BikeRide&Climbing
クライミングと自転車。
エナジー日記。
・・・飲酒日記と料理の日々・・
 



旧前田公爵邸 ※1




清とした空気感。凛とする。
人よりも建物や展示物がその存在を主張する博物館に通ずる空気感だ。


駒場公園の芝生広場に面した、自然光を取り入れる洋応接間は、外の明るさと、内の静けさのバランスが絶妙である。
ここのソファーも特等席なのだ。
普段はあまり人もこないので、清とした空気をそのまま自分一人で満喫できる空間なのだ。
高い天井。


Mayuは広いフロアでくるくるっと回る。
はは、、♫♪~~

こんなとこで踊れたらたのしいね、。
は、そうかな。

自分はフォトグラファーの端くれだと思っている。
数知れぬ写真をここで撮っている。
モデル撮影が禁止されているこの館内。
素人写真家が無断でモデル撮影(?彼女撮影?)しているのは散見するが

初めて自分もここでモデル撮影してみたいという
創造性がわいてきた。いい画のイメージと作画モチベーション。


半透明のシルクのショールをひらひらと舞わせ、逆光にきらきらと煌めかせるとは。。。
長い指先を優雅に伸ばして
くるくると
金色に輝く髪

自然光でここまでフォトジェニック

レフ二枚でどこまでも表現を掘り下げることができそうだ。

もっと、、、回れまわれ
Mayu



和館にて



※2


※1 明治期には当地一帯には駒場農学校があった。同校はその後東京帝国大学農学部となり、本郷(文京区弥生)へ移転した。跡地には逆にそれまで本郷に屋敷を構えていた旧加賀藩主の前田家が移ってきた。第16代当主である侯爵・前田利為の駒場本邸として、1929年(昭和4年)には洋館が、1930年(昭和5年)には和館がそれぞれ竣工した。1942年(昭和17年)に前田利為が事故死すると邸宅は他人の手に渡り、一時期は中島飛行機の本社がおかれた。

敗戦後は米軍に接収され、接収が解除される1957年(昭和32年)までの12年間は連合軍極東軍司令官の官邸などとして使用された。

その後、1964年(昭和39年)に東京都の所有となる。邸地は公園として整備されて1967年(昭和42年)に東京都立駒場公園として開園、1975年(昭和50年)に目黒区に移管にされた。洋館は1967年に東京都近代文学博物館として開館したが、2002年(平成14年)3月に閉館。また、公園の開設された1967年に公園の一角に日本近代文学館が開設され、日本の近代文学に関する資料が閲覧できる(有料)。

前田利為の本邸として1929年(昭和4年)に竣工。設計は東京帝国大学の塚本靖教授に依頼され、宮内省内匠寮の高橋禎太郎が実際の設計を担当した。

建築様式はイギリス・チューダー様式で、玄関ポーチの扁平アーチにもその特徴が見られる。震災後の設計であるため鉄筋コンクリート造とし、外壁を当時流行していたスクラッチタイルで仕上げている。内部はイタリア産大理石のマントルピースや柱、フランスの絹織物、イギリス製の家具などが配されている。完成当時は古今東西の美術品で飾り立てられ、個人の邸宅としては東洋一と評されたという。

※2 接客用に用いられた書院造の日本建築。1930年(昭和5年)竣工。設計は帝室技芸員・佐々木岩次郎。ロンドン駐在武官であった前田利為が海外からの賓客を接待するために建てたとされ、違い棚や欄間の透し彫など日本建築の粋を集めている。

現在は一部が一般公開されているほか、有料で茶室などして使用されている。





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