こんにちは、酔っぱらいです。
最初に書いておくけど、、、
チャンピオン目指していたとか、そういうレベルのボクサーの話じゃないからね・・・
1987年
今思えばプロボクサーに憧れたのはこの頃くらいからだったか・・
井岡弘樹氏がミニマム級世界王者になった試合をテレビで観ていた。
こんなヒョロヒョロが世界チャンピオン??俺でもなれるんじゃねーの???
いや、絶対なれるよ。
何故そう思ったかは???だが、
まあ、根拠のない自信があったのと無知だったのは事実だな。
同級生のO川君が草加有沢ジムに通っていた。
休み時間に溜まり場になっていた外階段の踊り場で
O川君のジムでの話を熱心に聞いたものだ。
昨日スパーリングやったとか、出欠票の横に体重を書き込むようになったとか
彼の話の中でよく出てきたワードが「飯泉健二」だ。
1987年だと飯泉健二氏は初めて日本タイトルに挑戦した頃だった。
O川君が草加有沢ジムに通っていたころの飯泉健二氏は最も日本タイトルに近く正に絶頂期の頃だろう。
いや、絶頂期と書くと失礼だな。飯泉健二氏はその後、眼疾患により引退勧告を受ける。
チャンピオンに最も近い所に居たにも関わらず、、登っている途中だったわけだ。
・・で、以前書いたが俺はその頃漕艇部に在籍していて草加有沢ジムに入門するのは後のことだ・・・
1989年
夏休みまでは大学進学を考えていた。
予備校の夏期講習なんかにも通ったわけだ。
しかし、その頃の俺はフワフワしてたね~
勉強に身が入らないし、何考えてたんだろう?って今になっても思うよ。
それでも秋に進路を決めた。進路が決まってしまうとやること無いんだよね。
そこで暇だからってわけではないがボクシングジムに通うことにした。
まあ、その頃もね、、根拠のない自信ってのがあって、俺ならこの時点でも余裕でプロテスト受かるって思ってたんだよね。
本当に若いって馬鹿だよね~素晴らしい!!
自宅から一番近いジムが草加有沢ジムだった。
オヤジにボクシングを始めたいと伝えると、まずは見学に行って来いと
草加有沢ジムは自宅からは4駅先にあった。
谷塚駅のホームと同じ高さにありホームからもジム内の様子が何となく見える。
初めてジム内に入ると練習生で賑わっていたから6時ごろだったのだと思う。
ボクシングジムのトレーナーというと丹下段平のイメージしかなかったが
それに近いと言ったら失礼だが俺がイメージしていたトレーナー像に近い人が応対してくれた。
荻野先生だ。
見学させてほしい旨伝えると、そこに座って自由に見ててとベンチを指差した。
ボクシングの試合をテレビで観たことはあっても練習風景を生で見るのは初めてだった。
サンドバックを打つ者、パンチングボールを叩く者、鏡の前でシャドーボクシングをしてる者
1時間ほど見学して入門することに決めた。
最初に応対してくれた荻野先生にその旨伝えると次来るときに持ってくるものを指示された。
トレーニングウェア、底の平らなシューズ、タオル・・・くらいだったかな
この時、ジム内の練習生を見て、、、こいつ等になら余裕で勝てる!って本気で思ってたんだよね。
本当に馬鹿だよね~若いって素晴らしいよね
つづく
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