もう何年前になるだろう。学生時代の夏休み、神戸のデパートでアルバイトをしていた。お中元シーズンの戦力強化という名目で、贈答品を扱ったコーナーへ配置された。毎日毎日、定例の作業をする以外は、お客さまがいらっしゃるまで、じっと前を見つめて立っているのである。向かい側には、同じようなコーナーがあり、やはりそこからこちらを見つめて立っている青年がいた。美しい顔立ちの人だった。それぞれのパーツが優しすぎて、女性的な趣きも感じないではなかったが、ちょっと切ない表情がステキで、もう一人バイト青年がいたのに彼ばかり見ていた。
お昼どきや、軽い休憩時間に、何度か一緒になった。私が持ち場を離れようとすると、もう一人のバイトくんが彼を小突き、後を追うようにやってくるのである。しかし、そこでべったりと話し込むかといえば、そうではない。「仕事は慣れた?」とか「今日は忙しそうだね。」とか、二言三言話して終わり。休憩先へ向かうまでのわずかな間にだけ、そうした他愛もない会話が、やり取りされた。
今日でバイトが終わるという日、閉店後に形ばかりの慰労会があり、その後は各自解散となった。ごく自然に駅までの道をたどり、いよいよここでお別れという所へきた。それまでの幸福感に、終わりを告げる瞬間。’もうちょっと一緒にいたいな♪’そう思った。彼も、「さよなら。」 とは言わなかった。しばらく立ち話を続け、そのうち「お腹が空いたね。食事でも・・・」ということになった。
幸福感が持続するのは嬉しかったが、いざ二人で食事という段になると、別の問題がでてきた。緊張して喉を通らない。それどころか吐きそう。男性と向かい合わせで食事をするのは、初めてだったのである。女子校だった上、それまでお付き合いした事もなく、若い男性という存在に全く慣れていなかった。おまけに好意を抱いている人。でもってイケメン。辛かった記憶の方が強い。
さて今度こそ駅で別れるという時、まだ離れたくない二人は、やはりそこで立ち止まっていた。改札を抜けて彼は上りホームへ、私は下りホームへ、階段を昇らなければならない。しばらくして彼は、やっと意を決したように「じゃあ、これで。 おやすみ。」と言って、ポケットから折りたたんだ紙片を取り出し、私に渡した。電車へ乗ってから広げてみると、名前と住所と、電話番号が書かれていた。
とっても嬉しかったのに、恥ずかしくて電話がかけられなかった。だから、まず手紙を出した。ほどなく返事がきた。こうして文通が始まった。彼がK大の学生である事は、バイト中から明らかだったが、手紙をやり取りするうち、富山出身で下宿している事、ソフトボールのサークルでピッチャーをやっている事を知った。誠実で静かな物腰。申し分のない人だった。何より、私の事を「めっちゃ可愛い。」と言ってくれたのである。こんな十人並みの容姿の私に。「前から見ても後から見ても、可愛いなぁ~」って。
最初は、ウキウキして手紙をやり取りしていた。が、そのうち文通している事に気づいた親が、私の机をあさってこっそり内容を確認していたのを知り、一気に気持ちが冷めた。ある程度の事情は話してあったのに、そういう姑息な事をされたのが、どうにも腹立たしかったのである。もういいと思った。それから破壊工作が始まった・・・。わざと嫌われるような事を書く。私ってこんな人。自分の醜い面を、ことさらに強調した。「そんな事ない。」 とフォローしてくれたにもかかわらず、「あなたに何がわかるの。」と返した。「本当に私を好きって言える?」これでも!これでも!これでも!自分で自分を傷つけ続けた。そうして、そのうち手紙はこなくなった・・・。
あんなにも無邪気に支持してくれた人を、私はこうして失った。しかし、悲しいという気持ちを通り越して、どこかほっとした部分もあった。私を一番愛しているのは私。私をだれにも渡さない。こんな自己愛の強い人間は、始めから人を好きになってはいけなかったのである。親の所為だけで、破壊工作へ走った訳ではなかったのだろう。
