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実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

いよいよ窯入れで~す!!(らく焼体験工房・翠雲窯)

2013年09月19日 | 日記

隊員NO.4まこで~す 

9月17日(火)の課題研究の時間、先週に引き続いて、大聖寺下屋敷町の

らくやき体験工房 翠雲窯」にお伺いし、隊員7人全員でらく焼に挑戦しました。

翠雲窯」のご主人・荒木実さんに教えていただきながら、今週はいよいよ

窯入れです。とてもワクワクした気分になりました。

この日は台風18号も過ぎ去り、台風一過の素晴らしい秋晴れになりました。

この日の朝7時から、荒木さんはわたしたちのために、先週わたしたちが作った

作品を素焼きして下さったそうです。素焼きの時間は約1時間半ですが、素焼きを

する前に、窯を焚き、窯の温度を800度に安定させなければなりませんから、

約3時間の時間がかかったそうです。

素焼きを終わった作品は、わたしたちが思っていた以上に、よい出来に仕上がって

いました。さぁ、上塗りの開始です。

荒木さんは、とっても丁寧に、釉薬のかけ方や絵付けの仕方について説明して

下さいました。釉薬の種類は全部で16種類。無鉛のものには、紺・緑・青・空・紫・

透明・黒・黄・赤・白が、有鉛には三彩飴・飴黒・飴・黄・濃緑・透明の色がありました。

釉薬は「どぶ付け」しました。これはバケツに入った一つの色をどぶんとつける方法です。

1,2,3と数えながらつけます。「あまりつけすぎないほうがいいよ!」と荒木さんは

アドバイスしてくださいました。その他にも濃い色をつけたあと、薄い色をつける方法や

「吹きかけ」などについても教わりました。

NO.1いぶとNO.2ゆきちは、絵付けにチャレンジです。「陶芸本焼き絵の具」を

荒木さんに用意していただき、時間をかけて色づけをしました。

どんな絵に仕上がるのでしょうか?

わたしたちがワイワイと作業をしている間に、荒木さんは本焼きの準備をされています。

窯の温度計の数字は、約850度。近くによると、顔が熱くなる温度です。

いよいよ本焼きです。わたしたちの作品はどんな風に仕上がるのでしょうか?

完成した作品については、明日のブログでご報告させていただきますので、お楽しみに!

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「北前船」を決める3つの定義

2013年09月18日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里で、

講師の見附裕史先生から「北前船とは何か?」について、「北前船」を

北前船」と決める3つの定義をもとにお話しいただきました。

その3つとは、北前船」という商売をする船を決める絶対不可欠の要件

ともいえるもので、航路、②経営形態、③船籍のことです

まずは、「航路」です。北前船は大坂を基地として、瀬戸内海から赤間関

(今の下関)を通り、日本海の各港をへて北海道を往復する西廻り航路を主としました。

なかには国後島や択捉島で鮭・鱒を獲り、太平洋側を通って帰る船もありましたが、

一般には西廻りがほとんどでした。とくに加賀の船主たちには冬の間、船を囲っておく

良い港がなかったこともあって、商品を仕入れることの多い大坂を出発点にしていたようです。

次は「経営形態」です。北前船」は「菱垣廻船」や「樽廻船」とはまったく違う経営の形を

とっていました。「菱垣廻船」・「樽廻船」は賃積船(運賃船)といって、船主≠荷主であり、

船主は荷主から運賃をもらって商売をする船でした。それに対して「北前船」は

買積船といって、船主=荷主で、船主が商品をいろんな所で売買し、仕入れ値と売値の差

(利ざや)を稼ぐ形態をとっていました。ですから、「菱垣廻船」・「樽廻船」と違って、

儲かるときにはまるでばくちのように莫大な利益が出ました。反対にいったん時化にでも

あって、船が沈もうものなら、一瞬にしてすべての荷物も失い、とんでもない大損をする

命がけの商売でもあったのです。

三つ目は「船籍」です。見附先生は「これこそが北前船を定義づける上で、とても重要な点

なんですよ!」って、説明されていました。

江戸時代後期に活躍した高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ、1769~1827年)という有名な

