楽天的な私は、いつもこう思うことにしています。
計画的にすべてを遂行できるにこしたことはないのですが、そうはいかない。人間ですからミスもある。壁にぶち当たる事だって、何かをこなす能力が計画遂行のレベルにまで達していないこともある。ミス以外のことを含めて、すべてを失敗と捕らえることにしています。
その時、補完的な改善措置のみをとると失敗痕は必ず残ります。(革工芸でいうと縫い目が異なるとか、なんとなくバランスがおかしいとかですね。)
なので、古代科学者達がとったアプローチ法を変えるという手法をとるのです。縦のものを横にする。逆さにしてみる。などです。
今回、市川さんがお気に入りのオストリッチの型押し革でトートをつくろうとして、気持ちが入ってしまったかマチの底の切込みを切りすぎてしまいました。
なので、縫い目がマチにくるという先入観を捨て、センターにもってきたのです。
センターラインがくしくもアクセントになっています。のっぺりした印象よりは断然いいと思うのですが皆さんはどうお思いでしょうか?
私は、神が導いてくださったと思うのですがねぇ
計画的にすべてを遂行できるにこしたことはないのですが、そうはいかない。人間ですからミスもある。壁にぶち当たる事だって、何かをこなす能力が計画遂行のレベルにまで達していないこともある。ミス以外のことを含めて、すべてを失敗と捕らえることにしています。
その時、補完的な改善措置のみをとると失敗痕は必ず残ります。(革工芸でいうと縫い目が異なるとか、なんとなくバランスがおかしいとかですね。)
なので、古代科学者達がとったアプローチ法を変えるという手法をとるのです。縦のものを横にする。逆さにしてみる。などです。
今回、市川さんがお気に入りのオストリッチの型押し革でトートをつくろうとして、気持ちが入ってしまったかマチの底の切込みを切りすぎてしまいました。
なので、縫い目がマチにくるという先入観を捨て、センターにもってきたのです。
センターラインがくしくもアクセントになっています。のっぺりした印象よりは断然いいと思うのですが皆さんはどうお思いでしょうか?
私は、神が導いてくださったと思うのですがねぇ