今も相変わらず自己愛が強く、そのクセ人一倍愛を乞う。積んで崩して、崩して積んで。その繰り返し。未練というのではないけれど、もしあの時、彼にきちんと向き合っていたら、その後の人生はどう変わっていただろうか、と思う時がある。一本の電話で、それができたのではないかと。振り回してゴメンね。傷つけてゴメンね。ちゃんと愛し通せなくてゴメンね。あの頃の苦い思いは、今も私の胸の奥底に沈んでいる。が、その周りを包んでいるのは、初恋の温かな感触。
君といた夏。 私は、確かに幸福でした。
お昼どきや、軽い休憩時間に、何度か一緒になった。私が持ち場を離れようとすると、もう一人のバイトくんが彼を小突き、後を追うようにやってくるのである。しかし、そこでべったりと話し込むかといえば、そうではない。「仕事は慣れた?」とか「今日は忙しそうだね。」とか、二言三言話して終わり。休憩先へ向かうまでのわずかな間にだけ、そうした他愛もない会話が、やり取りされた。
今日でバイトが終わるという日、閉店後に形ばかりの慰労会があり、その後は各自解散となった。ごく自然に駅までの道をたどり、いよいよここでお別れという所へきた。それまでの幸福感に、終わりを告げる瞬間。’もうちょっと一緒にいたいな♪’そう思った。彼も、「さよなら。」 とは言わなかった。しばらく立ち話を続け、そのうち「お腹が空いたね。食事でも・・・」ということになった。
幸福感が持続するのは嬉しかったが、いざ二人で食事という段になると、別の問題がでてきた。緊張して喉を通らない。それどころか吐きそう。男性と向かい合わせで食事をするのは、初めてだったのである。女子校だった上、それまでお付き合いした事もなく、若い男性という存在に全く慣れていなかった。おまけに好意を抱いている人。でもってイケメン。辛かった記憶の方が強い。
さて今度こそ駅で別れるという時、まだ離れたくない二人は、やはりそこで立ち止まっていた。改札を抜けて彼は上りホームへ、私は下りホームへ、階段を昇らなければならない。しばらくして彼は、やっと意を決したように「じゃあ、これで。 おやすみ。」と言って、ポケットから折りたたんだ紙片を取り出し、私に渡した。電車へ乗ってから広げてみると、名前と住所と、電話番号が書かれていた。
とっても嬉しかったのに、恥ずかしくて電話がかけられなかった。だから、まず手紙を出した。ほどなく返事がきた。こうして文通が始まった。彼がK大の学生である事は、バイト中から明らかだったが、手紙をやり取りするうち、富山出身で下宿している事、ソフトボールのサークルでピッチャーをやっている事を知った。誠実で静かな物腰。申し分のない人だった。何より、私の事を「めっちゃ可愛い。」と言ってくれたのである。こんな十人並みの容姿の私に。「前から見ても後から見ても、可愛いなぁ~」って。
最初は、ウキウキして手紙をやり取りしていた。が、そのうち文通している事に気づいた親が、私の机をあさってこっそり内容を確認していたのを知り、一気に気持ちが冷めた。ある程度の事情は話してあったのに、そういう姑息な事をされたのが、どうにも腹立たしかったのである。もういいと思った。それから破壊工作が始まった・・・。わざと嫌われるような事を書く。私ってこんな人。自分の醜い面を、ことさらに強調した。「そんな事ない。」 とフォローしてくれたにもかかわらず、「あなたに何がわかるの。」と返した。「本当に私を好きって言える?」これでも!これでも!これでも!自分で自分を傷つけ続けた。そうして、そのうち手紙はこなくなった・・・。
あんなにも無邪気に支持してくれた人を、私はこうして失った。しかし、悲しいという気持ちを通り越して、どこかほっとした部分もあった。私を一番愛しているのは私。私をだれにも渡さない。こんな自己愛の強い人間は、始めから人を好きになってはいけなかったのである。親の所為だけで、破壊工作へ走った訳ではなかったのだろう。
今も相変わらず自己愛が強く、そのクセ人一倍愛を乞う。積んで崩して、崩して積んで。その繰り返し。未練というのではないけれど、もしあの時、彼にきちんと向き合っていたら、その後の人生はどう変わっていただろうか、と思う時がある。一本の電話で、それができたのではないかと。振り回してゴメンね。傷つけてゴメンね。ちゃんと愛し通せなくてゴメンね。あの頃の苦い思いは、今も私の胸の奥底に沈んでいる。が、その周りを包んでいるのは、初恋の温かな感触。
君といた夏。 私は、確かに幸福でした。