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JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

君といた夏

2007年08月21日 04時17分00秒 | 恋バナ
 もう何年前になるだろう。学生時代の夏休み、神戸のデパートでアルバイトをしていた。お中元シーズンの戦力強化という名目で、贈答品を扱ったコーナーへ配置された。毎日毎日、定例の作業をする以外は、お客さまがいらっしゃるまで、じっと前を見つめて立っているのである。向かい側には、同じようなコーナーがあり、やはりそこからこちらを見つめて立っている青年がいた。美しい顔立ちの人だった。それぞれのパーツが優しすぎて、女性的な趣きも感じないではなかったが、ちょっと切ない表情がステキで、もう一人バイト青年がいたのに彼ばかり見ていた。

 お昼どきや、軽い休憩時間に、何度か一緒になった。私が持ち場を離れようとすると、もう一人のバイトくんが彼を小突き、後を追うようにやってくるのである。しかし、そこでべったりと話し込むかといえば、そうではない。「仕事は慣れた?」とか「今日は忙しそうだね。」とか、二言三言話して終わり。休憩先へ向かうまでのわずかな間にだけ、そうした他愛もない会話が、やり取りされた。

 今日でバイトが終わるという日、閉店後に形ばかりの慰労会があり、その後は各自解散となった。ごく自然に駅までの道をたどり、いよいよここでお別れという所へきた。それまでの幸福感に、終わりを告げる瞬間。’もうちょっと一緒にいたいな♪’そう思った。彼も、「さよなら。」 とは言わなかった。しばらく立ち話を続け、そのうち「お腹が空いたね。食事でも・・・」ということになった。

 幸福感が持続するのは嬉しかったが、いざ二人で食事という段になると、別の問題がでてきた。緊張して喉を通らない。それどころか吐きそう。男性と向かい合わせで食事をするのは、初めてだったのである。女子校だった上、それまでお付き合いした事もなく、若い男性という存在に全く慣れていなかった。おまけに好意を抱いている人。でもってイケメン。辛かった記憶の方が強い。

 さて今度こそ駅で別れるという時、まだ離れたくない二人は、やはりそこで立ち止まっていた。改札を抜けて彼は上りホームへ、私は下りホームへ、階段を昇らなければならない。しばらくして彼は、やっと意を決したように「じゃあ、これで。 おやすみ。」と言って、ポケットから折りたたんだ紙片を取り出し、私に渡した。電車へ乗ってから広げてみると、名前と住所と、電話番号が書かれていた。

 とっても嬉しかったのに、恥ずかしくて電話がかけられなかった。だから、まず手紙を出した。ほどなく返事がきた。こうして文通が始まった。彼がK大の学生である事は、バイト中から明らかだったが、手紙をやり取りするうち、富山出身で下宿している事、ソフトボールのサークルでピッチャーをやっている事を知った。誠実で静かな物腰。申し分のない人だった。何より、私の事を「めっちゃ可愛い。」と言ってくれたのである。こんな十人並みの容姿の私に。「前から見ても後から見ても、可愛いなぁ~」って。

 最初は、ウキウキして手紙をやり取りしていた。が、そのうち文通している事に気づいた親が、私の机をあさってこっそり内容を確認していたのを知り、一気に気持ちが冷めた。ある程度の事情は話してあったのに、そういう姑息な事をされたのが、どうにも腹立たしかったのである。もういいと思った。それから破壊工作が始まった・・・。わざと嫌われるような事を書く。私ってこんな人。自分の醜い面を、ことさらに強調した。「そんな事ない。」 とフォローしてくれたにもかかわらず、「あなたに何がわかるの。」と返した。「本当に私を好きって言える?」これでも!これでも!これでも!自分で自分を傷つけ続けた。そうして、そのうち手紙はこなくなった・・・。

 あんなにも無邪気に支持してくれた人を、私はこうして失った。しかし、悲しいという気持ちを通り越して、どこかほっとした部分もあった。私を一番愛しているのは私。私をだれにも渡さない。こんな自己愛の強い人間は、始めから人を好きになってはいけなかったのである。親の所為だけで、破壊工作へ走った訳ではなかったのだろう。

 今も相変わらず自己愛が強く、そのクセ人一倍愛を乞う。積んで崩して、崩して積んで。その繰り返し。未練というのではないけれど、もしあの時、彼にきちんと向き合っていたら、その後の人生はどう変わっていただろうか、と思う時がある。一本の電話で、それができたのではないかと。振り回してゴメンね。傷つけてゴメンね。ちゃんと愛し通せなくてゴメンね。あの頃の苦い思いは、今も私の胸の奥底に沈んでいる。が、その周りを包んでいるのは、初恋の温かな感触。

