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SiriusとAldebaranとPolaris

戦争の悲惨さ

2018-08-12 21:43:11 | 日記

毎年、この時期になると戦争にまつわる特集が組まれる。

あるものはドラマであったりドキュメンタリーであったり様々だ。

 

問題は取り上げ方であろう。

戦後73年ともなると戦後レジームからの脱却といい、憲法を変え再び戦争の道を、破滅の道を進もうと画策している。

 

NHK”駅の子”の闘い。

全国的にどれほどの数か具体的な数はない。

戦後の混乱の中で政府にどれほどの「力」があるかさえ定かでなかったのだから。

栄養失調で餓死する者もどれほどいたかその実数はまったく把握できていないだろう。

 

現在、存命で取材に応じた人も既に高齢だ。

やっとの思いでこの人達を探し当てたのでないか。

 

上野駅の通路で暮らす戦争孤児。

番組で取材を受けた人達はまだいい方だろう。

その口から出る言葉は戦争に対する呪いとも言える言葉だ。

勝手に戦争を始めたのは当時の大人で孤児なった自分らに何の責任があるというのか。

と、血を吐かんばかりに呪いの言葉を吐く。

 

戦争の悲惨さは戦争に駆り出され戦地で死んだことだけに留まらない。

終戦間際に空襲で親を亡くし、孤児となったもののその後の生き方を変えてしまった。

 

終戦を告げる天皇の「耐えがたきを耐え、偲びがたきを忍び・・・」で終わりではない。

 

こうしている間にも世界のどこかで戦闘が起き孤児となったり難民となったりする者の何と多いことか。

 

大陸侵攻をし満州国をでっち上げた関東軍。

たとえ焦土となろうとも満蒙は日本帝国の生命線と嘯いた参謀。

本土が焼け野原となって他国から奪い取った地のどこが「生命線」か。

 

いまこそ、本人に問いたい。

 

 

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