沖縄に関する記事が「本土」で全く見られない。
安倍政権が参院選投開票日の翌日、ヘリパッド建設資材搬入を地元民の反対を押し切って強行。
反対住民排除のため全国から警察官を投入。
無抵抗の住民を殴る蹴るの乱暴で排除。
クルマの前に体を張って路上に伏した住民の上に車を前進させ負傷させた。
沖縄の新聞が辛うじて報道するのは当然といえば当然。
だが「本土」のジャーナリストが一顧だにしないのはどういうことか。
政権と同じで沖縄県民を日本国民と見ていないのでは、との危惧を覚える。
同様のことは参院選でもあった。
選挙中の報道はほとんどなかった。
三分の二を占めるかどうかに焦点を当てた。
選挙結果が判明するや、三分の二を占めたことで「憲法改正」の方向へ国民を誘導。
戦時中、各紙は大本営発表を記事にし戦争推進を鼓舞してきた。
そして敗戦となり、再出発に当たり戦意高揚を反省し再出発したはず。
それが70年経つとまたぞろ政府の広報紙になろうとしている。
いや、既になっているものもある。
少なくとも国民に対し問題を投げかけるようにはなっていない。
政権の発表を「是」とする内容であり、独自に掘り下げた経過は見当たらない。
あの反省は何だったのか。70年経っただけですべて忘れ去るものなのか。
ジャーナリズムとしてそれはあまりにも情けないと思う。