廻船業者・海商がいました。かれも「北前船」と同じ西廻り航路を使い、買積船の形態で

成功した人物です。ですが彼の船はけっして「北前船」と呼ばないのです。なぜかといえば、

彼が淡路島の出身で、船籍が「北前」(日本海沿岸)ではないからです。

それでは、高田屋嘉兵衛の船のような「北前」以外の船籍の船を何といったかというと、

大坂では「北廻地船(きたまわりじぶね)」と呼んでいたようです。1838(天保9)年の史料

『日本船見細見記(にほんふなじほそみのき)』によると、大坂にやってくるいろんな船の

船着場所はちゃんと決められていて、「北前船」は難波に、「北廻地船」は

”まえだれしまへん”という場所に係留することが定められていました。ですからこの史料に

よっても、大坂の人は江戸時代北前船」と北廻地船」は別物であると考えていたことが

分かるのです。

以上のことをまとめると、「北前船」は、

江戸中期から明治末期にかけて、大阪を起点に、日本海を抜け北海道までを往来した

買積み形式の廻船で、北陸を中心とした人々の持ち船もしくはその商いの形態。

と説明することができます。

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北前船・「北前」の意味を知る決定的史料

2013年09月17日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里で、

講師の江沼地方史研究会・見附裕史先生から教えていただいたことを

レポートさせていただいてます。

北前船の「北前」という意味をみなさんはご存じですか?

従来「北前船」とは、①北を前にして進んだから、②北海道松前から来る船だから、

③北回り船の呼び名が変わっった、④北の米(きたのまい)が変わった、などを理由に

名付けられたと考えられてきました。しかし、さまざまな研究の成果によって

これらの説は覆されることになりました。そして北前船の「北前」という名前の本当の

意味を知る決定打となる史料が発見されたのです。それが1579(天正7)年に安芸

(いまの広島県)の武将吉川元春(きっかわもとはる、毛利元就の次男)らが厳島神社に

あげた戦勝祈願文です。

「敬白 願書  厳島爾大明神 御宝前

右意趣者 今度北前之弓矢於任本意者 一所可寄進者也 仍願文件如

天正七年十二月十四日 元春 元棟 経言 元長」

この史料には、「今度北前と弓矢を交わすが、神のお力により、われわれの思い通り

勝利することができたら、神社に捧げものをいたします」という意味のことが書かれて

います。また、この年、吉川元春が「北前」という地域の武将と戦をしたことも分かります。

ですから、このときに吉川元春が誰と戦ったかを調べれば、北前」とはどの地域をさす

のかが特定できるのです。そして研究により、このとき吉川元春らが戦った相手が

因幡・伯耆(いまの鳥取県)一帯を支配し、織田信長側についていた南条元続らで

あったことがわかりました。そのことから、その当時、瀬戸内地方に住む人たちが

北前」という名前で、日本海側の地域を呼んでいたことがはっきりしたのです。

またその後の調査で、この史料と同じような意味で、瀬戸内地方の人が日本海側の

地域のことを「北前」とあらわしているものがたくさん見つかったそうです。

これらのことから、「北前船」という呼び名はもともと、日本海側の船が瀬戸内や大坂港に

入港した時、その土地の人びとがその船をさして呼んだ名前であったとする説が定着しました。

そしてもともと瀬戸内・阪神地方で、日本海側の陸地をさす語だった「北前」が、海をもふくめる

意味に拡大解釈されていったことも分かってきました。

ちなみに、瀬戸内地方の人々は、京・大坂のことを「上口」、九州地方を「下口」、四国の

太平洋岸の地方を「東前」と呼んでいたようです。

以上のことから、北前船」とは、北国の船主の持ち船で、日本海側から下関を回って大坂など

にくる船をさす瀬戸内や阪神地方の呼び名といえるのです。

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旧北前船主邸の壁板に穴がたくさんある理由

2013年09月16日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

9月12日(木)の加賀市観光ボランティア大学第11回講座

日本一の富豪村・北前の里-北前船主の粋な生き方-」で講師の

江沼地方史研究会・見附裕史先生から教えていただいたことをレポートしています。

現在「北前船の里資料館」となっている建物は旧北前船主・酒谷邸です。

酒谷家は、江戸時代後期から海運業を営み、橋立では西出・久保・増田家などに

次ぐ大船主の家柄でした。1888(明治20)年の小松税務所管内での所得調べでは、

酒谷家の年間納税額が3,317円となっていて、とんでもないお金持ちだったようです。

ところで、今の橋立町には、旧北前船主の邸宅が酒谷家のものも含め、たくさん

残っているのですが、不思議とどの家の壁板にも無数の穴が開いています。

みんなとっても豪邸ばかりなのに、なんで壁板に穴が開いているのでしょうか?

