本は変わらないのだな。
小学生の夢は今も続く?
もう少しいろいろな人と再会したかったのですが、やはり元の場所に住んでいる人は僕を含めてほとんどいないんですね。昔から地元に住んでいた人たち以外は、ほとんど都営住宅や、都営アパートに住んでいたので、引っ越ししてしまったようです。
一人だけ現在フィリピンに住んでいる同級生がいました。残念ながら最後の方に来たのでほとんど話はできませんでしたが・・・。今も独身のようで、名刺をもらいましたが、かみさんが言うにはマニラの結構有名な場所のようです。
会えませんでしたが名字が外国人になっている女の子もいましたから、みんなそれぞれいろいろな人生を歩んでいるようです。
昨夜は普段刺激されない記憶野が興奮したようで、寝付けませんでした。
今回会えなかった人たちにあって見たいな。
♪窓を開けば 光よ風よ
空はどこまで 広いやら
・・・・・
・・・・・
ふた葉のときから すくすくのびた
昭和の我ら ○○の昭和小学校~
ジャン