 君といた夏。 私は、確かに幸福でした。


もう笑うしかない

2007年06月03日 16時53分00秒 | 恋バナ
 平松愛理の歌で、『もう笑うしかない』というのがあった。私の淡い恋心は、往々にして、このタイトル通りの結果をたどる。

 学生の頃、私を好きになってくれた人がいた。こちらも好意を持っていたので、大変嬉しくウキウキしていたのだが、文通しているのに気づいた親が、机をあさってこっそり内容確認していた事を知り、急に嫌になった。そこからは、破壊工作である。’私はあなたが思っているような人間じゃない’と、自分をおとしめおとしめ・・・「そんなことないよ」と言ってくれたにも関わらず、その破壊工作は続き、挙句相手まで責め始め、そのうち手紙も来なくなった。彼は何も悪くなかった。ただ、私を好きになってくれただけ。その彼を酷く傷つけて、その恋は終わった。

 社会人の頃、やたらと私の前をウロチョロする男性がいたので、「気があるのかな?」と、ドキドキして構えていたら、私と仲の良いA子ちゃん目当てだった。こういう事がままある。自意識過剰気味なのだ。が、それと共に ’ったく紛らわしいじゃないの!A子ちゃん目当てなら、頭の上にそう書いた看板でもかかげとけ!’とも思った。本命をわざと避け、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’に接近するというのは、男性によく見受けられる現象のような気がする。恥ずかしいのだか何だか知らないが、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’には、いい迷惑である。『トムソーヤの冒険』でも、本命をはずして周囲をつつくといった行為が出てくるので、案外昔からの常套手段なのかもしれない。本命にそうそう成り得ない人間としては、何だか納得いかない。

 好きな先輩がいた。ちょっと頑なで変わり者だったが、仕事ができる人だった。みんなに愛されるタイプではなかったので、取り巻きは少なく孤独な人だったが、私は彼の良さを理解していたので、近くにいて可愛がってもらっていた。どう考えても、先輩後輩以上の距離感だったのだ。その先輩に、いざという時「好きだけど愛してない」と言われた。それってヒドくない?男性心理としては図星なんでしょうけど。そのまんま過ぎて、あたしゃその場で倒れこみそうだったよ。これは、未だに私の心に、深く突き刺さる名言である。そしておそらく ’私’ というキャラクターを、端的に表している言葉でもある。所詮そういうポジションよ。悪かったな!

 好きな上司がいた。コワモテのお顔に似合わずお優しい方で、女性社員の中でも人気が高かった。当然、彼女たちに声をかけて飲みに行かれる事も多く、私もその恩恵にあずかっていた。出来の悪い私でも、数少ない長所をわかってくださる方で、本当に心の底から、お慕い申し上げていた。ある時、ごく内輪の宴会に顔を出していたら、同様にそこへ出席していたアネゴが、「この間、電車でお見かけしましたよ。お子さんと一緒だったでしょう?」と、その上司に向かって言った。ちなみに彼は独身者である。ただし、彼女がいるらしいという事は知られていた。衝撃の事実だったので、悲しくてトイレでひっそり泣いた。個人的にお付き合いしていた訳ではなく、私がどうこういう立場でもないのに。

 やっと、両思いになれた人がいた。と思ったら、付き合い始めて1ヶ月くらいで故郷へ帰ってしまった。コンチクショウ!

 奥さんのいる人を好きになった。それまでの人生の中で、一番気の合う仲間だった。’こんな人、もう現れないかも知れない。 大切にしなきゃ’ と思っていたのに、彼への気持ちがどんどん膨らみ、いらぬ告白をしてしまった。 相手はびっくりである。略奪する気なんて、全くなかった。ただ、本当の気持ちを押し隠して、ざっくばらんな友人関係を続けるのも、辛かったのだ。彼のちょっとした態度で、感情が激しく揺れた。が、告白した事で、雲行きが怪しくなった。友人関係までもが崩れ始めた。後は例の如く・・・ である。あの時の途方もない喪失感は、今も私の心のどこかに、ひっかかっている。『ハートブレイクなんて、へっちゃら』という小説は、片岡義男だったかな。そう言える時が来るのだろうか。これから先も・・・

 付き合い始めて1ヶ月で去っていった彼と、交際を続ける事になった。神戸と名古屋。電話は週に1度、デートは月に1度。そんな中で、お互いの気持ちを、ゆっくりゆっくり積み上げていった。この時の彼が、今の夫となる。息子に、この話をしたら「ツラッ!ありえね~」と言うので、’さては息子も人の心の機微がわかる年齢に・・・’ とニヤついていたら、「デート代、むちゃかかるしさ~」ときた。なぁ~んだ。 金銭問題かいっ!

 私が恋した人、元気かな。幸せに暮らしてるかな・・・遠い日を振り返りながら、そんな事を思ってみる。