その答えを見附先生が教えてくださいました。

橋立町の旧北前船主邸には、もともと北前船の船底に使われていた「虫食い板」と呼ばれる

板が使われていたからです。木造船の船底には、船喰虫(フナクイムシ)という二枚貝の仲間

が寄生し、巣を作るために、無数の穴が開けられるそうです。船喰虫はゴカイに小さな殻を

つけたような姿をしていて、その固い殻で木に穴を開けます。そしてできた穴の内側に

薄い石灰質の膜を貼り付けて巣を作るのです。「板子一枚下は地獄」の北前船にとって、

その船喰虫が開ける穴は最大の敵でした。そこで毎年航海が終わったあとには、

必ず「たで場」という所で、船の底を外から火であぶって、船喰虫を殺したり、船板にしみ込んだ

水分を除いたりする作業をしたそうです。そして船喰虫はなぜか板を二枚重ねると、外側にだけ

穴を作る習性があります。そこで北前船では、船を守るために板を二枚重ねにして、「包み板」と

して使った外側の板を定期的に取り替えたのです。そしてこのときに取り外した虫食い板」を、

塩水に強く風にも強い性質をもっていたため、海に近い橋立町の家の板塀として再利用したのです。

なお、現在トンネルをつくるときに使われている「シールド工法」というのは、木材の虫害について

研究していたイギリスのエンジニア・マーク=ブルネルが、船喰虫の習性をヒントに編み出した

のだそうですよ。おもしろいですね!

明日も「北前船」のレポートをさせていただきますので、よろしくお願いします!!

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「北前船の里資料館」(加賀橋立町)建設の経緯

2013年09月15日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

 

9月12日(木)に加賀市民会館で行われた加賀市観光ボランティア大学

第11回講座日本一の富豪村・北前の里-北前船主の粋な生き方-」に参加しました。

今回の講師は江沼地方史研究会・見附裕史先生です。

先生は最初に1983(昭和58年)10月にオープンした「北前船の里資料館」建設の経緯

について話してくださいました。

 

