☆★プロボクサーに憧れて・・・その1 草加有沢ボクシングジムに入門
☆★プロボクサーに憧れて・・・その2 初めてのスパーリング
こんにちは、酔っぱらいです。
今回は私が入門した頃、1989年の草加有沢ボクシングジムの様子を交えて書いていきます。
1989年
初めてスパーリングをやった翌朝、顔面も痛いし頭も痛い。
頭の痛みは深刻だ。脳細胞がかなり破壊されたのだろうな。
夕方までには治まったので練習に行くことにした、
当時まだ高校生だったので夕方17時の練習開始時間に合わせて通っていた。
ジムが練習生で賑わうのは18時以降なので17時だと人が少なく落ち着いて練習できた。
17時に来るメンバーは大体決まっていた。
その中に飯泉健二さんがいた。
頭にタオルを巻いていたか記憶が定かではないがイメージ的にはそのような感じだった。
その頃の飯泉さんは最後の試合から半年以上たち、すでに引退勧告を受けていた。
引退勧告を受けたがカムバックの道を模索していたようで練習は続けていたようだ。
飯泉さんの練習光景で記憶にあるのはサンドバックを叩いているシーンだけだ。
ジムに現れては黙々とサンドバックを打ち続けていた。
ジムで一番大きなサンドバックばかりを打っていた。
眼疾患で引退勧告受けたわけだからスパーリングをやることは無かった。
俺からは畏れ多くて話しかけることはできなかったが、時々飯泉さんから話しかけてくれた。
はっきり覚えているのはバンテージの巻き方だったり、練習方法だったり・・・
試合をするためにアメリカに行こうか考えてるという話もしていた。
それから10年以上(20年?)経ちある日ネットで飯泉さんのことを検索すると戦績が出てきた。
あの時(89年)から9年後の1998年にIBFアジアライト級王座を獲得したようだ。
その試合後に引退を表明とウィキペディアに出ている。
ウィキペディアのそれを目にしたときは大変嬉しかった。
話は変わり・・・
当時の有沢ジムには菊崎英二氏、小山豊氏、平岩伸一郎氏、3人の日本ランカーが在籍していた。
小山豊氏はこの時日本ランカーだったかは記憶が曖昧だが後にランカーになるのは間違いない。
平岩氏は草加有沢ジムで練習していたがアポロジム所属ということになっていた。
どのような理由でそうなっていたかは知らない。
特に印象に残っているのは菊崎英二氏だ。
試合前、減量中の菊崎さんは怖かった。
剃刀のようだったね。
減量はきつそうだった。
試合後にジムに挨拶に来た時にサングラスを取ると瞼が腫れてるのを見た時には驚いたものだ。
試合後のボクサーの顔を見たのは初めてだった。
ランカー以外でも当時、座嘉比さんや中村公一さん、込山さん、康さんが在籍していたのは記憶がある。
皆さん、後に6回戦や8回戦、日本ランカーになった。
まあ、しかし短い間しか有沢ジムで練習してなかった俺が何故こんなに選手の名前とか憶えているのって?
有沢ジムを辞めた後もボクシングマガジンで選手のランキングをチェックしていたからだ。
つづく
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