北前船の里資料館」誕生のキッカケは、なんと橋立町で起こった台風並の突風による

土塀の倒壊と、度重なる土蔵破り被害だったのだそうです。

1981(昭和56)年12月に橋立町を突風が襲い、旧酒谷家(現北前船の里資料館)の

とても立派な土塀が約60mにわたり倒壊し、近隣の民家にも被害が及ぶ大騒ぎとなりました。

また、この頃橋立にある旧北前船の家が次々と土蔵破りの被害に遭うという事件も

起こっていました。普通土蔵に穴を開けても、つぎつぎとジャリが落ちてきて、簡単には

侵入できないものだそうですが、旧北前船主のお宝欲しさに、泥棒は何日もかけて

品物を盗み取っていったそうです。そのような状況の中で、地元橋立の皆さん

「このままではいけない!歴史的価値のある旧北前船の家を保存したい」と加賀市に

陳情され、加賀市が旧酒谷家の建物の調査を始めたのです。

調査には文化財保護に理解のあった当時の山下力加賀市長とともに、加賀市教委の職員で

あった今回講師の見附先生も同行されました。酒谷家の子孫にあたる女性は東京に

居住されており、建物は空き家状態でした。中庭は雑草が伸び放題でヘビがいっぱい、

建物の中も雨漏り・ネズミの被害・強風による砂の進入などで、悪く言えばバタバタの状態

だったそうです。しかし、この住居を調査すると、旧酒谷家の建物のすばらしさがすぐに

分かったそうです。ケヤキの8寸角の柱、巨大な松でできた立派な梁、秋田杉でできた

正面大戸の一枚板。これらの材木にはすべて6回も7回も漆が塗られており、光沢が

放たれていました。1872(明治5)年、当時の酒谷家当主の長兵衛さんが財力にものを

いわせて、凝りに凝ってつくった素晴らしい建物の価値が分かり、見附先生は「なんとか

しなければ」と思われたそうです。

加賀市はこの旧酒谷家を5,000万円で購入し、リニューアルに5,000万円を計上する計画を

立てました。でも加賀市の財政担当者や一部市議会議員さんからは猛反対があったといいます。

橋立に資料館を作ったって、だれも観光になんか来ない。もし、目標入館者数の年3,000

入館したら、逆立ちして市庁舎を歩いたっていい!」なんて声もあったそうですよ。

しかし奇跡が起きました。

昭和5810月、北前船研究家・故牧野隆信先生(元大聖寺高校長)が記念講演をおこなって

オープンした北前船の里資料館」にたった2ヵ月で6,000人もの入館者が訪れたのです。

そして昭和61年には、なんと年間7万人もの人々が北前船に興味を持って、入館されました。

実はこの年に7万人もの入館者があったのには裏話もあるそうです。当時、皇太子の浩宮様には

ご成婚の噂があって、女性週刊誌がよく記事にしていましたが、その浩宮様がちょうどこの年に

北前船の里資料館」にご来館されたのです。すると、そのことが記事になって、多くの週刊誌が

資料館のことを紹介したのです。市役所には、「北前船の里資料館って、どこにあるのか?」という

問い合わせがいっぱいきたそうですよ。

資料館建設を担当された見附先生が、館内を「船主の生活館」「衣装館」「船絵馬館」「引札館」

「ビデオ館」「古文書館」などに分け、工夫されたことも当然、入館者数アップにつながったと思います。

今年、開館30周年を迎えた北前船の里資料館」には、今も約2万人もの方が来館されています。

皆さんも一度北前船の里資料館」を訪れて、北前船の歴史を学び、旧北前船主の華やかな生活

ぶりを感じてみませんか?

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「北前船」の勉強です!(加賀市観光ボランティア大学)

2013年09月14日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

 

9月12日(木)19時30分から、加賀市民会館で加賀市観光ボランティア大学

第11回講座が開かれました。今回のテーマは日本一の富豪村・北前の里

-北前船主の粋な生き方-」です。講師の江沼地方史研究会・見附裕史先生には、

パワーポイントを使いながら、とってもわかりやすい解説をしていただきました。

見附先生は加賀市教育委員会の職員をされていた頃から、ずっと北前船研究

にかかわっておいでた方で、今では北前船研究のための全国ネットワークの中心的

な役割を果たしておいでます。

今回、見附先生には、北前船の歴史について、

北前船の里資料館建設の経緯」・北前船の知識(入門編)」・

大聖寺川水力発電所のこと」・「日本一の富豪村(博文館発行『生活』)」の四点に

スポットを絞って、お話をしていただきました。

わたしたちは、今の橋立町が、明治や大正時代、日本一の富豪村といわれるくらい

北前船で賑わっていたことは全然知らなかったので、ビックリでした。

これからブログで今回見附先生から教えていただいたことをご紹介させていただきます。

応援よろしくお願いします!!

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とっても楽しい「らくやき体験」(大聖寺・翠雲窯)

2013年09月13日 | 日記

隊員NO.1いぶです!! 

9月10日(火)12時40分からの約2時間あまり、大聖寺下屋敷町にある

らくやき体験工房 翠雲窯」でらくやき体験にチャレンジしました。

講師は、翠雲窯」のご主人・荒木実さんです。

2週にわたるらくやき体験。今回は作品の成形およびけずり作業の工程です。

「さぁ、何を作ろうかな?」とみんなで頭をひねりましたが、ゆかぴが茶碗を、そして

残りの6人は大皿を作ることにしました。

荒木さんは、ご親切にも、わたしたちの顧問の先生の粘土も用意して下さいました。

なのに顧問の先生は「いや、やめときます。写真を撮らなくてはいけません」って、

断ってしまいました。わたしたちが「先生も作ってください!」って後押ししても、

「いや、オレ不器用やし、失敗するとみんなに笑われる」なんて言って取り合いません。

「先生!何事もチャレンジ精神が大事ですよ!やれば、できる

さて、大皿を作るには、粘土がろくろにくっつかないようにまず紙を敷いて、粘土を

延ばしていきます。あとで、皿の裏側に高台をつくるので、厚さ15mmぐらいが適当だと

荒木さんが教えてくださいました。粘土の手触りがとっても気持ち良かったです。

縁をお皿の形に整えていきます。焼いたときに割れたりしないように厚さ8mmくらいに

整えます。すると、だんだんお皿の形になってきました。「うれしい~!!」

ゆかぴの作品もすっかり茶碗らしくなってきましたよ。

縁の高さを調整したあとは、裏返して、高台づくりです。荒木さんがとっても丁寧に

ご指導下さいました。

成形したあと、しばらく天日で干したら、今度はけずり作業です。「らくやきでは

このけずり作業がとっても重要なのですよ。」と荒木さんはおっしゃっていました。

あっという間の2時間。本当に楽しく作業ができました。

作業が終わった頃に、顧問の先生が「オレもやればよかったかなぁ」なんて言ってます。

「ほら、先生。さっき、あれほど『やれば』って、いったでしょ!」

荒木さん、やさしくご指導いただき、本当にありがとうございました。来週の絵付け作業や

焼き入れの際もどうかよろしくお願いします。

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らくやき体験で~す!!(大聖寺下屋敷町・翠雲窯)

2013年09月12日 | 日記

隊員NO.1いぶです!! 

9月10日(火)の課題研究の時間に、学校にほど近い山ノ下寺院群の一角にある

らくやき体験工房 翠雲窯」で隊員7人全員が楽焼に挑戦しました。

今回のわたしたちの先生は、翠雲窯」のご主人・荒木実さんです。

今週は粘土を使って、作品の成形を行い、けずり作業まで取り組みました。そして

来週は素焼きが終わった作品に絵付けをして、本焼きし、作品を完成させます。

荒木先生は丁寧にご指導してくださいました。だから、とっても楽しく活動できました。

荒木先生、本当にありがとうございます。

荒木先生は、66歳。大聖寺錦町の公民館活動で、若いときに趣味でされたことがある

楽焼体験の講師をされて以来、大聖寺地区会館でのらくやき体験教室の講師をずっと

続けておいでました。そしてお仕事を退職されたことや自宅の窯が道路拡張工事のため

閉鎖することになったことから、ここ大聖寺下屋敷町の民家を使って、5年前に体験工房を

開設されたのだそうです。

楽焼は、陶石を材料とする九谷焼とちがって、粘土を使います。ここ翠雲窯」では、

滋賀県信楽で採れた粘土を使っています。九谷焼などの一般の焼き物と異なり

形作りから削りまで2時間程度で完成し、その上短時間(15分)で焼成できるので、

とっても気軽にチャレンジできます。最近も、河南・山代・庄の保育園児や

錦城小・錦城東小の児童たちが楽焼体験をしたそうで、年間3000人が訪れる

加賀市の人気体験スポットになっています。

さぁ、わたしたちも作品づくりを開始です。1.5kgの粘土を分けていただいて、

ろくろの上で延ばしていきます。さて、どんな作品が仕上がるのでしょうか?

活動の様子を、これからブログでご紹介させていただく予定ですので、よろしくお願い

しま~す!!

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おかえりなさい!寺口先生(U18野球日本代表アシスタントコーチ)

2013年09月11日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

9月10日(火)、国際野球U18ワールドカップ野球」日本代表のアシスタントコーチ

を務められた本校野球部監督の寺口結先生が台湾から帰国され、1限目の前に、

おかえりなさい!寺口先生 帰国報告会」が行われました。

寺口先生の入場です。全校生徒が大きな拍手でお迎えしました。

先生はなんとわたしたち生徒のために、サプライズで「オールジャパン」のユニフォーム姿で

入場です。校長先生の「寺口先生、本当にご苦労さまでした。」というご挨拶を受けて、

寺口先生がお話をされました。

「長い間、学校を留守にしまして、ご迷惑をおかけしました。おかげさまで、わたしは

この2週間、日本代表の一員として、本当にかけがえのない素晴らしい経験を

させていただくことが出来ました。皆さん、ありがとうございました。

残念ながら、決勝戦でアメリカに敗れ、出発前に開いていただいた激励会でみんな

約束をした優勝を果たすことはできませんでした。でも雨による順延などで、とてもハード

な日程だったにもかかわらず、日本代表の選手たちは本当に頑張ってくれました。

この2週間、日本を代表する高校球児と生活を共にしましたが、選手一人ひとりは、

ふだんは実高生と全く変わりない高校生でした。それではどこが普通の高校生と違うか

といったら、ここ一番の集中力であったり、気持ちの切り替えです。また生活面でも

メリハリであるように思います。そして彼らは、わたしが常々大切だと考えている

人の話に素直に耳を傾けられる心持ち合わせているように感じました。

これからいろんな場面で、今回わたしが勉強させていただいたことを、実高生の

皆さんに還元できたらと思います。今日はこのような会を開いていただき、本当に

ありがとうございました。」

寺口先生、長い遠征でお疲れの中、わたしたちのために、貴重なお話をいただき、

ありがとうございました。

先生はわたしたちのために、わざわざ今回の大会に出場した選手たちの寄せ書きが

された色紙やバットを学校に持ってきてくださいました。

寺口先生、また機会があったらいろんな貴重なお話をお聞かせくださいね。

さて、秋の北信越高校野球石川県大会で2回戦に進出した本校の対戦相手が

金沢二水高校に決定しました。9月16日(月)11時30分から小松弁慶スタジアム

試合があります寺口先生、そして野球部のみんな、ガンバって下さいね!!

(おまけ)

昨年度の情報ビジネス科課題研究で作成された加賀市PVをご覧下さい!

昨年12月の公開以来、現在4,200回を超える視聴をいただいています。

まだご覧でないみなさんは、一度クリックしてくださいね!

『石川県の加賀市に行ってみよう!』(←クリックしてください!)

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実性院・白萩が咲き始めました!

2013年09月10日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

曹洞宗金龍山「実性院」

私たちが通う石川県立大聖寺実業高校の近くに大聖寺歴代藩主の菩提寺「実性院」が

あります。そしてこの実性院」は、白萩の寺」としてとても有名です。

実性院」の白色が多いのは、先代の和尚さんが純粋無垢”けがれのない心”であって

ほしいという思いで植えられたからだそうですよ。

秋の七草(みなさん、全部言えますか?)

そしては「秋の七草」の一つです。「秋の七草」とは、はぎ(萩)、すすき(薄)、くず(葛)、

なでしこ(撫子)、おみなえし(女郎花)、ふじばかま(藤袴)、ききょう(桔梗)のことです。

秋の七草」は、典型的な秋の植物というよりも、ひっそりと秋の訪れを知らせてくれる

植物のように思えますね。

さて、今年は実性院の「」の咲き始めはどうも遅いようです。毎日暑い日が続いた

この夏の気候の影響でしょうか?9月9日現在、お寺の前のはチラホラといったところです。

一方、道路を挟んだ反対側に咲く紫のは今まさに見頃を迎えています。

実性院は、毎年加賀路に秋の訪れを告げてくれます。来週あたりが見頃でしょうか?

可憐な白いが咲き乱れるのを見るのがとても待ち遠しいですね!

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実高野球部、1回戦突破!(秋の高校野球)

2013年09月09日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

やりました!!2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決定しました。

とってもうれしいです。わたしはバレーボールをやっていますが、7年後の東京オリンピック

を自分の目で見てみたいなぁ。

さて、わたしたち実高生にはそれ以外にもうれしいニュースがありました。

ひとつは、本校野球部監督・寺口結(ゆい)先生が、アシスタントコーチとして出場された

「国際野球U18ワールドカップ野球」日本代表が、決勝で残念ながらアメリカに

2-3で惜敗したものの、見事準優勝に輝きました。テレビでは、寺口先生がベンチから

一生懸命声を出されている姿が映し出されていましたよ。

そしてもう一つが、本校野球部の勝利です。

9月8日(日)11時30分から金沢市民野球場で行われた秋の北信越高校野球石川県大会

1回戦で、本校野球部が野々市明倫高校を見事4対2で下し、2回戦に進出しました。

         1 2 3 4 5 6 7 8 9  計

野々市明倫  0 0 0 0 0 1 1 0 0  2

大聖寺実業  1 1 1 1 0 0 0 0 ×  4

2年生のエース高橋君が110球完投、同じく2年生の4番室谷君が長打をふくむ4安打と、

投打の主力が大活躍して見事な勝利です。今の3年生が主力だった昨年も本校は

ベスト16に進出しています。次もガンバってもっともっと上を目指して欲しいです。

2回戦は金沢二水高校と飯田高校の勝者と9月16日(月)11時30分から

小松弁慶スタジアムで対戦しますみなさん、ご声援をよろしくお願いします。

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たくさん閲覧いただき、ありがとうございます!!

2013年09月08日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

いつも応援していただき、本当にありがとうございます。今年4月から、先輩たちを

引き継ぎ実高ふれ愛隊」としてブログを担当させていただいています。

最初は、皆さんにブログを見ていただけるかとても心配していましたが、

おかげさまで、多くの方々にこのブログを訪問していただき、とてもうれしいです。

9月6日現在、ブログへの訪問者数は76,053人、トータル閲覧数は231,454pv

になりました。これからも「歩く」「出会う」「学ぶ」「発信する」の4つのコンセプトを

大切にしながら、一生懸命活動しますので、応援をよろしくお願いします。

今年1月からのブログへの訪問者数と閲覧数をまとめました。

訪問者数      閲覧数

昨年4~12月

   31,085     81,542    

1月

4,495     13,585

2月

4,676     13,091

3月

4,892     16,805

4月

5,176     17,294

5月

5,318     18,581

6月

5,518     19,205

7月

6,188     21,803

8月

7,271     24,027

4月以降、閲覧していただける方の数が少しずつ増えてきて、8月に入ってからは、

1日平均230人を超えるみなさんにアクセスいただいています。

そして、たくさんのみなさんからコメントもいただいています。

今週は課題研究の時間に「楽焼」に挑戦する予定です。今後とも応援お願いします!

(おまけ)

昨年度の情報ビジネス科課題研究で作成された加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!

をご覧下さい!昨年12月の公開以来、現在4,200回近い視聴をいただいています。

まだご覧でないみなさんは、一度クリックしてくださいね!

『石川県の加賀市に行ってみよう!』(←クリックしてください!)

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12月に「加賀ふるさと検定」が実施されます!!

2013年09月07日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

わたしたちが暮らす加賀市は毎月何かしら「お祭りがある」といわれるくらい

にぎやかな所です。この9月7日(土)・8日(日)にも片山津温泉で

加賀温泉郷フェス2013」が、そして大聖寺では「十万石まつり」が行われ、

きっと多くの皆さんが参加されることと思います。加賀市を元気にするために、

本当に多くの皆さんが頑張っておいでるのですね。

さて、加賀商工会議所や山中商工会の方々のご尽力により、今年12月の

実施に向け、「第1回加賀ふるさと検定」の準備が進められています。

また加賀市役所でも市民主役条例に基づく市民提案制度により、第1号として

採用された「加賀ふるさと検定・おもてなし講座」の開催にかかわる

助成費を9月の市議会に追加計上されているそうです。加賀市民がもっともっと

ふるさとの魅力を知り、観光にいらっしゃる皆さんへの「おもてなし」の力を

より一層発揮できるキッカケになるといいですね。

ところで、加賀ふるさと検定」ではどんな問題が出題されるのでしょうか?

お隣小松市の「ふるさと小松検定」や金沢市の「金沢ジュニア検定」の問題を少し

探ってみることにしました。

みなさんも、練習問題だと思ってチャレンジしてみてください。

「平成25年度金沢ジュニア検定」より

◇1488年(長享2)に、農民や僧たちが中心になって一向一揆を起こ

守護富樫政親をたおしたことから、加賀の国は「(  )の持ちたる国」と言われた。

(  )にはどの言葉が入るか。

  ①職人 ②百姓 ③武士 ④町人

◇金沢の今町に生まれ、台湾に当時アジア最大といわれた烏山頭ダム

16,000キロメートルに及ぶ水路を完成させ、不毛の大地を豊かな平野に変えた

金沢の偉人は誰か。

  ①三宅雪嶺 ②中西悟堂 ③八田與一 ④木村栄

◇金沢には、昔から伝わる年中行事が今も数多く残っている。新年の正月に

関係が深いものはどれか。

  ①消防の「出初式」 ②「氷室」の饅頭 ③墓参りの「切籠」 ④「七五三」の宮参り

◇金沢から江戸まで、2,000人以上のお供を引き連れて1年おきに行われる

加賀藩の参勤交代は、諸大名の中でも最大規模であった。そのコースは3つあった

といわれているが、北国下街道を通る約480キロメートルのコースにはどれだけの

期間を要したか。

  ①3日 ②13日 ③1ヶ月 ④1年

「平成24年度ふるさと小松検定」より

◇「じょんなもん」とはどういう意味の方言か。

  ①変な人 ②巧みな ③ほらふき ④不潔な人 ⑤いたずらな人

◇次の芭蕉の句で小松にゆかりのある句はどれか。

  ①古池や蛙飛こむ水のをと ②山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ 

  ③赤い椿白い椿と落ちにけり  ④むざんやな甲の下のきりぎりす

  ⑤閑さや岩に染み入る蝉の声

◇馬の鞍くらに似た山容の山はどこか。

  ①三童子山 ②鞍掛山 ③大日山 ④動山 ⑤横谷

さて、みなさん結果はいかがでしたか?はたして第1回加賀ふるさと検定」は

どんな問題が出るのでしょうか?とっても楽しみですね!!

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加賀ルージュ景観シンポジウム

2013年09月06日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

加賀市は「赤瓦」のまちです。個性的なまちが分散する加賀市ですが、どの町へ

行っても加賀ルージュの美しい家並みをみることができます。

地元に住んでいると、ついついその景観があたりまえになってしまって、その魅力に

気づきません。でも他府県から加賀市を訪れる観光客の方々は、その赤瓦

美しさに驚かれ、おもわず「おとぎの国にやってきたのかしら?」と錯覚するくらい

ビックリされるそうですよ。

今、加賀市ではまちなみの特徴である「赤瓦」について再認識し、その魅力を広く

全国の皆さんに発信しようと、さまざまな取り組みをされています。

そして、その取り組みの一環として、9月7日(土)13時15分より、大聖寺菅生の

加賀商工会議所において加賀ルージュ景観シンポジウム」が開催されます。

シンポジウムでは、まず市内の小中学生が描いた作品を募集した

赤瓦の町並み児童生徒絵画コンテスト」の表彰式の後、2部構成で、講演会と

「加賀市の景観整備を振り返って」と題するパネルディスカッションが行われます。

講演会では、「”素の力”とデザイン力を活用して赤瓦地域づくり」をテーマに、

江戸川大学社会学部教授・鈴木輝隆先生がご講演されます。

また、パネルディスカッションでは、加賀市と同じように赤瓦が特徴の島根県江津市の

方もおいでてディスカッションされるそうです。参加費は無料です。

みなさん、この機会に、シンポジウムに参加してふるさと・加賀市の「赤瓦」の魅力に

ついて改めて考えてみませんか?

←橋立町

←柴山町

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9月4日に聖実祭(体育祭)がありました!!

2013年09月05日 | 日記

隊員NO.1いぶです!! 

 

9月4日(水)、心配していた空模様も回復し、大聖寺実業高校体育祭が行われました。

全校生徒が赤団・黒団・黄団の3つの団に分かれて、グラウンドを舞台に、熱戦を

繰り広げました。わたしたち「実高ふれ愛隊」は赤団で、わたしが団長を務めました。

まずは、開会式です。校長先生のお話、生徒会長の挨拶の後、3つの団の団長が

決意表明です。わたしも赤団の優勝を誓って、大声で赤団の団員に呼びかけました。

そしていよいよ競技の開始です。最初の障害物競走は、「ボール運び」・「平均台」・

「ハードル」・「パン食い」で競われました。珍プレー好プレー続出です。借り物競走では、

先生方も生徒と一緒になってグラウンドを駆け巡られました。

3番目は「綱引き」。始まる前までは、3年生に女子が多い赤団が圧倒的に不利だと

いわれていましたが、なんと4戦4勝。この種目で優勝です。

そして三人四脚の後は午前中最大の呼び物「物取りバトル」。各団7人1組で、タイヤ(3点)

・ロープ(2点)・ボール(1点)をそれぞれ10個ずつ奪い合う熾烈なたたかいです。

男子4回、女子3回、全部で7回の勝負です。応援合戦もヒートアップ!!「がんばれ!

負けるな!」この日最高の盛り上がりになりました。

PTAの皆さんも多数応援においでました。しかし、午後からは大雨が降り始め、

午後の部は中止になってしまいました。ざんね~ん!!

結果発表です。優勝「赤団」、2位「黄団」、3位「黒団」。見事わたしたち赤団が優勝

しました。赤団のみんな、ありがとう!そして黄団・黒団のみんなもがんばったね。

さぁ5日(木)は文化祭です。大聖寺実業高校みんなで文化祭も頑張りま~す!

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